「中嶋、お父さんどこ行ったの」


佐原は空気が読めない。いつだってそうだった。
サッカー部の友人の中体連を一緒に見に行ったとき、惜しくも負けてしまい部員が涙を流していたところに、佐原は「なんで2年泣いてんの?来年あんじゃん」と無神経な言葉を簡単に口にした。部員は怒るっていうより、呆然としていた。だけど、多分その時の佐原の言葉を覚えている人はあまりいないと思う。その試合のことでいっぱいいっぱいで、聞いていないやつだっていたし。

佐原は空気が読めない。触れてないことに触れてくる。ほら、まただ。


「昨日外出たら、中嶋のお父さんが大きいバッグ抱えて出てきたから、どっか行ったのかなって」


見てたのかよ、って思うより先になんでそれ俺にわざわざ聞くの、って疑問のが気持ち的には早かった。

だって、結構誰にでも分かることじゃん。俺の父親はそのまま家に帰ってこなかったし、離婚したんだよ。
そのまま伝えたら、佐原は「そっか。そうなんだ」って言って教室を出て行った。


佐原は空気が読めない。気の利いた言葉を言えない。



俺も帰ろう、と少し汚れた使い慣れたリュックをしょって、教室を出ようとした。
そしたら、ぱたぱたってなんか走ってくる音が聞こえたからなんとなくドアから外を覗いたら、佐原が自分の荷物を持ってこっちへ来ていた。


「中嶋、帰ろ。あと、元気出そ」



佐原は 空気が読めない。

だけど、ただかなり頭の回転が遅くて、ちょっと不器用なだけだ。



無酸素状態の僕ら



「なんでさ、離婚っていう風になったの?」

「父さんの浮気が原因だと、思う」

「ちゃんと知らないんだ。理由聞かないんだ」

「…聞くことが、良いことだとは思わない」


正直、聞きたくなんてなかった。そんなこと。聞いてしまったら、俺の両親への気持ちがぐんと落ちる気がして怖かった。
まあなー、なんて。あまり興味の無さそうな返事と共に、白い息をゆっくりと吐き出した。そして、話題はあっという間に変わって冬の話になっていた。


「サンタっていると思う?」

「いないよ。だってどう考えたって、あの一晩で世の中の子供達全員にプレゼントをあげるのは不可能でしょ。しかも、日本だけじゃないし」


いやまあ、確かにサンタはいないけどな。分かっててくだらない質問する俺は馬鹿だと思うけど、その質問を真面目に返してくるこいつだって馬鹿だ。
わざと真面目に返している風でもなく、常に本当の顔をしていた。だから、それなりに俺は佐原を信頼していた。


「…プレゼント、もらえるかなあ」


ぽつり呟いた対して意味の無い言葉は佐原にも聞こえていたみたいで、マフラーを口元まであげてから、こう言った。


「何が欲しい、っていうの親に言うのやめたら。それで、もしプレゼントが自分の欲しかったものだったら、サンタはいるってことになるでしょ」


だから、サンタはいないって分かってるっつーの。



◆ ◇ ◆



ある日、突然父さんの夢を見た。

小さい頃、一緒に公園でサッカーをした夢だ。父さんはわざわざコーンを買ってきて、それを並べて俺にドリブルの練習をさせてくれた。
その後は母さんに内緒でコンビニでソフトクリームを食べた。口の周りがべたべたになったけど、ティッシュで綺麗に拭き取ってくれた。そんな、父さんとの思いでの夢だった。
過去を振り返れば、すごい良い父親だったんだと思う。だけど、今の俺は父さんに対してただただ気持ち悪いという思いでいっぱいだ。この思いをぶつけたい人はもう俺の近くにはいない。





クリスマスの前日。

クラスの奴らは家族やら彼女やらと過ごすなんて言っていたけど、どうせ俺は1人だ。ていうか、父さんも出て行くなら最後のクリスマスくらい一緒に過ごしてくれればいいのになー、なんて。
プレゼントはこれが欲しい、だなんて母さんには言っていない。それは、佐原に言われたからじゃなくて、元からもらえるだなんて思っていないからだ。高校生にもなってプレゼントをねだるわけもなく。
母さんは、今日、俺に早く帰ってこいと言った。離婚したことを気にしてか、珍しくパーティーをしようだなんて言った。別に嬉しくないわけじゃなかったけど、それが慣れていないからか妙にむず痒くて、恥ずかしいっていうか。少し帰りにくかった。


帰り道になんとなく父さんとサッカーをした公園に寄った。
空は薄暗くて、公園に人はいなかった。まあ、クリスマスイブにわざわざ公園に来るやつもいないしな。
1人でブランコに座って、少しだけ揺らしてみた。だんだん揺れが大きくなって、風も強くなってきて。勢いも増して高さも上がる。
このままどっか飛んでいけないかなーって馬鹿なこと1人で考えたら、少し吹き出して笑ってしまった。阿呆くさ。だっせえ、俺。

ブランコの勢いを止めて帰ろうかな、と思い始めた頃、後ろから声が聞こえた。


「クリスマスイブに1人でブランコ飛んで笑ってるとかまじ痛ぇ」


急いで後ろを向くと、笑いをこらえている姿をマフラーで隠している佐原がいた。隠しきれてねえんだよ、ばーか。でも、確かに佐原のいうことは正しくて、まあ周りから見たらそんな感じなんだろうなーって。何故か佐原は俺の横のブランコに座ったけど、なんで座ってんだよ、とは言わなかった。佐原と会えたことが嫌じゃなかったんだと思う。むしろ、横にいてほしかったっていうか、うまくいえないけど。




「なんで此処にいんの」

「…ツバキって花知ってる?冬に咲く花」

俺の質問には完全無視の答えが返ってきた。しかもそれは答えっていうか、質問返しっていうか…。よく分かんないけど、こういうことには慣れてる俺は、普通に返事をした。


「知ってるよ」

「なんで冬に咲んだろ。俺だったら、寒くて凍え死んじゃうよ」

「……頑張り屋なんじゃない。我慢強いんだよ」

「違うよ。9月頃になると、ツバキは眠りにつくんだよ」


こいつさすがだわ。相変わらず人を苛立たせるのが得意っていうか…。答え知ってるんだったら、俺に質問して馬鹿な答え方させんなよ。回りくどいし。
だけど、こんな阿呆らしい会話も、家に帰るよりはましだと思った。


「ほんの少し眠りについて、それから冬に花を咲かせるんだ。ツバキにとって、冬は大した寒さじゃない」

「へえ、物知りだな、お前」


「我慢強いって、すごいことなのかな」

「…すごいんじゃないの。だって、我慢してんだろ、偉いじゃん」

「そうなのかな。我慢っていえば聞こえはいいけど、実際はただの逃げかもしれないじゃん」

「……」

「何があったか聞かないで頑張って我慢しようと思うことって、本当に偉いことなのかな。頑張るってそういうことなのかな」




佐原、お前ちょっとうざいよ。


軽く笑って言ってみた。冗談っぽく言ってみたけど、内心本気だった。俺の気持ちも知らないくせに他人事みたくペラペラ薄い言葉並べてんじゃねえって本気で思った。でも、図星で何も言い返せなかった。本気で言えなかった。本気で言ったら、俺のしていることが逃げだって認めてしまうから。

佐原は、俺の顔を見て言葉を続けた。



「別に逃げんなって言ってんじゃないよ。俺がそれを言える立場じゃない。けど、」


佐原は空気が読めない。



「我慢すんのだって、逃げんのだって疲れんだよ。だから、お前もちょっと休眠したらどうなんだよ」


佐原は空気が読めない。

だけど、こいつが良いやつだってこと知ってる。周りのやつらはうざがったりするけど、俺だってするけど、だけど、どれだけ周りのこと見てるかってこと知ってる。





「あーーーーー、まじださい。俺ださい」


長めに続けた「あ」が微かに震えた。鼻がわさびを食べたときのようにつんとした。目頭が熱くなってきて、眉間に皺が寄った。両手で顔を覆い、笑いながら泣いた。
お前の言葉、魔法みたい。だって、俺の不安一気に取り除いちゃうんだもん。すげえよ、お前って。まじかっけえ。

鼻をすすって目をきつくこすると、そっと佐原の手が俺の手に触れた。
佐原は俺の目の前に移動していて、膝を曲げて俺の少し下から見上げるような体制でいた。そして、


「…っ」


そっと唇に触れた突然の柔らかい感触に目が開いた。呼吸を止めていたから、酸素が取り込めなかった。少し長かったそれに、放されたと同時に俺は息を思い切り吸った。


「お、おま…」

「鼻。鼻で息するんだよ。知ってた?」

「そうじゃなくて…っ」


冬なのに汗をかいてしまいそうなくらい焦った。驚いて、心臓がばくばく音をたてて、きっと顔も赤いんだろう。
だけど、自分の心の片隅にある気持ち。



" 足りない "


今度は俺から佐原に詰め寄ると、佐原は面白そうににやりと笑って、口を開いた。こいつの笑った顔、久々に見たかも。と、ほんの少しの余裕はあった。だけど、



くるしいくるしいくるしいくるしいくるしいつらいつらいつらいつらいつらいつらいたいいたいいたいいたいいたいいたいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいつらいつらいつらいつらいつらいつらいたいいたいいたいいたいいたいいたいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいつらいつらいつらいつらいつらいつらいたいいたいいたいいたいいたいいたい



ちゃんと呼吸してるのに、俺はまるで無酸素状態のように苦しそうにもがくような顔をしていた気がした。

サンタさん、俺に「幸せ」っていうプレゼントをください。
なんて。あーあ。阿呆らしい。




title:さよならの惑星