これで良かったと、自信を持って言い切ることは出来ない。今日は幸せでも、明日は後悔と苦渋に染められるのかもしれない。でも、それでもいいのだ。手を取らないという選択肢は無かったから。

「薫、朝だけど……」
「起きてるよ。悠に食事を任せると大変なことになるからね」
「努力はしてます」
「はいはい。じゃあ、手伝って」

 現代っ子だった私より、薫のほうが料理は上手だ。早く覚えるために、食事を作る際は傍らで手順を見たり、少し手伝ったり。文句や非難ばかり浴びせられるけど、こっそり盗み見た横顔は柔らかく緩んでいた。
 それだけで泣きそうになるのは、まだ幸せというものに慣れていないからだろう。いつか、私が指を少し切っただけで、血相を変え怒鳴った薫だって同じ。幸福が、ほんのすこし怖い。

「畑いじってた方が楽だなー」
「……どこ探したってそんなことを言う女は悠くらいだ」
「そんなことないって、絶対。楽しいよ?」
「いっそ俺が家事やって悠が仕事する?」
「それいいね」
「嘘に決まってるだろう」

 ぴしゃりと断られ、少し意気消沈しながら作業を続ける。といっても大根を洗うだけなんだけど。薫は本当に簡単なことしか教えてくれない。このままでは本当に役割が逆転しそうだ。私の居た時代なら別に気にすることではないけれど、流石に此処では良くないかもしれない。薫はそういうの気にしなさそうなのに。

「ご飯食べたら畑に行こう」
「うん」
「たぶん胡瓜が採れるから、その後町へ売りに行く。ついてくる?」
「うん」
「甘味処には寄らないよ」
「そんなに食いしん坊じゃないです」
「知ってる」

 顔を上げる。黒曜石の瞳に私が映っていた。

「知ってるよ」

 ああ、泣いてしまう。薫か、私か、わからないけど。
 視界は溶けてしまった。温い体温が全身を包んで、彼はやっと陽だまりを知ったのだ、なんて場違いなことを思う。冷えた指先はもう何処にもない。

「仕事、代わったっていい。料理だって教えたい。でも、そしたら悠は一人で生きていけるようになるから、俺は」
「……かおる」

 知ってる、全部知ってる。変な格好をして、格子から出てきた。怯えた顔で俺を見て、蹴られて、甚振られた。俺が用意した場所で、もがいて泣いた。そのくせ俺に手を伸ばすから、俺は苛々したよ。知ってる、食欲がなかったのも。相当な覚悟をして、俺の傍に居てくれたことも。本当にごめん、ありがとう。俺の前から消えないで。

「私は薫がだいすきだよ」

 涙が滂沱となって頬を濡らす。ぐちゃぐちゃの顔で、それでも口元は笑いながら。素直に微笑み合えるまで、あとどれ程かかるだろう。

「……馬鹿だなあ、悠は」

 鼻声で嘲られたので、肩を小突いてやった。

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