チューニングと基礎合奏を終えた後、部長から個人練の指示が掛かった。楽器や譜面台を手に持ち、部員が散らばろうとしたら、部長がちょっと待った、と大声で皆を引き止めた。
部員全員の視線が向く。部長はみんながいる事を確認して、クリアファイルから取り出したメモを読み上げ始めた。
来月、老人ホームで演奏会を頼まれたので、予定を入れないようにすること。演奏する曲は、今取り組んでいる曲の中から3つ。後日、こちらで指示する。
明日から連日、県の音楽祭に向け、顧問による合奏。
野球応援参加希望者は、この後残って部長まで。


「以上!よろしくお願いします!」


ハイッという大きな返事は、部室内で反響した。
皆がそれぞれの場所に散らばって行っても、私はその場で立ち尽くしていた。部長のもとへ行くためでもあるのだが、それ以上に驚きで硬直していた。
野球応援って、部員全員でするものじゃないのか。
テレビで見る大会は、吹奏楽部員がスタンドを占領し、大勢で短い曲を繰り返し吹く。特に甲子園出場校などは、テレビで見ていても迫力を感じられる演奏をしている。ただ、吹奏楽コンクールを近く控えているので、スタンドで演奏しているのはコンクールで壇上に登らない、いわゆる2軍の生徒だ。しかし、1軍が全員壇上に登る学校は、皆で野球応援に行くらしい。
うちの高校はコンクールに出ないが、その代わりというのだろうか、県で開催される音楽祭に出る事になっている。音楽祭では、管弦楽部や、筝曲部の演奏、また合唱などが発表する場となっている。吹奏楽コンクールのシード校である例の女子高も参加するらしい。少し気まずい。
まあ、よそはよそ、うちはうちなのだろうと勝手に納得したところで、部長が残ったメンバーに召集をかけた。
部室に残ったのはたったの4人で、メンバーは打楽器の智花先輩と、ラッパの松田先輩、ユーフォニウム兼トランペットのショーちゃんと、トロンボーンの私だった。人数が少ないのと、低音が1人も居ないのが致命的だ。アンサンブルどころじゃない。
集まった4人を見て、部長は苦笑している。集まった私達も、自然と苦しい笑い方をした。


「応援団の団長に、部員をチョットダケ貸して欲しいって頼まれたんだけど、希望者少ないね。ショーちゃんをトランペットに含めるとしても、この人数じゃなァ」


むっとした顔をして、部長は頭をかいた。断る方向で話しが進まない事を祈った。
暫し沈黙が続く。横目でショーちゃんを見たら、口をもごもごさせていた。何か言いたいのだろう。私も言いたい。
そう思ったと同時に、私はあの、と口走っていた。部長は出鼻をくじかれたような表情をして、なに、と言った。


「人数が少なくても、野球応援、やっていいんですよね?」

私の質問にまあ、と答える部長に、続けて言う。

「私、やりたいです。ダメですか」

その言葉を聞いたからかは分からないが、隣にいた松田先輩が私の頭をわしゃわしゃと撫で、智花先輩には抱きつかれた。ショーちゃんはキラキラした目でこちらを見ている。
部長は最初こそ目を丸くしていたが、最後には笑顔でガンバって、と言ってくれた。
松田先輩と智花先輩は既に団長に頼まれていたらしく、私が先陣を切って言ったことが嬉しかった、と言っていた。少し照れた。
先輩は、団長と話し合いながら予定などを決めていくと言っていたが、団長は1年生なので、もしかしたら私達1年に色々頼むかもしれないとも言われた。あと、ショーちゃんはまだトランペッターとして実力不足だということで、途中から参加するらしい。
雑談し尽したところで、なんの曲をやるかの話し合いをした。この曲やりましょうと何曲か挙げると、笑われた。曲選が古くて、メジャーなものだらけだ、と。
ワクワクしてきた。早く、テレビで見るようなあの球場の雰囲気を味わいたい。あの感動を、みんなと共有したい。
反面、心残りなこともあった。吹奏楽という形で、観客席からグラウンドに向けて2人にエールを送りたかった、なんていうのは、叶わないし望まれていない事だ。


* * *


数日後の昼休み。9組の教室に向かっていた。ショーちゃんを誘ってみたが、先生に用事があるから行けないとやんわり断られた。先輩方も来ることが出来ないそうだ。1人で行くのは心細いが、関係のない人を付き合わせるワケにもいかないし、あまり長い時間居るつもりもない。別にいいかと割り切った。
9組は8組をまたいだ教室なので、すぐに着く。団長の特徴は松田先輩から聞いた。確か、背が高くて金髪の人。名前は浜田君。
案の定1分もかからずに9組の教室に着いた。ドアにある窓から、金髪の人を探そうとしたが、窓が小さいので広々と見渡せない。いろいろな角度から見てみたが、どうも見つからない。小さく溜息をついたところで、教室からハルナのカノジョ!という大声が聞こえてきた。私の事に違いないと重い、声の方を見てみたら、そばかすの男の子がぶんぶんと手を振っている。田島君だ。大声で呼ばれたからか、クラスの子の視線が私に集中している。顔に熱が集まっていくのを感じながら、ひらひら手を振って9組教室に足を踏み入れた。田島君の近くには多分泉君という子と、三橋君と、あともう1人、知らない人が居た。金髪で、身長も高い。あと、ヤンキーのようでちょっと怖い。おそらく、彼が先輩方の言っていた、応援団長の浜田君だ。


「恥ずかしいからヤメてよ!あと、カノジョじゃないし」
「わかった、間宮はゲンミツに知られたくないワケね」


小声で言ってくる田島君。厳密の使い方を間違えている気がする。誤解が解けていないようなので、「幼馴染だから」と念を押しておいた。
近くにいた三橋君と泉君にこんちは、と挨拶をしたところ、泉君はちわ、と、三橋君は挙動不審になりながら、途切れ途切れにコンニチハと返してくれた。
それにしても、田島君が私の事を覚えていてくれたのは心外だった。榛名の彼女とイコールで結び付けられている事もだけど。ハルと何らかの関係があるからだろうか。
少し彼らと雑談をしてから、泉君に何をしに来たのかを聞かれた。はっとなり、私は金髪の、おそらく浜田君に向き直る。


「あの、浜田君デスカ」
「え、そうですケド」


困ったようにこちらを見る彼。先入観で人を見てしまう癖を恨む。すごく優しそうな人だ。
私が誰だか分かっていないようだったため、簡易に自己紹介を済ませた。よろしく、と言い合ってから、それから応援の件について話し始める。野球部員達は始めこそ興味津々に話を聞いていたが、少ししたら机に突っ伏して寝ていた。浜田君はいつもの事だから気にしないでいーよ、と言った。夏の大会の対戦相手が決まってから、朝練と放課後練が長くなり、昼休み中に寝ないと体力が持たないそうだ。千代も大変なんだろうなあ。部活帰りにお手伝いでもしに行こうか。


「応援は2回戦からだよね。シード取ったって聞いた」
「そーそー。花井すげーよな、去年の夏大優勝校引くなんてさ」


ハハハと笑ってから、私たちは困り顔になった。考えた事は同じだったようだ。
練習時間を増やしても、確かうちのグラウンドに照明器具が無い。それに、グラウンドはソフトボール部やラグビー部と分けて使っているらしく、満足に練習は出来ていないとタカヤ君から聞いたことがあった。今は明かりのある場所を探して、敷地内を転々としているらしいが、どう考えても桐青の方が練習量も質も高い。
果たして、西浦は昨年の甲子園出場校の桐青に勝てるのだろうか。
勝ってほしいのは山々だが、やはり不安だった。
ふと、浜田君が口を開く。


「応援団がタメ息ついたらダメだって、監督に言われたんだ」


突然切り出された話にきょとんとしてしまう。浜田君は朝練に参加させてもらった時の話なんだけど、と続ける。
リラックスに条件付けの話と、応援団は選手のやる気を奪う事ができる、みたいな話だった。前者は浜田君自信ちんぷんかんぷんだったらしく、抽象的にしか話してくれなかったが、後者に関しては彼も思うところがあったのか、こと細かく説明してくれた。私は相槌を打ちながら、彼の話を聞いた。浜田君は本気だ。野球部の皆も、監督も、志賀先生も、千代も、皆本気で桐青に勝とうとしている。
なぜ、私はこんなに弱気になっているんだろう。
ダメなんかじゃないに決まっている。
私たちは練習の差を補うくらいの応援をしなければ。


「頑張ろうね、私たち」


口をついて出た言葉に、彼はにこりと笑って、おうと言った。
話も途切れてしまったから、じゃあねと言ってそそくさと教室に戻る。戻ってきた私を見るなり、友人は面白そうに笑った。浜田君の爽やかな笑顔とは全く相対的である。


「浜田クンと仲良くなれた?」
「仲良くなるために会いに行ったんじゃないです」


あははと友人は笑った。
その後、友人から浜田君が留年していた事を教えてもらった。ひとつ年上だったのだ。思わず顔が青ざめた。失礼な口調で話してしまったのではないか。その姿を見て友人はまた笑ったので、私は一度肩にパンチを食らわせた。部活の時には松田先輩と智花先輩になぜ教えてくれなかったのか、とさりげなく文句を言った。やはり笑われた。
翌日、9組に謝りに行った。泉君が腹を抱えて笑う姿が目に焼き付いている。クールな人だと思っていたから、ちょっと意外だった。田島君と三橋君は相変わらずだった。
結局、浜田君は呼び方もそのままで構わないし、敬語じゃなくてもいいと言ってくれた。申し訳ないけれど、そうさせてもらう事にした。一緒に来てくれた友人は、なぜか楽しそうに笑っていた。
9組に足を踏み込んだ事で、さらに世界が広がったような気がした。
喜ばしい事なのに、素直に喜べない。
なぜなのか。
それは多分、あの2人のことが心残りだから。