かつて地上で生活していた悠には人への憧れなんぞ理解できるはずもなかったが、それでも時々サリエルやアザゼルの話に付き合った。愛や進化、はたまた家族愛を熱心に語られても、悠が地上に居たのは恋をするには短い期間だし、文明の素晴らしさに感動する年でもなかった。愛を向ける家族は幼い頃に亡くしている。
 彼らが神を裏切るのは、時間の問題だった。

「堕天……ですか」
「ああ。この件はイーノックが」
「あの、私に任せて下さいませんか」

 強大な魔女ということは、たとえ天使であっても毒されるのだろう。もしかしたら本当に自発的な堕天かもしれないが、口付けの可能性もある。一度確かめなければ。
 ふむ、と顎に手をやったルシフェル様は少し困っているようだった。やはりいけなかったか。すぐに発言を取り消そうと口を開いたが、声が出る頃には、唇に白い指が押し付けられていた。

「なら、頼もう。どうか天界を救ってくれ」

 突如薄い笑いを浮かべた大天使が遠くなる。下から吹き付ける風と浮遊感で、自分が落ちていることに気づいた。背を黒い波が撫でる。不快感を感じた瞬間に、筋、肉を突き破って羽が飛び出た。

「ルシフェル様!?」
「タイミングがいいな。神の仕業か? ともかく、その穴から堕天使達の元へ行ける。健闘を祈っているよ」
「で、も!」

 これは負のオーラではなく、明らかに魔女の闇。堕天使のものではない。――大天使様たちは、本当に魔女の口付けを受けているのか? 大天使ほどの純潔と気高さがあろうとも侵されてしまうほどの強大な力を持っている魔女。どう考えても、只で帰れる筈がない。
 ――どうして涙が出るんだ。神のために働けて、私はしあわせなのに。

「神様……」

 かすれ声は風の音に負け、散り散りに飛んでいった。






「……ルシフェル、悠は?」

 少女が消えて数分後、背後に現れた男の言葉に笑いを零す。随分と御執心らしい。

「いってしまったよ」

 振り返らずに一言だけ言えば、踵を返して走っていった。そんな装備でどこへ行こうというのだろう。いくら魂が純真といえども身が弱ければすぐに終わる。……まあ、そこも彼の良いところか。

 只の試験体として堕天使の元へ投与されたなどと、彼女は夢にも思わないだろう。落ちていった時の驚きと絶望の入り混じった表情はまるきり人間のものだった。その戦いが終われば、彼女は敗北を知り、世界、そして神を知る。そのとき全てを受け入れ切れたなら、きっと完全に天界の者と認められるだろう。

「魔女、ねぇ」

 悠は人間のまま帰ってこれるだろうか。
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