「まったく、あれのどこを気に入ったんだ? ……いや、そうじゃない。確かに……ああ、君の言うとおりさ。だが、どうにも腑に落ちなくてね……向こうから来た者を受け入れるなんて……わかった、わかったよ。この件は保留にしよう。じゃあな」

 本来ならそこにある筈の無い『携帯電話』をポケットにしまい、大天使ルシフェルはため息をついた。滅多に無い光景に、天使達は顔を見合わせる。あの大天使様が疲労している、何かあったのだろうか。もしくは、何か起こるのだろうか。広がるざわめきを一瞥して徐に歩き出すルシフェルに、天使達は慌てて道を開けた。深々と頭を下げられるのは日常茶飯事だったので、彼は何も言わない。いや、何も思っていない。恐ろしいほど整った眉目と、滲みたゆたう気高さに、黙礼している天使達は思わず息をのんだ。

(まったく、神は私を困惑させるのが趣味らしい)

 コツコツと踵を鳴らし、二度目の嘆息。彼をここまで悩ませる者は、たった一人の少女だった。






 鋭い音が拡散し、不快音が鳴り響く。亀裂に手を沿え一呼吸し、力いっぱいその世界を押し広げる。奇怪な色に飲み込まれた。少女は瞑目し、深い息をする。異質な生き物たちは、カラカラという透き通った柔らかい音に警戒し始めた。自分たちの安息の地に侵入者が現れたのだ。やがて、それは白いワンピースの少女と知れた。まほうしょうじょ。人には聞こえぬ小さなざわめきが広がる。少女はやっと、目を開いた。

「よし」

 声質が年齢を明確にした。十代半ばほどの子供は、拳を痛いくらいに握り締めた。ワンピースの裾が悪戯にはためく。パキリという音と共に何かが少女の背を突き破った。その破片は地面に突き刺さり、生き物達は絶命する。一歩踏み出した足は薄汚れていた。戦いになると彼女が履いていた靴は消滅してしまう。戦闘が終わったら、何事も無かったかのように元通りだ。幼い少女はあの生き物に理由を問うたが、戦闘用の衣服は魔法少女の性質によって変わるらしく、期待していた答えは得られなかった。もうずっと昔の話だ。

「魔女……」

 高台に座り込んだ異形に息をのむ。何度顔を合わせても慣れない。震える足を渾身の力で叩き、活を入れた。気を抜いたら死んでしまう。
 ペキ、パキン。乾いた音が鼓膜を叩く。背に生えた硝子の屑のようなものは、時間に比例して大きくなっていくようだ。巨大な羽で自身を包んだ後、少女は欠片をひとつ取り、薄く広げた。透明な円盤が出来上がったところで羽の防壁を取り去る。魔女からの一撃が入る前に円盤を水平に投げた。鋭利なそれは怪物の喉を引き裂き、中で爆発した。
 しかし少女は再び自身を防御し、今度は細長い槍のようなものを作り出す。相当なエネルギーを使うらしく、額には玉の汗が浮かんでいた。
 僅かに開けた防御壁の隙間から槍を投げる。不気味な叫号と共に世界が崩れた。
 息を吐いて、汗を拭う。目的の物を目で探していると、不意に気配を感じた。

「探し物はこれか?」

 顔を上げると、見知った顔が雑巾のような私を眺めていた。白い手にはグリーフシードが握られている。おずおずと手を伸ばすと、それは放って返された。急いでソウルジェムの穢れを取り除き、グリーフシードはポケットに入れた。多分あと一、二回なら使える。

「不思議な能力だな」

 赤い瞳は、霞んで消えていく硝子の羽を観察していたらしい。羽を見られるのはどうも居心地が悪かった。

「大天使様」
「敬称をつける必要は無いさ。君は別格だからね」

 ため息混じりのそれは特別親しみを込めた声ではなくて、少女は返事に窮する。見かねた大天使ルシフェルは、意地の悪い笑みを投げかけた後指を鳴らして消えた。少女は一人立ち尽くす。戦闘後に来る者などいなかったのだ、驚きで身が固まってしまうのも無理はない。しかも相手は天使の最高位、ルシフェル。想像を遥かに超えた気品と優美さに、少女は何もいえなかった。本物の天使は、皆同等に美しかった。だが、大天使様はその上をいく。

「……私には、無理だろうね」

 日の傾く空に呟いた少女、悠は17歳になっていた。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -