※涙目二十七話 私が突然倒れてから二週間が経った。体の調子も随分良くなり全快といって良い状態だけれど、どうも皆の態度がおかしい。余所余所しい感じがする。……馴れ馴れしくても困るけれど。 ◇ 本当に珍しく土方さんから呼び出しがかかった。私が副長の部屋へ着いたときには、全く関係のない隊士までもが部屋の前に佇んでいた。好奇心に負けてしまったらしい。それに気づいた土方さんは息巻いて追っ払ったけれど、少しすると再び何人かが障子の傍で耳を立てる。観念した鬼副長は隊士を放って置き、本題に入った。 「山崎に文を届けろ。以上だ」 「いくらなんでも説明が足りなすぎです」 有り得ないほど簡潔な依頼に唖然としつつ、素早く切り返した。対する土方さんは、少しだけ考え込んだ後に口を開く。眉間の皺が増えていた。 「お前、山崎からなにも聞いてねぇのか」 「? なにをですか」 「あー……ったく」 任務中の山崎さんへ書状を届ける。簡単に言えばそれだけだった。それだけのことを、土方さんは息を吐き吐き話した。かなり疲れた顔をしている気がする……いや、本当に疲れているんだろう。 あまり詮索せず、二つ返事で了承した。深入りはしたくない。 ◇ 手紙を届けるだけだ、と言い聞かせて、やっと足は前に動いた。通りを真っ直ぐ、右、右、真っ直ぐ、左。蝉が鳴いている。外に出るなと言ってるみたいで、膝がカクカクと揺れた。目じりに塩水が溜まってきて、思わず心の中で悪態をつく。弱い自分と、土方さん、それからミンミン五月蝿い虫への罵倒。ちくしょう、蝉なんてどっか行け。嫌いだ。 前を向くのはおっかなくて、ひたすら足元を見て道を急ぐ。どすん、と誰かにぶつかって、それでもやっぱり歩き続けた。小さく謝罪を残したけれど、聞こえたかどうかは定かでない。他人を思いやる余裕は持ち合わせていなかった。 「おい、人にぶつかったら謝るって知らねぇのか、アア? おい?」 当たってしまったのが優しい人なら良かった。守られる存在であれば良かった。もう少し注意して歩けばこんな面倒なことにならなくて済んだ。助けを求める勇気も無いから、もうすぐ「大声で人を呼べばよかった」が加わるだろう。 「す、すみません。気をつけます」 「謝って済む問題じゃねーんだよ。手前の所為で気分が悪くなった。ちっとこっち来い」 「いえ、その。ごめんなさい。本当にすみませんでした」 「……野郎の癖におどおどしやがって……。丁度いい、喝も入れてやる」 「やっ……! ごめんなさい! 許して、くださ」 随分前に味わった感覚が蘇る。殴られた頬が熱い。次は腹か、それとも頭か。首を絞められる? 目を押しつぶされる可能性もある。痛い、悲しい。涙がぼろぼろ流れ出て、それに逆上した男が足を思い切り引いた。 『――またね、』また、か。またぐちゃぐちゃにならなきゃいけないのか。なんで私ばっかりとか、そういうのは考え飽きた。瞑目して衝撃を待つ。 痛みはいつまで経ってもやってこない。男の足を腹に食い込ませ、悶絶するのは目に見えていた。どういうことだろう。 目を開こうとした瞬間、頬に何かがついた。生臭い匂いのする液体。耐え切れず、そうっと瞼を持ち上げる。 「下種が」 僅かな水音に声が重なる。光る切っ先から赤い雫が滴っていた。温い風に袖がはためき、鼻腔いっぱいに鉄が広がった後、目玉はようやくその人の姿を認識した。 忘れる筈がない。忘れようとも忘れられない。髪を短く切り揃えた、見覚えのある後姿。手にした刀は千鶴ちゃんのものとよく似ている。 「大事にされてるんじゃなかったの」 「……え?」 誰への問いかけか迷って、自分だと気づくのに結構な時間を有した。衝撃が大きすぎて何がなんだかわからない。誰か助けてと言いかけて、目前の銀の輝きに言葉を盗まれた。人を呼べば殺されかねない。 「よく知りもしない男に殴る蹴るされた女を、あの人間共は放り出すの?」 「ちが、違うんです、お使いを頼まれて、手紙を」 「……本当に愚かだね、お前」 小さな金属音が鞘へ押し込まれた刀の悲鳴に聞こえて、空恐ろしくなった。ここにはない血煙が見える。頭を振って、目の前の人物に集中した。 「お前が一人で生活できるよう、少しずつ突き放しているだけじゃないか。暗にお荷物って言われてるんだよ。……あーあ、見損なった。ちょっと考え直すべきかな」 何を言われたのかわからない。耳が、鼓膜が、拒絶する。嘘だと呟く声は風に飛ばされて音にならなかった。助けを呼ぼうにも、呼ぶ相手がいなくなってしまった。――新選組は、もう信用出来ない。 「なまえ? 大丈夫……じゃあ、ないね。可哀想に」 知らない間にしゃがみ込んで、俯いていた。頭に冷えた温度を感じる。優しく撫でられ、一度止まった涙が滂沱となって溢れた。頬の血を洗い流していく。 私は頭が良くないから、ものを詳しく考えられない。たった今裏切った人と、少し前に暴力をふるってきた人を比べ、更にその人が自分を慰めてくれたとなると――。 「俺はなまえを見放したりしない。大丈夫、何も怖くないよ」 冷たくても、寒くても、人は人だし、優しい言葉は優しい言葉だ。 泣いているときに直球の言葉をくれたのは、私を散々に傷つけたその人だった。 Title by joy *** >>マナカ様 大変遅くなってしまい申し訳ありません。 前々から書きたいと思っていた場面とマナカ様のリクエスト内容が見事合致したため、涙目本編の話とさせて頂きました。 もし都合が悪いようでしたら、遠慮なく仰ってください。 素敵なリクエストありがとうございました! |