四月の魚


※主人公=芽衣ちゃん

「鏡花さん」

 彼女は振り返り、微笑む。鳶色の髪が柔らかく揺れる。整然と並ぶ桜の木々が、薄桃の雫を落としてゆく。綺麗ですね、という声に無言で頷いた。どちらも美しかった。
 少し歩みを速め、足並みを揃える。桜の海を泳ぎながら、目を伏せる。花弁が視界にちらつく度に、彼女が消えてしまうような気がした。ほんの少し目を離した隙に、行ってしまうのではないかと。

(物の怪に好かれやすいし)

 横目で彼女を見遣る。肩に花弁が数枚乗っている。口はきゅっと結ばれ、何か考えている風であった。溢れかえる陽光と何百何千の桜花、思考に耽る彼女が、数ヶ月前の寂しそうに月を見上げる様子と重なった。

(まさか)

 まさか。手を伸ばしたが、それより早く彼女は動いた。顔を上げれば、普段はしない含んだ笑みで僕の前に立っている。

「鏡花さん、私、元の世界に帰りま、」

 言葉の意味を飲む前に、目が動く。背後の大樹が、枝を伸ばしたように見えた。どっさりと桜をたたえた一本一本が、彼女に迫る。覆い隠す。薄桃の花弁が踊り狂う。なまえが、行ってしまう。

「やめろ!」

 グイッと腕を引っ張り、がむしゃらに抱きしめた。薄桃が彼女に触れないよう、全身で包み込む。一片、二片、肩に積もっていくのが分かった。数え切れないほどの桜花の欠片が、嵐のように舞う。視界が桜で埋め尽くされた。


「きょうか、さん」

 不意に、か細い声。

「何?」
「その、ウソです。今日は、エイプリルフールで、嘘をついてもいい日で、」
「……知らないよ、そんなの」

 腕の中の温もりを、何度も確かめる。春風が積もった花弁を吹き飛ばしていった。

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