火の用心


 日当たりの良い縁側は、くつろぐにはぴったりの場所だ。それに加え私の寝室に近いからか、このあたりは静か。少し歩けば短刀たちの賑やかな声が聞こえるが、今は一人が良かった。
 先日、一般には希少と呼ばれる太刀を呼び寄せることに成功した。希少であればあるほど、刀装を多く持たせることが出来る。あえて何もつけず出陣させる同業者もいるようだが、私は割と過保護な方だ。出来る限りのものを最大限持たせてやりたい。刀とはいえ、人の身に血が滲んでいるのは気分が良くなかった。
 しかし、今回はその希少な太刀を引き当てたことこそが悩みだった。

(骨喰を、降格させるか否か)

 骨喰藤四郎は、現在の一番隊隊長であり、近侍刀だ。脇差である彼は、刀装を二つまでしか持つことができない。太刀や大太刀に比べると、力の面ではやはり劣る。機動では誰よりも優れているが、刀装を三つ持てる希少太刀と比べると、やはり迷った。

「だからって、なあ」

 右も左もわからない頃から私を支えてくれた刀だ。記憶を失くした身ながら、最善を尽くしてくれている。それを遠征中心の二番隊に配属させるのは心が痛んだ。

「でもなあ」
「どうした」

 不意に背後から声をかけられ、思わず飛び上がる。

「骨喰、なんでここに」
「? 主が呼んだんだろう」

 首をひねって記憶を辿る。……そういえば昼餉の前に来いと言った気がしなくもない。

「そう、そうだった。うん、座って」

 どうせなら本人に相談しよう。相手は骨喰だ、加州のように取り乱すこともない。
 私の横に静かに腰を下ろした骨喰は、真っ直ぐに私を見つめた。いつものことだが、今回ばかりは居心地が悪くなる。

「それで、何用なんだ」
「うん。隊のことで少し相談があってね」
「先日加わった太刀についてか?」
「……よくお分かりで」

 どうやら察していたらしい。口ごもる私に、骨喰はズバッと言い放つ。

「入れ替えたらいい。主がそう望むなら、俺は逆らわない」
「でも」
「遠征の経験は無いが、流石にここへの帰り道を忘れたりしない」
「そういうんじゃなくて」
「主」

 澄んだ瞳が射抜く。骨喰の表情はいつにも増して真剣で、私は出かけた言葉を飲み込んだ。

「俺の記憶は主とのものしかない。ここ以外に帰る場所も、従う主もない。決して裏切らない。……裏切れない」

 骨喰は、私の顔をじっと見た。言葉を待っているようだった。

「……うん」

 ここまで言ってくれたんだ。もう迷ってはいけない。
 覚悟を決め、息を吸い込んだ。

「骨喰藤四郎。本日をもって一番隊隊長を解任。二番隊へ移動とする」




 見上げた先には澄み切った青が広がっている。踏みしめた土は戦場とは違う質だった。

「疲れてねえか?」

 振り返ると、眩しい金色が目に入る。獅子王は地図を広げながら、まだかかるから休んどけ、といかにも隊長らしいことを言った。前に肩を並べ戦っていた頃とは大違いだ。

「いや、問題ない」

 答えながら、他の刀の様子を伺う。鳴狐は周囲を見回し脅威が無いか確かめているようだ。燭台切は身なりを整えている。青江は集めた資材の確認をしていた。小夜はどこかと姿を探せば、すぐ傍を流れる川に手を伸ばしていた。
 存外姿に合うことをするものだと思ったが、それにしては顔が険しい。声をかける前に、振り返った彼と目が合った。幼い口元が何かを言いかけ、よどむ。

「……どうかしたか」

 こちらから問えば、つりあがった目に焦りが滲んだ。普段見ない様子に、言い知れぬ不安が広がっていく。

「……この川、本丸の近くから流れてきてるんだったよね」

 ようやく開かれた口から、意図がつかめない問いが出てきた。詳細を求めようとして、ふとその小さな手に何か――焼けた木材のようなものが握られているのに気づいた。
 血の気が引いていくのが分かった。周りも、顔色を変える。

「考えすぎだろ」

 そういう獅子王の声は震えている。無いはずの記憶が邪魔して考えがまとまらない。敵襲が? まさか。本丸には必ず太刀三振りは残っている。出るとき、火の元は確認しただろうか? 台所、庭先、近侍刀と主が出入りする部屋……いや、近侍は最早俺ではない。
 震え始めた手を、ぐっと握りこむ。

「隊長。帰還の指示を」

 獅子王は緊張の面持ちで頷いた。勝手に戻ったことを叱られるとしても、何かあってからでは遅い。その場にいる者全員が同じ思いだろう。

「骨喰、僕の馬を使いなよ」

 青江が手綱を差し出す。松風と呼ばれるその馬は、彼にあてがわれたのだから、本来なら彼が使うべきだ。しかし今は四の五の言っていられない。ここで一番速いのは間違いなく自分だ。頷き、やや乱暴に飛び乗った。



 風よりも速かったのではないかと思う。馬を労わる余裕もなく、本丸から立ち上る煙と炎に向かって走った。途中で何人か見かけたようだが、それもすぐに視界から流れていった。早く。早く。失くした記憶が騒ぐ。返事の代わりに強く地を蹴った。

「骨喰兄さん」

 ふと耳に入った声に足を止めた。振り返ると、乱が立っている。涙で汚れた顔に息が詰まった。周りの短刀も皆同様に泣いていた。

「主が、中に」

 指差した方を見れば、もうすぐそこが見慣れた執務室だった。ただし原型はとどめていない。突破できそうな隙間は無いか、考える前に足が動いた。火の粉が降りかかる。走り抜けた後ろから派手な倒壊音が聞こえた。気にしている暇はない。

「主!」

 叫べば煙が肺を焼く。それでも声を上げずにいられなかった。はたして煙は喉を通り、思わず咳き込む。と、そこに、異質な音が響いた。
 ――コン、コン。
 音の方へ駆け出す。倒れてくる家具を鞘で払いのけ、ようやくたどり着いた最奥に、彼女はいた。
 ぐったりと倒れているが、手だけが時折壁を叩く。
 遠くで破裂音がした。もう長くない。すばやく上着を脱ぎ、彼女にかけ、そのまま抱き上げた。


 そこからどうやって戻ったのかは思い出せない。ふと目を開けると、主の煤けた顔が見えた。唇から僅かながらも息が零れていて、ほっとした後、視界は暗転した。



「本当に、申し訳ありませんでした……」

 身体を横たえながら、涙目でそういう主に、俺は黙って首を振る。叱った方が良いのだろうが、それはもう他の刀がやっている。彼女の机に仰々しく積み重なった紙、おそらく始末書を思うと、ここで厳しい言葉をかける気にならなかった。

「いい。主が無事でよかった」

 主が俺を忘れないで、よかった。

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