受け取った着流しを四苦八苦しながら着て、布団の上に正座する。空気は少し冷えていて、外は暗い。もう夜だ。

(千鶴ちゃんは、もう鬼と出会ったのかな)

 ぼんやりと思考を巡らせながら、ふう、とため息をつく。ごろんと寝転がって耳を澄ませると、外から話し声が聞こえてきた。

(平隊士……?)

 この部屋の近くに人が来るのは珍しいので、少し警戒しながら聞き耳を立てる。

「なあ、あの部屋って何があんだ? 誰に聞いても知ってる奴ぁいねえし」
「お前、鬼の副長にどやされるぜ。絶対近づいちゃいけねぇ、知ろうとしちゃいけねぇ、って散々言われただろうが」
「そこまで言われると知りたくなるのが人の性ってもんだろー?」
「そろそろ戻ろうぜ。屯所には異変がありませんでした、って報告しなきゃいけねーからな」
「少しだけ覗いてこうぜ。少しだけだ、良いだろ?」

 足音がこちらに向かってくる。話の内容からして、この部屋に来るらしい。まずい気がする。

「おいおい、ほんとに行くのか?見つかったら切腹もんだぜ」
「少しだけだ。」

 やばい。これはやばい。
 多分、土方さんは私の存在を隠していたいんだ。私も、知らないところで騒がれたくはない。
 逃げなければ。

 逃げる―――いつかもそう思った気がする。
 ……ああ、あのときだ。羅刹に出会ったあの夜。

 川だかなんだかに落ちて、目覚めたら浪士に襲われかけたっけ。逃げ出したら、……南雲薫がいて。
 蹴られて、殺されかけて。

 嫌な方へいく記憶を無理矢理断ち切り、音を立てないよう立ち上がった。静かに障子を開ければ、割と近くに人の影。

(やばっ……)

「ねえ君たち、何してんの?」
「お、沖田隊長!」

 廊下の端に、沖田総司が立っていた。すごく良いタイミングだ。気づかれないよう、ゆっくり草履を履き外へ出る。

「ここらには近づいちゃいけないって言ってなかった?」
「あっ、いや、そのっ…気づかなくて……すみませんでした!」
「すみませんでした!」

 ゆっくり、ゆっくり、気づかれないように。彼のストッパーである千鶴ちゃんが居ない今、彼に会ったらどうなるかわからない。彼らが部屋に来なくても、逃げなければいけない。

「……もういいよ。それより、報告に行くんじゃないの?」
「は、はい!今すぐに!」

 バタバタと足音が遠ざかる。

「部屋にいるかな……」

 す、と開けた障子の向こうに、人の姿は無い。

「平助くんのところ、かな。大人しくしてればいいけど」

 つまらなそうに呟く青年は、来た道を戻っていく。
 少女は既に屯所から抜け出していた。



「はぁ、はぁっ」

 足に力が入らない。……食べてないからか。
 心臓が空気を求めて暴れまわる。喉がひゅう、と音を出した。

「……あ、…」

 遠くに桃色の着物の人間がいる。きっと…いや、絶対に千鶴ちゃんだ。
 ということは、まだ鬼に出会っていなかったのか。
 迷わずたどり着けたことに驚きつつ、彼女に少し近づく。ゲームのあの場面を近くで見たいというくだらない好奇心から。

「な、なんで……ここにいるんですか……!?」

 鈴を転がしたような声が辺りに響く。ここにいる。ということは、彼女は今鬼と対峙している?

 状況を整理しているうちに、場面は進んでいたようだ。幹部の人たちが駆けつけていた。
 黒い着流しが暗闇に溶け込んでいるらしく、私には気づいていない。変なところで運が良い。

 山崎さんが千鶴ちゃんの背後に立った。きっと、千鶴ちゃんを屯所に連れて行くだろう。
 たぶん、彼女もそれに従うはずだ。……むしろ、そうしてもらわないと困る。
 頭が良いほうではない私が覚えているのは、唯一BADENDがあり印象的な沖田ルートのみなのだ。自分がどうなるのか、分からないよりは分かっている方がいい。
 ところが、

「私は、この場に残ります」

「え、」

 残る、だって?!
 予想だにしなかった話に、脳が混乱する。どうしよう、どうすれば、
 その時、銃を構えた鬼―――不知火が、千鶴ちゃんに殺気を放った。

 体が勝手に動いた。あんなに力が入らなかった足が、今は地面を力強く蹴る。
彼が千鶴ちゃんに襲い掛かる前に、その前に。

 気づいた時には、可愛らしい丸い目が目の前で困ったように自分を見つめていた。

「なっ……お前、何で」

 土方さんの焦ったような声。殺気の渦の中に飛び込んだ私には、その声が遠く聞こえた。

「どうして残るんですか!」

 すぅ、と息を吸い込んで、ありったけの大声を出す。千鶴ちゃんの目が驚きで見開かれた。
 たぶん、その場にいる全員が私に注目しているだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。

「危険とわかっている場所にどうして留まるんですか! せっかく貴方を守ってくれる人がいるのに、残るなんて、そんな、」

 そうだ、この子には守ってくれる人がいるんだ。気にかけてくれる人が、いる。
 ……なのに、この子は。

「でも、私は……」
「屯所に戻って下さい。優しさを無駄にしないで」

 声が震えた。山崎さんが何か言いたそうにこちらを見たが、知らないふりをして彼女を押しやる。

「早く!」

 名残惜しそうにしていた彼女は、私の一声で駆け出した。山崎さんがそれに続く。

 涙が溢れた。ここに来てから一度も出なかった涙が、ぽろぽろと零れる。
 理不尽だと思った。この世界から歓迎されていないのは分かってるけれど、それでも不公平だと思った。
 思ってから、そんな考えを外へ押しやる。彼女はヒロインで、主人公だ。皆が彼女を守るのは当然のこと。

 仕方ないんだ。

「貴様、何者だ」

 低音が空気を揺らす。振り向けば、やさしくない世界が広がっているだろう。

 着流しの裾を握り締め、唇を噛んだ。涙は止まらなかったけど、決心はついている。


 殺気の渦巻く方へ、振り返った。





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