僕には一人の幼馴染がいる。彼は生まれつき盲目で何をするにも僕と一緒で、いつの間にか僕がいないとダメになってしまった。それは僕も同様で。
それを世間一般で恋というのかはまだ定かではないけれど。
「千鶴、ボタン掛け違えてる。」
僕がそう言うと細く白い指先がポロシャツのボタンを探す。おどおどと動く手を掴んで、僕がボタンを一つ一つ掛ける。
「できたよ。」
ボタンが相当掛け違えてたからシャツにいくつものしわが寄っていた。
「ありがとう夕夜。やっぱり、夕夜がいないとダメだね。」
彼が盲目なのはこういう時に嬉しいのかもしれない、赤面を必死にこらえようとせずまじまじと顔の整った千鶴の顔を眺める。千鶴は鼻が高く、奥二重で女子のような長いまつげにサラサラした猫毛は日本人とは思えないくらい綺麗だ。
綺麗な顔立ちの千鶴と逆で僕はいたって普通の顔である。いつも一緒に行動するたび周りの女子からは、「なんで千鶴くんと夕夜が」みたいに言われ、千鶴は姉ちゃんの少女漫画にでも出てくるようなモテキャラになっていた。だが、千鶴本人が自分の顔を把握していないため周りにかっこいいねと言われても「そうなの?」という感じだ。それに千鶴は自分に好意を寄せる人の顔も見えない。それに安心しきっていた。
でも。
途中から怖くなった。千鶴が僕の素顔を知ってしまう時が来ることを。今までもだがこれからも千鶴は手術を何度だって受けることになる。技術の進化がある今の時代いつか千鶴の視力がよくなって普通になるんじゃないか、そしたら僕の平々凡々の僕の顔を見てどう思うだろうか、他の友達とももっと溶け込んで僕から離れていってしまうんじゃないか。一番側にいる僕が一番じゃなくなるんじゃないか、考え出したらキリがない。これは恋なんだろうか、それとも宝物を取られるのが怖いのだろうか。
生まれつき目が不自由な千鶴は3歳ぐらいまでは視力は少しだけあったらしい。だが徐々に視力は落ちていき今では全盲だ。生まれた病院病室が一緒誕生日は2週間違い僕が後に生まれた。その影響で親同士が仲がよくもう兄弟みたいなものになっている。
千鶴は小学校中学年で初めて手術を受けた。退院すると家に帰らずに真っ先に僕のところへ来て泣き喚いた。治らなかった。夕夜の顔が見れない、と。
近所の人が覗きに来るくらいには声を荒らげ嗚咽を漏らしながら泣く千鶴を見て背中をさすっていた自分まで泣き始めた。せめて片目だけでもよくなれば。と―――――
―――8月下旬
朝から電話が鳴った番号は千鶴の家の番号からだった。
「はい、もしも――――」
「聞いて夕夜!」
いつもより弾んだ声で話しかけてくる千鶴に少し驚く。
「随分元気じゃん。どうしたの?」
このテンションは何があったのか聞かないといけないとか把握している。
「あのね、9月から都内の大きい病院で入院して10日に手術するんだ…!最先端の技術を使うらしいから度が強いメガネをかければ少しは見えるようになるんだって!」
―――言わなきゃ。゛おめでとう″って、普通に出来るねって、言わなきゃ。
「そっか、よかったね千鶴。」
「うん、退院しても包帯巻いて一番に見るのは夕夜にするか――」
「手術成功したら、もう二度と俺に関わるなよ。」
ちがう、違う。こんなことが言いたかったんじゃない。僕は何を、色のある世界に憧れていた僕の一番の幼馴染の願いが叶うじゃないか、喜ぶべきことなのに、なんで、なんで僕は―――――。
「なんで!?俺、夕夜に何か悪いこと、」プツッ
電話を切った。僕は最低だ―――――――。
その後、食事も喉を通らなかった。スマホを確認すると最近やっと文字の打ち方のコツを掴んだ千鶴から送られてきたところどころ誤字があるメールが何件も届いていた。返事はしなかった。それから千鶴からメールはこなくなった。当たり前だ。
明日は9月1日明日から千鶴は都内の病院に行ってしまうんだろう。
離れて欲しくないと強く思っている癖に僕は自ら千鶴を突き離した。
9月10日。今頃大手術をあんな細身の体で受けているんだろう。麻酔って相当負担らしいし、考えていることは全部千鶴のことばっかりで突き離したことを今更後悔する。明日、手術が成功して、学校に行って周りの奴に囲まれて次は逆に僕を突き離すんだろうな。
ベットのシーツを溢れる涙が濡らした。
気晴らしに散歩に出た。夕方のこの時間は部活帰りの中学生とか、犬の散歩だとか、親子連れだとか。でも、今はとても人を見る気にはなれない。散歩コースを抜けて並木道を歩き始めた。立ち並ぶ木を左右交互に見回しながら歩いていると。
「夕夜…?」
肩がビクンと震える。家族よりも聞き覚えのある声。咄嗟に走ろうと身構える。でも、それは既に遅く僕の右腕は掴まれていた思わず振り返る。
「―――――千鶴。」
僕と千鶴の視線が交差する。その瞬間千鶴の瞳から大粒の涙が溢れる。
「俺…ほんの少しだけど見えるようになったんだよ……」
涙は沈んだはずの夕日と同じ色の明かりに照らされる。千鶴もはじめての眩しさに目を押さえる。それでも、ポロポロと涙を零す。残照に照らされて涙がより一層輝く。
ふと、気づいた。自分の右手に何か握らされていた。
―――――――彼岸花だ。
「綺麗だよね。俺は初めて見たけど。」
涙を拭いながら千鶴が言う。
「ごめん、千鶴――――。」
「ねえ、夕夜。彼岸花の花言葉知ってる?」
唐突に聞かれた。女じゃあるまいし、花言葉なんて僕は知らない。千鶴は口角を少し上げ微笑む。
「想うはあなた一人。好きだよ夕夜。」
顔から髪の毛までオレンジ色で照らされる。その姿は見とれてしまうくらいとても綺麗で。
「僕、千鶴に素顔を見せるのが怖くて……。」
「俺は夕夜の全てが好きだよ。夕夜の優しさも全部俺が一番知ってるから。顔に自信がない?俺には世界で一番綺麗に見えるけどな。」
嬉しいはずなのに涙が止まらなくって、夕日は見えなくても。光は見えて、でも涙でぼやけて、霞んで、よく見えなかった。
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