自ら罠を作り上げて捕らわれにいくなんて | ナノ



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(無防備なのは私の方だったのかもしれない)



 廊下で擦れ違った教師に押し付けられる形で渡された書類の束を抱え、目的の一室の前に立てば扉に身体を寄せ、数回扉を叩く。しかし中からの反応はなく、鏡華は首を傾げながらノブに手を伸ばすとそれはカチャリと音を立てた。ーー鍵は掛かっていないようだ。
 仮に無人だとしても置き手紙のひとつでもあれば伝わるだろう。そう判断すれば扉に体重を掛け書類を落とさないよう用心しながら中へと足を踏み入れた。
「窓も空きっぱなしって……まったく、誰もいないなら戸締まりぐらいしなさいよね」
 外から流れ込む風にゆらゆらと揺らぐ白いカーテンに溜め息を吐きながらよいしょ、と書類を机の上ーー風に飛ばされない位置に置けばメモに使えそうな紙切れとペンを探すべく室内を見渡す。と、部屋の隅の、出入口からは死角になっているソファーに仰向けで寝転がっている人物に目が留まった。見間違える筈のない、生徒会長でもある兄であった。
(……もしかして兄貴、寝てる?)
 そろそろと歩みを進め距離を縮めれば静かな寝息が聞こえてきた。部屋が施錠されていないのも、窓が開放されたままなのも、これで納得はいく。思えば、最近の兄は昼夜問わず忙しなく動いていたように感じる。生徒会長として、上流階級の人間として。
(眼鏡かけたまま寝てるし……相当疲れてるのね。でもこれ、寝返りとかしたらフレームが歪んだりするかもしれないわね。べ、別にそれはどうでもいいけど……でも、歪んだ眼鏡なんて兄貴の体面悪くなるし、外してあげよっかな)
 その場に腰を下ろすと恐る恐る手を伸ばし、フレームを摘まめば兄を起こさぬようゆっくりと眼鏡を外していく。思えば、兄の寝顔を目の当たりにするのは久し振りだった。伏せられた双瞼、寝息の溢れる口元、それでも無防備さを感じさせないのは何故だろうかーー実は狸寝入りではないのかと疑う程に。だがそう考えていても時間の無駄だ。用事を済まして早く教室に戻ろうと手にした眼鏡を机に置くべく立ち上がる。と、ふと壁に掛かる鏡に目が留まり、同時に好奇心が擽られた。
(……私が兄貴の眼鏡を掛けたらどうなるかな。ま、私の方がきっと似合うだろうけど試しにやってみようかな。どうせすぐには兄貴も起きないだろうし)
 鏡の前に立てば両手で眼鏡を持ち、軽く当てるように顔へと寄せた。度数はキツくないようだが眼鏡を必要としない鏡華には視界をぼやけさせるには充分過ぎるものであり、完全に掛ける事は出来なかった。兄よりも色素の薄いこの桃色の髪には少々違和感のある色合い、それが最初に抱いた感想だった。眼鏡を外せばくるりと振り返り、兄が眠っている事を確認すれば机上に眼鏡を置き、再度彼の眠るソファーへと向かう。しゃがみ込み、まじまじとその寝顔を見つめる。上に立つ人間としての威厳さを漂わせる整った顔立ちをしており、言動も時折感情的になるものの先を見通した冷静な判断力、全てを従わせる程の強い態度を持ち合わせている完璧な人間、と人々は兄を評価する。但し鏡華自身はそうとは思えなかった。鏡華の中では血を分けた兄妹であるにも関わらず異常なまでの愛情を自分に注ぐ兄が基準になっている。周囲が評価する兄の姿を見ていない訳ではないし、見慣れてもいるがその二面性を誰よりも近くで実感しているせいか、ちやほやともて囃される兄の姿はあまり好きではなくーー決してそれは嫉妬ではない。
 時計の針の音だけが鼓膜を震わす。
(そろそろ戻ろうかな。とりあえず窓を締めておけば後は放っておいても大丈夫よね? って、メモを書くの忘れてた!)
 ハッと机に視線を向け、立ち上がろうと腰を上げた瞬間、腕を捕まれて鏡華はふらりとバランスを崩し、ソファーで寝転ぶ兄の胸元に飛び込むような形で倒れ込んでしまった。何事かと顔を上げようとすれば頭を押さえ付けられ、身動きが取れず、ぎゅっと目を瞑りながら声を荒げれば、くつくつと鏡磨の低い笑い声が聞こえた。
「あ、兄貴! やっぱり寝たフリだったのね!」
「いや、さっきまで本当に寝てたぞ?」
「嘘よ! 私がいるって分かってたくせに!」
「うとうとしながら目ぇ開けたらたまたま鏡華がいたんだよ」
 身体を起こした鏡磨は鏡華の脇下に腕を伸ばし軽々と抱き上げて自分の隣に座らせた。むくれたように唇を尖らせながらも抵抗せず、頭部に愛撫を受ける鏡華に顔を近付ければ頬を叩かれ、顔を逸らされる。まあ、予想通りの反応である。
「……もう、鍵も窓も開けっ放しで何寝てるのよ。もう少し警戒しなさいよ」 
「なんだ、心配してくれるのか? さすがマイスウィートシスターだな」
「べ、別に! 心配なのは兄貴じゃなくてここにある書類とか、そういうのだから……って、何してるのよ」
 自身が発した警告に上機嫌になる兄に微かに頬を染めながら俯き、早口で言葉を紡いでいるとふいにソファーが軽くなる感覚がして、顔を上げればいつの間にか扉付近へと移動していた兄の背中が見え、次いで施錠の音がした。鏡華からの問いに、鏡磨はにんまりと微笑みながら振り返った。
「あぁ? 言われた通りに鍵を掛けただけだが?」
「……何、私に帰るなってこと?」
「よく分かってんじゃねぇか。いい子だな、鏡華」
 戻って来た兄にそのまま押し倒され、柔らかいソファーに身体が沈んでいくのを感じ、鏡華は深い溜め息を吐いた。漸く眼鏡を掛けていない事に気付いたのだろう、辺りを見渡す様子に飽きれ、机を指差すと納得しとように頷かれた。とはいえ、今眼鏡を掛けたところでまた邪魔にしかならないだろう。
「……窓も閉めてよ」
「そうだな。鏡華の可愛い声も姿も、俺だけの物だからな」
「……っ、バカ兄貴っ!」



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