「新選組をぐちゃぐちゃにしてほしいんだ」
「ぐちゃぐちゃにする。ただそれだけだよ」

 新選組。ぐちゃぐちゃ。
 薫の言葉は単語となって脳に入ってきた。

「なんで、新選組」

 彼の目的は妹じゃなかったのか。なんで、なんで。

 ふ、と目の前が暗くなる。

「新選組は知ってるんだね。それなら話が早い」

 目に押し付けられているのが彼の掌だと気づいて、肩がびくりと震えた。

「俺の頼みを聞いてくれれば、身の安全は保障するよ」

 薫の体温は、とても低い。まるで彼の心の温度を示しているみたいだ。

「俺には一人の妹がいる」

 掌によって作り出された暗闇と冷たさが、彼のこれまでの人生のようだと思った。

「ずっと一緒だったんだ。ずっと、ね」

 つつ、と細い指が私の瞼をなぞる。あまりの不快感に鳥肌がたった。

「でもある時俺たちは生き別れになってしまってね。別々の家に引き取られたんだ」

 ゲームの中で知るのと目の前にいる立体の彼から聞くのでは、随分と迫力が違うなあ、と危機感を感じすぎて、逆に関係のないことを考えるくらい脳は冷えている。

「妹はその家で幸せに……幸せに過ごした。生き別れの兄のことなんて忘れてしまうくらいに」

 ふと、家族の事を思い出す。行方不明になったと聞いたら心配してくれるだろうか。
 目の前の人間が悲しい生い立ちを話しているのに考えているのは自分のことなんて、私は冷たい人間だ。

「でも俺はその家に歓迎されなくて、ずっと虐げられてきた」

 目に触れる温度が、また低くなった気がした。冷たい、死人のような掌。

「ひどいよね。ずっと一緒にいたのに忘れられた。俺よりずっと幸せに過ごしてる。ほんと……」

 いきなり掌に力が篭る。悲鳴をあげる間もなく目を押しつぶされそうになる。痛い!痛いっ!!

「俺が見た世界を妹は知らない。それって不公平だよね?」

 限界まで押して、ゆるゆると力を抜く。ぐりぐりと瞼越しに眼球を回して、また力を抜く。
 圧迫、開放、その繰り返しに目の裏の暗闇がチカチカしてきた。

「あっう、やめて下さい! ぃ…ッ、痛、」

 これ以上やられたら目の形が変わるんじゃないかと思ったとき、やっと手が離された。
 本当、なんなんだろう。涙目になりながら座り込む。八つ当たりなら物に当たって欲しい。

「妹は今新選組にいる。あいつの居場所の新選組をぐちゃぐちゃにしてしまえば、きっとすごく悲しむと思うんだ。どう? いい考えだろう?」

 頭上から楽しそうな声が降ってくる。

「やってくれるかな?」

 トリップしたからには新選組にも会いたい。けど、自分の命を危険にさらしてまで接触したくはない。できる事ならもとの世界に戻りたい。

 叶わないことを考えるからおもしろい。絶対にありえないから夢をみていた。なのに、夢が現実になってしまった。
 トリップしてみたいなんて考えていた自分を蹴り飛ばしたい気分だ。実際にトリップしたって何もおもしろくない。平凡な私がトリップしてもあたりまえに愛されるわけがなかったんだ。

「……どうして私なんですか?」

 頼んだ理由は、きっと惚れた腫れたの類ではないだろう。彼のことだ、何かしら理由があるに違いない。
 俯いたまま質問すると、何がおかしいのか小さく笑った。それに若干いらだちを覚える。どうせなら痛めつけるだけ痛めつけて殺せばいいのに。少しずつ恐怖を刷り込むような痛みはかなり嫌だった。体がぼろぼろになる前に心が壊れてしまいそうだ。

「そうだなあ、」

 また、だ。また乱暴にされる。
 座り込んだままの私の髪の毛を掴み、立ち上がらせる。髪の毛が数本抜けた気がした。

「君はどうみたって日本の顔をしているよね。でも、服装は異国のもの。そんな人間が屯所の前に倒れていたら、誰だって不審に思う。だからきっと、お前は新選組で保護されるはず」

 なんで私なんだろう。暴力なら他の人でもいいじゃないか。悪いことなんてしているつもりはない。きっと物に当たっているような感覚で私に乱暴をしているんだろう。ただ乱暴するだけなら、他の人だっていいのに。
 こんな格好だからだろうか。珍しいもので遊ぶ子供のようなものなのだろうか。

「隊内に楽々侵入できたお前は、面倒事をたくさん起こすだろうね。着物の着方もわからないから、それを教える者が出来る。不審人物だから、誰かが監視につく。そしていつかは女とばれる。そのときまたどうするのか連中は悩むだろう。そうしてどんどんお前に入れ込んでいく」

 入れ込む?  私に?
 なかなかありえないように思えるけれど、薫が言うとその通りになる気がする。
 白く細い指が、また首に触れた。恐怖で体がびくりと揺れたが、薫はそれ以上何もしてこなかった。

「そしてお前を手放せなくなったやつらは、お前と俺の妹を守るために崩れていく。そうすればきっと千鶴は耐え難い苦痛を味わうだろうね。……いや、お前に大切な人を奪われようものなら、それはそれできっと苦しむかな」

 彼は少し眉間に皺を寄せ、唇を小さく噛んだ。とても嬉しそうにはみえないそれは薫の本心ではないか、なんて考えているうちにいつもの表情に戻ってしまった。

「もし俺の言ったことが出来たなら、お前も俺達の国に入れてあげる。これからの世では、一番安全な場所になるはずだ。協力してくれたご褒美だよ」

 俺達の、国? もしかして羅刹の国だろうか。

「もう一度聞く。やってくれる?」

 羅刹の国なんて行きたくない。でもやらなかったら大変な目に遭う気がする。

「……はい」
「名はなんというの?」

 YESが当たり前だというように微笑んで、思い出したように問われた。

「高橋 悠」
「苗字があるんだ。……一応言っておくよ。俺の名前は南雲 薫。いいね?」
「……はい」

 画面では見れなかった、時々浮かぶ寂しそうな表情。暴力をふるっているときに頻繁に出るそれは、きっと無意識だろう。
 目の前の彼からその表情を確認した瞬間、お腹のあたりに衝撃が走った。くの字に体を折り曲げて悶絶すると、今度は横から蹴りが入る。
 痛みを感じる間もなく何か硬いものにぶつかる。霞んだ視界に誰かが映った。

「またね、悠」

 強い衝撃を首に感じ、そのまま意識を失った。




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