咄嗟に、両の掌で瞼を覆った。目が潰れるかと思ったのだ。恐る恐る腕を下ろす。再び視界に映ったそれは、穢れの無い美しいものだった。目の端から涙が滂沱と流れていく。心は世界への賛美に満ち溢れていた。
 嗚呼、ありがとうございます、神様! 私は……私は、この世のものとは思えぬ、天使様と同等、もしくは彼らを上回る貴方の産物に、いたく感動しています! 間違いなく、私は幸せ者です!
 胸中にて感謝を叫び、溢れる涙を拭った。本当にうつくしいものを見たときは、何より先に涙が流れる。人の身でここまで気高いなんて、にわかに信じられない。己が酷く浅ましく醜いものだと理解させられた。駄目だ。私はこのような神聖な場所に存在して良い筈が無い。地上へ、降りたい。神様、神様、神様――!

パチン

「まったく、どうやって対面させれば彼女は落ち着いてくれるのやら」
「? どうした、ルシフェル」
「お前には関係のないことさ、イーノック。……いや、あるといえばあるが……まあいい」
「そうか」

 硬い足音が一つの部屋の前で止まり、続く褐色の足先も、少し行き過ぎてから停立した。

「入るぞ」

 声をかけ、相手の許可を待たず部屋へ入る。少々戸惑った書記官は、迷いの無い大天使を信じて扉をくぐった。
 そして、目の前に広がる光景に絶句する。

「……今度はお前か。一体何回やり直せばいいんだか」

 色とりどりに輝く硝子の破片と、その中心部に蹲る少女。その全てに魅せられ呼吸を放棄した彼は、指を鳴らす大天使の呆れを知らなかった。

パチン

「いいか、自分を見失うなよ」
「わかりました。大丈夫です」

 繰り返し言い聞かされ、いくら相手は天使とはいえ、流石の悠も嫌になってきた。これだけ忠告を受けるということは、相手はとんでもない存在なのだろう。楽しみであり、怖くもある。自身の中でふくふくと大きくなる期待に身を任せ、口元に笑みを浮かべた。柔らかな幸福があたたかい。

「じゃあ……入って来い、イーノック」

 開いた扉、その前に佇む青年。彼の逞しい体躯やくすんだ髪などは全て視覚を通り過ぎ、二つある澄んだ瞳に全身を絡めとられた。天使には無い穏やかな清輝と純真たる顔つきに、悠の心は不自然な動きをみせる。知らない感情だ。
 不安の渦に巻き込まれ身動き出来ずにいる悠を、これまた不安げに見つめるイーノック。ルシフェルに目線で助けを求めたが、彼は携帯を取り出すところであった。

「なあ、これでいいのか? 今回は狂わなかったが……その、別の病にかかったようだ。……ああ、わかった。君の頼みは絶対だ」

 会話を終えたルシフェルは、白々しい微笑みを携えイーノックを見た。

「紹介しよう。彼女の名前は悠。地上の穢れを払う任務を受けている。先程言ったように、お前と同じ人間だ。仲良くしてやってくれ」

 この出会いが地上、そして天使達の運命を変えるとは、神さえも知りえなかった。
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