私は水戸部先輩よりやさしい人を知らない。水戸部先輩は湯タンポの入った布団よりも、駅前のパン屋さんのクリームパンよりも、ずっとずっとやさしい。私は彼が怒ったところを見たこと無いし、誰に聞いても皆口を揃えて「水戸部(先輩)が怒るなんてありえない!」、だ。だから、少し心配になる。水戸部先輩はちゃんともやもやを吐き出せているんだろうか。

 頬のおにくをつまみながら、どうしようかと悩む。水戸部先輩と一番仲が良いように見えるのは小金井先輩だけど、水戸部先輩の心労のほとんどは小金井先輩のせいだと思うので、彼には相談しないことにする。じゃあ誰に?

「心配しなくて大丈夫よ、水戸部くんならちゃんと休んでる」
「はあ……でも……」
「でも、そうね。気づかないうちに疲れているかもしれないし、休息は必要だわ。みんなに言えることだけど」
「! 何か案があるんですか?」
「私がお菓子をつくってきて、練習後に配る……とか?」
「……」

 お菓子なんて、それこそ水戸部先輩もつくって来ないといけなくなってしまう。いや、リコ先輩が悪いんじゃないです。うん。
 やんわりと止めた方が良いと言い残して、今度は黒子くんに話しかける。……つもりが、なかなか見つからない。頬をふにふにやりながら、どうしたものかと考えた。

「ボクがどうかしました?」
「うっわあ!」

 びっくりしたー! お目当ての人物は真後ろで首を傾げていた。

「ねえ黒子くん、水戸部先輩の日頃の疲れを取る方法ってないかな」
「水戸部先輩、ですか?」
「うん」

 黒子くんはしばらくウンウン考えていたけれど、最終的にリコ先輩と同じようなことを言って去ってしまった。

「心配しなくても水戸部先輩は休めてると思います……って、そう言われてもなあ」
「水戸部先輩がどうした?」
「おわあ! なに、火神くん?」

 振り返るとワイシャツのボタンが視界に飛び込んできて、目線を上げれば特徴的な眉毛に鋭い目の火神くんだった。

「いや、水戸部先輩が心を休められるようなことってないかなあって……」

 失礼ながら、火神くんから有益なことは聞けないだろうなと思っていた。しかし。

「んなの本人に聞いちまった方が早いし正確だろ」
「……おお!」
「……お前なんか失礼なこと考えてただろ」
「えっ」

 そんなことないよ! と笑って誤魔化した。火神くんは不服そうにしていたが、私がお礼を言うと、じゃあなと言って立ち去った。

 よし、水戸部先輩のところに行ってみよう。と、前方に水戸部先輩発見! ……あ、行ってしまう!

「せ、せんぱい! 水戸部先輩!」

 慌てて声をかける。水戸部先輩は少しきょろきょろした後、私を見つけて少し笑った。か、可愛い。

「あの、先輩」
「?」

 どうしたの? という風に首を傾げる先輩。やっぱりやさしい。

「先輩はいつも頑張ってて、すごいなあと思うんですが、えっと……なんか、疲れたりしてませんか? 何か休めるようなこととかあったら、遠慮なく……ええと」

 駄目だ、頭がこんがらがってきた。
 頬をつねる。落ち着け私、水戸部先輩を困らせたらいけない。

 不意に、頬を押さえた手に大きな手が重なった。見上げると、水戸部先輩が困った顔でこちらを覗き込んでいた。大丈夫? ……と、言われた気がする。いかんいかん、心配されてどうする。

「大丈夫、大丈夫です。じゃなくて、水戸部先輩は大丈夫ですか?」
「……、」

 ふ、と笑って、水戸部先輩は手を離した。大丈夫、で良いのかな。頬をいじりながら考える。……と、またもや水戸部先輩が手に触れた。
 なんだ? 先輩は何がしたいんだ? よくわからないけれど、水戸部先輩は何故かさっきよりにこにこしているので、まあいっか。

 唐突にチャイムが鳴る。後五分で授業が始まってしまう。水戸部先輩は手を離して、やさしい顔で手を振った。私は先輩に手を振って良いのかと一瞬悩んで、お辞儀をしてからその場を去った。


馬鹿馬鹿しくてすごく可愛い君の癖を知ってるんだけどズット君を見てる俺の特権なので詳細は秘密です


***

困ると頬をつねる癖。

title:いえない

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