今の時期には珍しい、空気と溶け合うような雨が降っていた。新選組総動員で行われた大掃除のおかげで屯所内は未だに小奇麗なままだ。
 ぴちょん、と雨粒が葉に落ちて、まどろんでいた悠は重い瞼を無理矢理開く。いつの間にか自室の壁に背を預け転寝をしていた。緩く欠伸をして、『ここはどこだろう』と思った。そして、直ぐに思い出した。

 彼女の部屋は医務室のままだ。時々訪れる隊士に怯える日々。――いや、隊士ではなく幹部だ。私と密接に関わろうとする心が見えて、どうも緊張してしまう。失言しないようにと焦り、結果、私の狼狽っぷりに罪悪感を覚えた相手が謝罪する。正直、疲れた。
 適度な距離を保って接するのは、単に拒絶するより数倍難しい。身をもって知った。だが、それを知ったところで解決する策は見つからない。
 最後にまた欠伸を零し、立ち上がった。そろそろ仕事をしなければ。

「起きたか」

 一瞬山崎さんが帰ってきたと思った。彼は数日前に着替えの場所を私に託し任務へ行ったばかりだ。着物と入れてある場所について、事細かに説明されたのは記憶に新しい。そんなことしなくたって、服の場所くらい覚えたのに。どういうわけか思ったそれを言葉にしてしまい、気を悪くしたかと焦ったが、山崎さんは無表情で一言呟いただけだった。

 ――覚えたくないんだろう?

「すみません、すぐ仕事に戻ります」
「いや、いい。座っていろ」

 黒衣の武士が、自分の隣に腰を下ろす。中途半端に開いた障子から外の雨模様が見れた。何処かで蛙が鳴いている。居心地の悪さは気にしないことにした。多少居住まいを正し、蛙の声と雨水に意識を向ける。隣人も同じことをしているようだ。
 暫し、沈黙が降りる。

「……俺は、どちらかといえば、嘘をつくのは苦手だ。それ故、気持ちのままに問う。良いか?」

 ややあって口を開いた斎藤さんは、とても言い難そうに可否の判別を寄越した。立場的に、駄目なんて言える訳が無いのに。
 それでも、不満は出さず小さく頷いた。私の肯定を目の端で捉えた後、それでも彼は躊躇うように目を伏せる。外界からの音は絶えないのに、彼から滲む静謐は無音を生んだ。言うなら早く言ってほしい。

「……いや。そうだな、またいつか聞くことにする。高橋、出るぞ」

 たっぷりと間を取っていたのに、質問はされずに終わった。斎藤さんの真面目な性格故だろう。
 まあいいか。早く立ち去ってくれないかな、と考え始めた時に、「出るぞ」の一言が鼓膜に響いた。出る。出るとは、つまり……お化けの類が? いや、こんな昼間からそんなことは……いやいや、そもそも斎藤さんはそういう話をする人ではない。じゃあ、なんだ?
 混乱が顔に出ていたのか、斎藤さんは申し訳なさそうに目を逸らした。遅れて声が届く。

「歩けば腹も空くだろう」

 不器用な気遣いだった。断るのは、人道的に出来ない。こういうのが重なっていくのが一番怖いと分かっていたが、親切を無下にできないほど、私はこの世界に慣れてしまった。

「ありがとうございます」

 何を、とは言わない。それでも斎藤さんは頷いた。再び沈黙が生まれる。
 なんとなく、頭の隅に居座っていた彼の影が取り払われた気がした。



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