許されないのは、解ってる



朝目を覚ませば隣には弛んだ口元から寝息をたてる兄、日課になりつつある自分とは正反対の銀色にそっと指先で梳くのは。普段は揶揄の対象であるふわふわのソレは持ち主そのものを具現するように優しい煌めきを魅せていて。
つい、触れてみたくなるから。
起こさないようドキドキと高鳴る鼓動を抑えつけ逸るままにそっと銀色に唇を落としたまでは良かったのだけれど。
何やってんの、と先程までだらしなく開いていた筈の唇がそんな疑問を紡いだのを理解した瞬間、俺は脱兎の如く部屋から逃げ出していた。
高望みなんて、していないつもりだった。ただ、当たり前に片割れとして隣に寄り添っていければそれでよかったのに。

双子の弟、そんな唯一無二の居場所を喪いたくは無かったんだ。



***
講義の終了を知らせるチャイムに、一斉に席を立つのが聴こえた。麗らかな春風に誘われてうつらうつらと舟を漕いでいたのに、何故彼らは終わりを告げる音色には敏いのかと思考しつつ、カリカリと講義の要点を纏める右手は止めない。とにかく眠い、と評判のその教授の口調は終始穏やかで起伏の無いものではあったが。高齢な彼ゆえの学識の豊かさと聡明な理論は、自分にとっては非常に好ましいもので。
土方は立ち上がると、丁寧に文字が連ねられたノートを仕舞って食堂へと足を進めた。

上京して二年目、目も眩むような都会的な喧騒にも慣れ、悠々と一人暮らしを謳歌している。東京の大学を受けよう、と決意したのは高校三年の夏、それまでは地元で進学するつもりでいたけれど。 逃げるように東京に出てしまった元凶である懐かしい銀色を思い出し、そっと口元に笑みが浮かんだ。

今頃、あいつは何してるだろうか。取り敢えず地元の大学に合格したことしか知らない。自分が東京の大学を受けると打ち明けたときこそ猛反発されたものの、合格した旨を告げたときは誰より喜んでくれた。元気にしているのか、食事は疎かにしてないか、大学は真面目に通っているのか、なんて。自分にそんなこと心配する資格などこれっぽっちも持ち合わせてなどいないのに。何処までも学習しない傲慢な己に、嘲笑うことしか出来なかった。

銀時は双子の兄で、外見も性格全く似ていないどころか水と油、正反対である。土方の母親譲りの真っ直ぐな黒髪を銀時は酷く羨んでいるようだったが、土方こそ長年彼に羨望を抱いていた。最も近しい存在だから解る、彼のカリスマ性。唯一似ていると言えばその負けず嫌いな性質で、喧嘩は絶えることはなく、些細な事で張り合っていたが。土方がいつも彼を上回るのは、学業の成績とバレンタインデーに女子から押し付けられる菓子の類だけだった。
普段は緩みきった態度を隠しもしないくせに、非常事態では誰よりも頼りになる。真面目に練習する姿を見かけた事さえないのに、誰よりも剣道が強い。学校では宿題の提出間際に土方に泣き付いてくるものの、誰からも慕われている。
土方の一番のライバルで、でも勝率なんて微塵もない上恐らく対等に見ていたのは自分だけで。ああ、そうだったのかと悟った時はそれは落ち込んだが、客観的に思考すれば何て事はない、道理の通った話。けれど、彼は嫉妬の対象であると同時に自分の誇るべき存在であり、憧憬すべき目標だった。
否、そうでなくてはならないのに。
いつからか、理想として追い求め思いを寄せる内にそれは、一方的な片恋慕に発展していった。あいつは男で、兄で、偶に憎たらしいけど憧れているだけだ、と。必死に己に言い聞かせれば聞かす程、それは崖道の急な斜面を転落してゆく雪だるまのようにむくむくと成長していって。想いを斬り捨てる事の出来ないなら、墓場に持ってゆくまで誰にも告げる気は無かったのに、長年の間ひっそりと温めていた恋情は自覚してから四年半と二十二日で銀時に暴かれる事となった。
「ひょっとして、俺のこと好き?」
恐る恐る尋ねてきた、深い紅藍の双眸に一向困惑の色を湛えた銀時の表情は忘れられない。
かくして土方は、双子の兄銀時と離別するために半ば逃げるようにして東京に来たわけだが。何度か敵前逃亡の文字が脳内を掠めた時こそあれど、それなりに忙しく生きる現在、己の選択を悔いたことなど一度も無かった。

そう、後悔なんざしたこと無かったってぇのに。

* * * *

「宅配便でーす」
玄関越しに聴こえた声と、ピンポンと軽快なチャイムの音。
六畳一間の学生用アパートに人が訪れることは滅多に無いし、郵便物もまた然り。誰からだろうか、と思案しつつガチャリとドアを開けた。
見覚えのある宅配会社の制服を確認し、荷物を受け取ろうとするが普通抱えている筈の段ボールが見当たらない。 更に何故か二人も立っていて。不審極まりない彼らに、そっと四肢に力を込め威嚇するようにキッと睨め付けた。
「おい、てめえら宅配装って新たに窃盗やら詐欺でもしようってクチか。残念だがくれてやる金は家に一銭もねぇ、段ボール位用意して出直してこいや」
そう吐き捨ててドアを閉めようとした土方の左手首を、宅配業者(偽)の内の片方が握り締めた。存外強い力でキリリと締め上げられ、先程言い過ぎたかと内心焦りが生まれる。すれば、体格的に男であろう長髪のもう一人が妙に古めかしい口調で、
「俺は詐欺などという姑息な手段は取らん。言っておくが俺は正規のバイトだ、宅配物なら持って来ているぞ」
正規のバイトなら接客態度を改善すべきではないかと思ったが、口にはしなかった。
「持っていけ、サインはいらん」
左手を未だ握って離さない男の肩をぽんと押して長髪宅配業者は階段を降りていった。
「っ、てめえは一体何なんだ、手を放しやがれ………っ!」
「十四郎」

土方にも、多からずとも友人がいる。大学にも、自分をトシと呼び可愛がってくれる先輩だっている。しかし、昔から己のことを十四郎と呼ぶのはたった一人しかいなくて。
「………ぎ、…ん…………?」

漸く土方の左手を解放した彼の腕が目深に被られた帽子に伸びる。見てはならない、本能がそう囁くのに任せ深く瞼を伏せた。

「十四郎、目開けて」

深みのあるテノール、ああ銀時の声だと確信する。視覚からの情報が欠けている分、ゆるゆると近づいてくる指の気配を感じて胸が高鳴ってゆく。かぁぁ、っと頬が朱に染まるのが自分でも解って、余計に。

「十四郎?ねぇ、十四郎の瞳見せてよ」

ぴたりと瞼に重ねられた人差し指に睫毛を一つ一つなぞられるのが擽ったくて、思わずぶるりと身を震わせる。しつこく触れてくる指に辟易して、そっと開けば目の前にはキラキラと煌めく銀色が。……辟易したなんて体の良い言い訳で、本当はずっと銀時に逢いたかっただけだったのだけれど。

「銀、と………き……」
「久しぶりだね、十四郎」

何故、今更やって来たのだろう。自分はもう、彼を困らせたくないというのに。綺麗な綺麗な紅藍に、侮蔑の色が浮かぶのを見たら自分はきっと耐えられない。

「な………で…、なんで、何でてめぇが…………」

瞼を伏せたまま瞳を合わせることが出来なくて、居心地が悪い。
「何で、ってお前に会うため?大変だったんだぜ。さっきのヅラって言うんだけど、あいつが東京に宅配のバイトしに行くってからさー、制服借りて頑張ったんだぜー」
流石口先から生まれてきた男、相変わらず良く回るテクニカルな舌先の滑らかさは未だ健在で。ぎんとき、と口だけを動かす。自分には、もう以前のように弟として名前を呼ぶ資格など無いから。況してや、恋人のように口ずさむ事なんてもってのほか。

「そ、うか、わざわざ東京まで来なくても、金なら言えば送ったのに………母さんにはおれ、住所教えて、いた、し」
地元から東京まで自分に会いに来た、なんて大方金の工面にでも困じているのだろう。物心ついた頃から女手一つで双子を育て上げた母親には簡単に金をせびるわけにはいかない、だから自分の許に。
傷ついてなどいない。たとえ金目当てだとしても、此処まで足を運んでくれたのは素直に嬉しい。自分を頼って、此処に来てくれた。その事実だけで十分だった。

「その、えと、幾らいるんだ?暫くバイト代貯めてたから……」
「…………………」

無言の銀時に自分が何か酷い間違いを犯したのではないかと不安になる。それともきっちり縁を切ろうなんて言いだすのだろうか。もしそう切り出されたとして如何にして涙を堪えるか、十パターン程シミュレーションしていた土方に飛んできたのは、

金をくれ、でも
俺に惚れてる弟なんざいらねぇ、でもなく、

「こんの…………馬鹿やろっ」

息が詰まりそうな固い抱擁だった。
「何、てめー俺のことずっとそんな風に見てたの?心外、もうまじ心外にも程があんだろ。双子の弟金ヅルにする兄貴って?」

何を、言っているのだろう。言葉は聞き取れるのに、意味が体を成さない。金目当てじゃないのなら、何しに来たというのか。まさか、本当に縁切りに…………?

「てめーに会いに来た、って言っただろ?東京の大学受かったから、ってメールだけ寄越して何も言わずに逃げてった馬鹿弟が心配だ、って俺が言っちゃいけねぇのかよ」
大分に立腹した様子で早口にまくし立てたけれど。要は、自分のことを「シンパイ」してくれた、ってことで。シンパイってあの心配でいいのだろうか。己のような浅ましい弟の身を少しでも案じてくれた、のだろうか。
もしも。もしも、そうだとしたなら、それはかなり…………嬉しい。ああ、そうだ、嬉しいのだ自分は。未だこんなに大切にされていたのか、なんて。

「………………ぎ、ん」
「なあんて、ただの方便だけどな」

え、と呆けた声が虚空に消えた瞬間、確かな質量を己の唇にしかと感じた。驚いて目を見開けば、瞳一杯に映るのは酷く美しい紅藍色で。
「ん、………んぅ……!」
ああ、 キスされてんだと遅れて理解した瞬間、頬に朱紅が走る。
なんで、おれ、ぎんときときすしてるんだ?

「十四郎、てめー無かった事になんて絶対ぇ俺が許さないから。お前が俺に惚れてるって事実、消させやしねえよ」
「ご……めなさ、…………」

「なあ十四郎」

普段よりずっと低いざらついた声にビクリと背筋が震える。

「てめぇが好きだ」

「双子だろーが兄弟だろーが男だろーが、んなもん関係ねえだろ。そんなんで簡単に捨てれる半端な気持ちなら、とっくに捨ててるっての」
「え…………?」

だからちゃんと気持ち伝える為に此処に来た、そう告げた銀時の耳はまるで朱に染まっていて、何だか此方が恥ずかしい。照れ隠しなのか、ぎゅうと両腕を回された其処から感じる温もりに、甘えてもいいのだろうか。

「十四郎」
「……………銀時」

本当に愛しいもののように、彼が名を呼ぶから。土方は、縋り付くように銀時に抱きついた。





(許されないのは、解ってる)




でもそれ以上に、きみを愛してるから




双子銀土素敵企画「危険な恋だもの」様に提出
初の双子設定なんですが……
いいのかこれ………
高宮晒
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