三行半のLoveletter



「銀時、どこへゆくのですか?」
暖かな陽光の射し込む広々とした和室の一角で、男はまさしくニッコリと形容すべき柔和な微笑を湛えて、銀髪の少年に振り向きざまにそう告げた。色彩の淡い長髪にふわりと上がった薄い口唇、全身何処をとってしても温厚の一言に尽きる彼が一層物腰の柔らかさを増した時こそ、

「もちろん課題は全て片付いたんですよね?」

鬼神さえ裸足で逃げ出すであろう凍氷のごとき笑みを浮かべ、碌でもない目に遭うことを過去の経験でもって銀時は大いに理解していた。
「いや、だってわかんねーもん、文字とか書く以前に読めねえから無理だからコレ」
「そりゃあ出来ないからやるんですよ。頑張ればどんなに難しい本でも読めるようになりますし、綺麗な字を書くことだってできます」
不貞腐れ唇を尖らす銀時に再びふわりと微笑みかける。先程よりも、ずっと温かなそれにパンパンに膨張しきった不満だって薄れてくるのだから不思議だ。一応塾生と同じように講義を受けてはいるものの、教科書なるものが全く読めない上に習字だって出来やしない。周りの子はそれを容易にやってのけるのに自分だけ、そんな劣等感が胸の中で黒く蟠るように燻り続けるものだから、此処一週間程は中庭の柳の木の下で堂々とサボリを謳歌していたのだが。
そんな銀時を見かねた師匠兼保護者役を担う松陽の、読み書きの練習をしましょう、そんな一言で始まった個人レッスン。本日で二回目を迎えるそれはあまり進展が無かった。原因たる事象なんて決まりきっていて、
「銀時からは学ぶ意欲というものが欠片も感じられません。ですからなかなか捗らないでしょう?」
「だからおれはいらねーって言ってんだろ。字なんか書けなくたって、おれは生きていける。だって今までそんなの知らなくても生きてこれたから」

妙に自信の籠もった目前にいる少年の台詞に松陽は苦笑する。つい最近まで殆ど単語しか口にしなかったくせ、いつの間やら大人ぶって反論するようになった。キラキラと秋の伸びやかな陽光を反射する銀色のように、瞳を煌めかせて。
すとん、と膝を曲げ腰を落とし澄み切った紅藍の双眸を見つめる。いいですか、銀時、と。とびきり優しく語りかける。君はまだ、本当に大切なことを知らない。伝えることの、喜びを。

「確かに読み書きは生きる為に絶対に必要というわけではありません」
得意気に笑む桜の花弁に似た口唇。
「しかし、本を読み字を書す事は君の人生をこの上なく豊かにしてくれます」
顰められる髪と全く同じ銀色の眉。
「君はまだ、一人で生きるには世界を知らなさすぎです」
瞬き、拡張された普段は眠たげな瞼。
「他人の考えを知ることで、己の思考も磨かれます。文を書くことで、口には出せないことだって言えます」
そしてそれに、と人差し指で白い額をツンツンと突いて告げた。

「愛する人に向けて、恋文に想いを乗せて伝える喜びを知らないなんて、本当に不幸なことなんですよ」
紅藍を溢れんばかりに見開き年相応の幼い表情を見せる、普段は強がって丸い頬に似付かわしくない大人びた子供。幼子にして、死を知りすぎた君に。何処ぞの仏教僧のような無常観を湛えた君に。そして愛弟子兼家族である君に、そんな甘酸っぱい感情を知って欲しいんです。




「……おれに好きな人なんかできない」
「何言っているんですか、銀時」
恋の一つや二つしてこそ男です、そう確信めいた言葉にそんなの誰が決めたんだと不貞腐れてみれば、私です、と自信満々に返された。
「おれが好きになっても、だれもおれを好きになってくれる物好きなんざいねぇだろ」
「ふふっ、物好きなんて言葉何処で覚えてきたんですか?それに、既にそんな物好き此処にいます」
どれほど強がってみせても、この目前の師に叶うことは一生無いのだろう。私塾で将来国を担う人材を育てる教師なんて肩書き、心底似合わないとは思っていたけれど、ふわりとした微笑み一つで酷く安心してしまう自分がいるのも事実だった。
だから、
「大丈夫ですよ、銀時。あなたのキラキラ眩しい銀髪も、紅藍色の大きな瞳を、そして逆境をも乗り越える真っ直ぐな生き様と深い優しさを」
いつか、綺麗って褒めてくれる人が必ずやってきますから、と。
そんな戯れ言を信じてみようか、なんて思うのだろう。

「だから、頑張って練習しましょうよ。そんな素敵な人に出逢う未来のために」




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続きます
初松陽先生なので色々大目にみてやってください

20110905

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