「高橋」
「今日は非番です」
「雪村が稽古場にいる」
「前から休む予定でした」
「あいつの見張り役はあんただろう」

どうせどこかで怠惰を貪っているのだろうと思い縁側を歩いていると、矢張りあいつは自室の前に居た。一見真っ直ぐに前を見つめる様は一人の武士であるが、当人は何も考えていないのは分かっていた。遠慮なく腹から声を出すと、素早い返答を寄越してきた。注意力は以前より増したらしい。

「医師の娘が己を鍛え、武士が鍛錬を怠るとはどういうことだ」
「私にも分かりません」
「あんたも行け」

自分で発しておきながら、その声の低さに驚いた。向けられた相手は当然畏怖し、素早く立ち上がる。欠伸をしようとして、目の前にいるのが俺だと思い起こし、慌てて噛み殺す。持ち物の少ない高橋に貸した藍の着物は、見事な皺が出来ていた。

「行ってきます」

立ち去る背中を、その場で眺め続ける。
浪士の刃が彼女の腹を抉り、死の淵まで追いやったのは、耳新しい出来事であった。一部の隊士はそれを陰で嘲笑い、罵っていた。高橋に非が無ければ注意も出来たが、傷が完治していない状態で隊務に出たのが悪い。早く己の非に気づき、真に力を振るえるようになればいいと、心の底から思う。でなければ、結果的に全てを捨てて此処に来た彼女は、何のために生きるのか。家族にも申し訳ない。せめて、自分を守れる程度に強く在ってくれれば。

……嗚呼、そのために雪村がいるのか。



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