「ごめん」

 何がですか、という彼女の問いを無視し、悠は少し歩みを速めた。察してくれと強く思った。自分でも謝罪の理由は混沌としていてわからなかったが。
 大通りは沢山の人で賑わっていて、いつもの癖で怪しい人間はいないか見渡してしまう。
 なんだか不穏な空気を感じる。嫌な予感、虫の知らせというか。羽織を着ていない自分はそこらの町民と同じ風体に見えるだろう。新選組の『し』の字も見せていないつもりだ。今日は彼女がいるのだから、出来るだけ危険は避けなければならない。いや、自分だけでも面倒事は避けるけど。……いや、普通にしてたかも。思い出せない。最後に非番で町をうろうろしたのはいつだったか。
 何をするわけでもなく、人々を眺めながら歩き続ける。何かするべきだと思う。思うけど、どうすればいいのかわからない。気まずいし。甘味処にでも行くべき? ああ、もう面倒臭い。帰りたい。

「あの、悠さん。今日はどこに……?」
「あ、」

 そうだ、名前呼びのこと聞いてみよう。別にどう呼ばれようと構わないけど、話題が無い今、丁度良い質問だ。

「そういえば、名前で呼ぶんだね」
「えっ。あ、えっと……嫌でしたら戻します」
「別に嫌じゃないよ」

 予想通りの反応に返した言葉はいつか言ったことがある気がして、不思議な感覚に陥った。雪村さんもそう思ったらしく、にこりと笑う。反射的に目を逸らした。

「ただ、理由を知りたくなっただけ」

 太陽の位置からしてもうすぐ正午だ。適当な場所で食べていくか。……お金は後で土方さんに請求しよう。
 手ごろな店を見つけ、雪村さんを手招きする。私の質問に答えようと立ち止まって思案していた彼女は慌てて此方へ駆け寄る。

 そして、悪い予感は当たった。

「っわ! ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ……」

 雪村さんと衝突した青年には見覚えがあった。ありすぎていた。きつい目元も黒々とした髪も、自分に似ている。
 青年を一目見た瞬間、飛び込むようにして店に入った。未だ通りにいる少女のことは頭から抜け落ちていた。とにかく顔を合わせたくない。

「あ、待ってください悠さ」
「悠?」

 汗が背を伝う。嫌だ。やめてくれ。こんなことになるくらいなら無理にでも仕事を放って屯所にいればよかった。やはり彼女といるとゴタゴタに巻き込まれる。難しくて、複雑な渦にのまれる。

「……姉ちゃん?」
「え、」

 姿は現さない。小さく、それでも通る声で少女を呼んだ。

「雪村さん、早く」

 青年の苦々しげな表情が目に見える。それでも、知らないふりを続けた。
 雪村さんが暖簾をくぐって此方に来る。と同時に、数年ぶりに聞く弟の罵声が響いた。

「……この、親不孝者!」





 泣かない。
 仕方の無いことだ。親不孝、その通りだ。全て正しい。私は親を、そして弟を苦しめている。私がいればもう少し楽な生活が出来た。悪いのは私だ。なんて馬鹿な人間なんだろう、私は。

「悠さん」

 一瞬静まったものの、すぐにざわめきに包まれた店内。先程とは逆に、雪村さんが私の手を引く。白いその手は少し冷えていた。

「私は、悠さんともっと親しくなりたくて、頼ってもらいたくて、それで……それで、名前で呼ぶことにしました。許可を得なくてすみません。……私、悠さんが嫌なら名前で呼ぶのはやめます」

 私よりずっと小さな手が奥の席へ私を誘導し、座らせる。なんとなく握り返すと、小さな肉刺が指に触れた。

「嫌じゃないよ」

 それでもまだ、君の前では泣けない。


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