屯所の廊下は、広い。雑巾を絞りながらため息をついた。千鶴ちゃんはこれを一人でやっていたのか。……本当にすごい子だ。しかも洗濯もしていたらしいし……尊敬せざるをえない。
 軋んだ音を立てて床がしなる。誰か来たようだ。この時間は、きっと沖田さんだろう。

「ちゃんと仕事してるんだね」

 意地の悪い笑みを浮かべているだろう彼に無言で頷くと、小さく笑われてしまった。何がおかしかったのだろう。

「ここでの生活、流石にもう慣れたよね?」
「……それなりに」

 ちらりと盗み見ると、沖田さんは壁に背を預け庭を見ていた。そういえば、結核になっているはずだ。寝ていなくて大丈夫だろうか。
 私の心配をよそに平気な顔で遠くを見つめる青年に、なんだか呆れのようなものを覚えた。

「君は」

 不意に沖田さんが此方を向く。視線を逸らそうとしたが間に合わず、緑の双眸をしっかり受け止めてしまった。

「あんまり力が強くないね。体力もない。体だってしっかりしてない」

 ぼちゃん、と雑巾が水の中へ落下した。手首を痛いほど掴まれ、自然と眉間に皺が寄る。形の良い唇が、にいっと弧をえがいた。恐怖がじわりとせり上がる。

「僕は千鶴ちゃん目的で仕事し始めたんだと思ってたんだけど」

 甘く掠れた声が脳を支配する。きりきり痛む手首を気にかけながら、沖田さんから離れようとした。―――全員に女とばれたら、私はどうなるんだろう。新選組だって二人の女を匿えるほどの余裕はないし、きっと追い出される。そしたら……南雲薫の命令に背くことになる。背いてしまったらどうなる? 何をされる? 何もされないだろうか。わからない。わからな

「ねえ、大丈夫?」

 はたと顔を上げると、此方を見下ろす瞳と目が合った。ぼーっとしていたようだ。慌てて謝ると、沖田さんは変な顔をした。それも一瞬で笑顔に変わり、明るい声でこう言った。

「少し外に出てみない?」

 時間が止まったかと思った。にこにこと笑うばかりの顔を見つめ、先ほどの言葉を反芻する。つまり……私だけが外に出るのはあり得ないから、誰かと一緒に外に出てみよう、という誘い。まさか。

「ああ、大丈夫。最近調子良いから、僕は行けるよ」

 再びしゃがんだ彼は私の手をとると、赤くなった部位を撫でて小さく言った。

「まず、冷やさないと。それから返事を聞くよ」



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