地球は今日も、平和に回っている。




───────────────
「土方くん好きです付き合ってください!」
「邪魔だどけ、公務執行妨害でしょっぴくぞコラ」
真昼の往来での大喧嘩、そして居酒屋で酔い潰れた土方を背負ってから約一週間、歌舞伎町では最早見慣れた光景に市民は一瞥すると足早に通り過ぎてゆく。歩道の真中で子供じみた応酬をしたかと思えば、何時の間にやら顔を合わせる毎に痴話喧嘩としか思えない夫婦漫才を繰り返す、ニート崩れの銀髪とまるで威厳を感じなくなった武装警察の副長株の噂は町中に拡がっており、今では寺子屋の少女らの間でも気安く飛び交う程には、周知の事実で。
大通りで告白したり怒鳴り付けたりする大声が聞こえた日には、もっぱら、
「あの土方が陥落するまで何日持ち堪えるか賭けやせんかィ?」
「うーんどうだろうなあ、そろそろ銀さん本気出しそうだから俺ァ一週間、団子二本」
「もうちったぁ副長さんが頑張るんじゃねぇかい?十日、団子三本」
茶を啜りながらいとも穏やかに繰り広げられる、壮年の男達の会話の中心で一人異彩を放つ栗色はその言葉にニヤリと口角を上げて。
「じゃ、俺は三日後に事件が起こる、で団子十本、でさァ」
あのホモカップルがくっついたら此処に集合だ、と呟き栗髪をさらりと揺らしながら立ち上がる。流石幕臣様は気っ風がいいや、なんてカラカラと威勢の良い笑い声を上げた名も知らぬ市民に、振り向きざまに約束だ、と念を押す。
「勝った奴に、団子十本ですぜ?」
遠耳にも木枯らしに乗って届く、中々進展を見せない、酷く焦れったい大人達の喧騒に知らず笑みを浮かべた沖田は、澄み切った冬晴れの青空を眺めて一つ欠伸を落とした。


「は、依頼?」
「そうでさァ、此処は何でもやる万事屋じゃないんですかィ?」
歌舞伎町内の茶屋で「賭け」が行われてからその二日後。まだ通いの眼鏡少年も訪れぬ早朝、万事屋の戸を叩いた珍しい来客に、銀時は目を瞬せる。へぇ沖田くんの依頼ねえ、と何処か訝しむようにへらりと笑った銀時に、沖田はすぅ、っと精巧なガラス細工のような双眸を細めた。
「土方さん、が大変なんですけど………」
「ひひ、土方くん、が?」
そうだ、と鷹揚に頷いた沖田の栗髪が、さらりと揺れた。食い付いた、と俯いて顔が見えないのを良い事に、小さく口唇を歪める。
「旦那、にしか出来ないと思ったんですが……無理なら他の奴に頼むんで結構です」
そこまで話したところで、詳しく聞かせろといとも呆気なく食い付いた、普段は己以上に腹を隠すのが桁違いに上手いこの男が、件の上司並に単純な手に引っ掛かるものだから何だか笑えた。
「………それで?」
ソファーに着くなり唐突に先を促す男の表情には、何時もの余裕は見当たらない。多勢に無勢で、木刀一本だけで孤立していようと、何時だって飄々としたペースを崩す事はなかった彼だけに、ただ珍しいと思う。そして、
(それだけ奴に、本気ってことですかねィ)
全くもって、どいつもこいつも素直じゃない。
ずっと惚れているくせして、うだうだ言い訳ばかりして告白を受け入れようとはしない馬鹿上司も。
本気で惚れているくせして、何に気後れしてんだか肝心な最後の一押が出来ずに、冗談めいた愛の告白しか出来ない目前の銀髪も。
世の中大人は馬鹿ばっかりだ、と沖田は嘆息して、己に少し似た、それでもはっきりと違う光彩で自身を映す紅藍の双眸をしかと見つめた。まあ、賢しらに理屈を捏ねられるよりはよっぽどマシか、とぼんやり思考しながら。
「土方さんが、ピンチなんです」
ぐっ、と銀時が息を呑む。
「市内の、とある廃材置場で監禁されているらしくて」
「……かん、きん………」
先程から片言しか発さない男に必死で笑いを堪えながら、普段以上のポーカーフェイスに眉根を顰めて続けた。
「監禁、といやあ俺も以前に似た様なことやりやしたが………今回ばかりは、マジモンでさァ。此処二日姿を見ないと思えば、今日未明方犯人から声明文が届きやして」

『真選組副長を返して欲しくば、現金五百万円を持って来い』

「まあベタな誘い文句ですが、アホ土方の縛り写真も同封されてたんで下手に逆らえねぇ」
しかも、現金の受け渡しには真選組隊士以外の一般市民を指定してきた。
「金渡した後でうっかり殺されたとあっちゃあ意味が無いからねィ。剣持たない一般人なら、もし解放された土方が向かって来ても人質に取れる」
攘夷志士を名乗った卑劣なゴロツキの犯行だ、と沖田は苦々しく付け足した。
「………んで、俺が金渡す役を引き受けりゃ良いって?」
「さっすが旦那、話が早えや」
真剣を持たなくとも腕の立つ一般人、こんなハマり役早々無い。明快な理屈はまさに正論だったのだけれど、あー、だのうー、だのよく解らない母音を発した後、ガリガリと跳ねた頭を掻き回して銀時は頬を引き攣らせて尋ねた。
「ちなみに聞くと、この作戦の考案者って誰?」
「勿論俺ですが何か?」
「ですよねー」
立ち上がりざまに木刀を腰に差し、バツの悪そうな面差しで振り向く。
「色々と確信犯、だよね沖田くん」
「何の事ですかィ、俺は市民の安全護る善良な警察ですよ旦那。まあ、囚われの姫助けるのは変な格好の王子様、って相場は決まってるでしょうが」
一石二鳥、寧ろ感謝して欲しいくらいだ、なんて嘯く小ぶりな後頭部を銀時が軽く叩く。瞬間、栗色ストレートヘアーのさらりとした指心地の良さに苛立った。うん、このサラサラヘアーに嫉妬しただけだよ、別にこのドエス国家の王子様に見透かされてるのが気に食わなかったとかじゃないから。全く誰に言い訳しているのかと自分でも何だか可笑しくなって。
「なあ沖田くん、報酬の話なんだけど」
ブーツを足に引っかけながら、先程自分が叩いた後頭部で腕を組む年若い隊長格を見やる。
「何でしょう、金なら言い値で払いやすが」
「救出したお姫様を一日中自由にしていい権利、でどう?」
銀時の言葉に満足したように、まだあどけない顔を酷く凶悪に歪めて、それはそれは楽しそうに。
「ま、旦那ならホテルだろうが何だろうが何処でも監禁してくれて結構ですぜ?」
「りょーかい、依頼承りました、っと」
さあて、愛しのピーチ姫救いに行きますか。そう呟いた己もまた、似たような顔をしていたに違いないけれど。

***
「…………誰だお前は」
「どうも幼気な一般市民の万事屋銀ちゃんでーす。金の配達に来ましたァ」
「このお巡りさんの首が飛びたくなけりゃあ、そこを動くんじゃねえ」
埃を被る、薄汚れた廃材置場。埋高く積まれたパイプの隣で、縛られたまま男に切っ先を突き付けられた土方が、どうしてとその灰藍の瞳を見開く。普段は糊の効いているジャケットには皺が寄り、黄鼠に煤けている。肌理の細やかな白い素肌も、漆黒の流麗な髪も。誰よりも綺麗な土方をこの小汚い悪党に汚されたことが、触れられていることが腹立たしくて、仕方がない。ジリジリと自身の内側を駆け上がってゆくように燻る怒りを、抑えられない。
「胡散臭ぇ野郎だが、確かに真選組じゃあ無いみてえだな」
さあ金を寄越せ、と己の優位を信じて疑わない、下卑た笑みを浮かべた目前の男を一瞥して。最大限努めて押さえつけてはいるものの滲み出る、ビーンと張り詰めた銀時の殺気にさえ気付かない、愚かな男。幾ら腰に木刀一本しか差していないとはいえ、土方はその刀が真剣にすら劣らないことを知っていた。
銀時が、怒っている。
滅多に目にかかれないその面差しは、酷く冷淡で、能面のようだった。普段温かい色を湛えた紅藍の双眸は、真剣の切っ先のように硬く鋭い。ビリビリと肌を差す殺気に、思わずゴクリと喉が鳴る。ぼすん、とこの場にそぐわない音を立ててボストンバックが犯人の目前に着地した。凡そ三メートルの距離を保ったまま何の予備動作も無くそれを放った銀時は、まだ動かない。
「………おい、ふざけてんのかテメェ」
左腕には依然として土方の首を抱えたまま、バックの中身を目の当たりにした犯人は唾を飛ばしてがなり立てる。その度に切っ先が土方の首筋を掠め、薄く血が流れた。
「何なんだよ、この中身はっ!おい、よくも騙しやがったな……こいつの命は無いと思え!」
血糊が張り付き汚れた刃がスローモーションで迫って来る。厳重に幾重も巻かれた太いロープで身動き一つ出来やしないのに、全く焦りもしなかった。
「……………ふざけてんのは、てめぇの方だ」
刹那、瞬き一つ分のスピードでもって一気に距離を詰めた銀色が、冷えきった声音で唸る。真っ直ぐな軌道で悪党を打ち払った木刀が、酷い唸りを上げてビュウウン、と風を斬る。嫌な音を立てて転がった男は、白目を剥いて失神していた。ああ、自分には解っていた。たとえどんな状況に置かれても、この銀色がその真っ直ぐな剣筋で救ってくれると。今日、久し振りに垣間見えた銀髪の面差しは、─────酷く、格好良かった。今日くらいは素直になってやろうかと土方が思案していた時、頭上から声が落ちてきた。
「土方、大丈夫か!怪我は無ぇ?首、痛い?まさか何か変なことされてねぇよな?」
たった今男を凪ぎ払ったのとはとても同一人物とは思えない慌てっぷりが何だか可笑しくて、呆けた面で縄を解く間中土方は声を上げて笑った。
「何、何で笑ってんの」
「いや別に何でもねぇよ」
怪我が無いかと身体中をまさぐりつつむぅ、と唇を尖らせる姿に、先程の銀時の台詞を思い出す。
「幼気な市民、って何でテメェが此処来てんだ?」
漸く無事を確認したのか、はぁ、と深く嘆息した銀時の腕に、がっちりと閉じ込められた。何時もの癖で抵抗してやろうと思ったが、逞しい両腕から男のほっとしたような安堵が伝わって来る。暫く冷たいコンクリートに転がされていた身には温かくて、心地よくて。だから仕方ない、と弛緩した身体をその胸板に預けた。
「何で、って………囚われの姫を助けに?」
「うるせぇ馬鹿か誰が姫だ」
何時ものくだらない応酬は、何故かとても優しくて。
「いやいや明らかにクッパに捕まっちまった可哀想なお姫様だったろ、お前」
「で、変な格好の王子様、ちなみにさっきの何か変なことって何だ?」
「………っうるせぇっ!忘れろ、ほらもう帰っぞ!」
珍しく茹ったように耳を染め上げた銀時に抱き締められたまま、よろよろと立ち上がった。
「馬鹿、降ろしやがれ」
何故か土方を姫抱きにして、銀時はくたびれたバッグを肩に引っ掛ける。
「……おい、犯人どうすんだ」
「んー、直に真選組来っから問題ねえよ」
「万事屋」
抱えられたままじっと紅い虹彩を見つめて、少し迷ってから口を開いた。
「さっきのお前、格好良かったぜ」
怨念が籠められたように、頑丈なロープでぐるぐる巻きにされた犯人に半ば同情の念を込めて一瞥し。予め近くに停めてあったパトカーに乗り込み、廃材置場を後にする。乾いた冬晴れの空には、大分高い位置で太陽が光っていた。


真選組副長が人質になり一般市民が救出するという何とも異例な事件の次の日。本日も高気圧に覆われた歌舞伎町には、酷く喧しく、そして平和な一時が広がっている。
「ん、意外と美味ぇ」
「だろ!つかソレマヨかけて言う言葉じゃ無いけどね、十四郎」
そんな歌舞伎町の真中のとある茶屋で昼間から甘い空気を醸し出す、一組のカップル。仕事中の細やかな休憩を恋人と過ごす幕臣と、先日手柄を立てたとある一般市民。
「……………おい、嘘だろ」
「……これは夢だな」
「さ、約束通り団子十本ずつですぜィ」
それを大通りの向かい側から眺めて絶句する男達と、悪魔の笑みを湛えた武装警察の一番隊隊長。


地球は今日も、平和に回っている。



後書き→
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -