※グロテスクな表現があります


 土砂降り。土砂降りだった。落ちてくる水の玉が弾丸のように身体を打つ。腿の痛みも何処かへ行ってしまい、五臓六腑に染み渡るは強烈な悲哀だけだ。腕を伸ばしても泥しか掴めない。唇を噛み締め大地を抉る。今最も欲している人物の名を、乾いた喉を震わせ叫んだ。

「薫―――!」

 咆哮は数回繰り返されたが、嵐の中、響く筈も無い。ややあって嗚咽を漏らし始めたその人は、天より降り注ぐ水を全身で受けている。泥を撒き散らし倒れた彼女は、名をなまえと言った。


 親の庇護を受けることなく育ったなまえは、復讐に生きる南雲薫に容易く同調した。薫の為にその手を汚し、人を騙すことを覚えた。それが彼女にとっての幸せであり、生きる意味だった。薫がその眼を細め、己の頭を撫でる瞬間が至福の時であった。
 彼女は薫の為に生きていた。薫は彼の妹、千鶴のために生きていた。二人の幸福が交わることは無かったが、其々にとって、相手が満ち足りた存在であったのは変わりない。
 二人が望む最高の幸せは、二人が共に過ごした日々にあった。頬を血で濡らし自らを偽ったあの時期が、二人の人生で最も優しい部分だった。当然彼らがそれに気づくことは無く、南雲薫は沖田総司によって生を絶たれ、なまえは泣き叫んでいる。

「薫っ……あ゛、ぁ……!」

 獣のそれと然程変わらない音を漏らし、霞んだ視界を手の甲で拭う。

「、っ」

 鮮明になった視界。目の端に見覚えのある黒を捉え、反射的に飛び起きる。腿から流れる血は勢いを増したが、それに構う余裕は無い。ばしゃばしゃと水を蹴散らし黒に向かって走る。途中急ぐあまり足がもつれ、顔から泥に倒れ込んだ。口内に泥を含んだまま、小さく相手の名を呟く。返事は無い。当たり前のことであったが、彼女には絶望を助長させる要因となってしまった。

 ようやくたどり着いた黒の元。記憶は間違っていなかった。ただ――亡骸と呼ぶには余りに無残で哀しいものだった。黒衣に包まれ横たわるそれは、血を吸われ、カラカラに干乾びた、南雲薫……だったもの。

「……羅刹、」

 掠れた声に怒りが滲む。彼女から流れ続ける鉄の匂いは、幕府が生んだ化け物を誘き寄せていた。

「殺してやる」

 傍に落ちていた大通連を拾い、軽く一振りして水を払った。理由を失くした彼女は、彼の為に復讐をする。



僕の愛しい悪魔


Title by 彼女の為に泣いた




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>>雪子様
リクエストありがとうございました!
暗い話でも良いということで、思い切り趣味に走ってしまいました。すみません……。
苦情、受け付けます!