頭痛薬では痛みは沈まない



障子越しに鈍い響きを寄越してくる蝉時雨も何処か力無い。生命がひとつ、散りゆくのをまざまざと突き付けられたような気になると同時にそんな感傷的な己が疎ましくなり、浅く嘆息を洩らした。今は勤務中だ、と利き手の甲を軽く抓るも一度切れてしまった集中力は戻ることを知らない。ミン、ミンと静かに、それでも尚愛を告げる蝉の羽音は、夏が枯れつつあることを酷く確信させた。

こんな空っぽになったのは何時からだっけか、と回らない頭でぼんやりと思考する。以前なら真選組の頭脳なんてかつがれてそれなりに己でも自負していた筈の明晰な頭脳は、現在では慢性的な鈍痛を訴えるだけの何も役に立たない代物に成り下がってしまった。無論、近藤を始め隊士らに告げたことは無いし、これからも告げることは無いだろう。無用な心配などかけたくない、と言えば嘘では無いものの建前になるような気がする。結局己は役立たずに成り下がった今でも、副長と言う職にぶら下がって真選組と共にありたいのだ。
不意に、ズキズキと米神から脳髄にかけて酷い痛みが襲った。この痛覚も最早習慣となりつつあり、ただひたすら奥歯をギリギリと噛み締めてやり過ごした後、頭痛薬を渇いた口内に幾らか放り込み無理矢理飲みしだく。悪性腫瘍だとか病性の類では無く、只の薬の副作用と解っていた。此処一ヶ月不眠症に悩まされ、手を出してしまった睡眠薬は効果は絶大であるものの酷い副作用が付き物で。深夜、布団に横たわり瞼を伏せれば、ズルリと一気に泥沼に引きずり込まれるように意識が消えてゆく。そして早朝、障子から射し込む朝日に瞳を開けば、頭痛で眉間に皺が寄る。慣れない当初は吐き気まで覚え、目聡い部下に悟られまいと取り繕うのに必死だった。
けれど、もう。
暗闇の底に引きずり込まれるのにも、ズキズキと響く鈍い痛みや目眩にも、もう慣れたから。
これからも自分は、太陽のように己を照らしてくれる大将と、粗野で不器用ではあるものの頼りになる大切な仲間達を、欺き続けるのだろう。




「土方さん暑過ぎて仕事になんねーや、つーことでアイス奢りなせぇ」
「何で命令なんだよ、仕事中だろうが我慢しやがれ」
市中巡察の最中にぬけぬけと言い放った図々しい部下に、ゴツンと拳骨を落して土方は低い声音でたしなめた。ふざけんなよ、だとか土方死ねコンチクショーだとか物騒な罵倒がぼんやりと耳に流れてゆくが、それに構っている暇などなく。

や、べぇ視界が霞んできやがった。ただの眼球の疲労ならましなものの、ふらつく足元に酷い目眩をおこしたのだと気付く。チッと舌を打ち鳴らして背筋を伸ばすが、グニャリと目の前の建造物が曲がってキンキンと鼓膜に甲高い音が鳴り響くばかりで。隣で沖田が何事か喋っているのは見えるが、この音が邪魔で聞こえない。つんざくような高音は何だか警鐘が鳴っているように思えて、ばくばくと鼓動が速まってゆく。

悟られるわけにはいかない、
知られるわけにはいかない。
とんだ役立たずの自分が知られようものなら、お払い箱になるかもしれない。こんな己でもまだ、暖かい光の射すあの場所を失いたくないのだ。
暦の上では夏は終わったといえど容赦なく照りつける日射しに、いよいよ意識さえも混濁してくる。
あぁ、もう駄目か。
隣で、滅多にお目にかかれないような焦った沖田の垂れ下がった眉が見えた。己を真選組の一員だと示す大事な証の隊服を汚す訳にもいかないから、倒れこむのはどうしても避けたい。そう、必死で薄れゆく意識を繋ぎとめる土方の努力も虚しく、徐々に重い身体が傾いてゆくのがスローモーションに感じられる。固いアスファルトに無様に倒れる直前に見えたのは、眩しい白光に輝く綺麗な綺麗な銀色だった。



パタパタと硬質な、それでいて何処か軽やかさを感じさせる音。いつの間にか、鼓膜を苛むあの高音は消えていた。そのことに知らず知らず安心し、ほ、と軽く嘆息した。

「だいじょぶ、多串くん?」

ゆるゆると暖かな光が射し込んで、ふと瞼を開く。すれば、一番に瞳に入ったのは、深紅の光彩に映り込んだ自分自身の姿と、静かに揺れる団扇で。パシパシと目を瞬せて、ゆっくりと辺りを見回す。目の前には、銀色の男。
数分程跳ねている銀髪を眺めていると、漸く思考回路が暖気されたのか状況を把握した。
「よ………ろ、ずや……?」
「そーです、愛しの銀さんでーす。多串くん、もう目覚めた?痛いとこない?」
ああ、此処は確かに万事屋の事務所兼居間で、自分は何故かソファーに寝かされており、更に不可解な事には銀髪の男が覆い被さるように自分の顔を覗きこんでいる。
「な、んで…………」
至って冷静に状況を分析出来たはずなのに、唇から零れだす音は最早会話としての体をなしておらず、急に恥ずかしくなり顔をふいと逸らした。すぐにそっと触れられた暖かな手によって戻されたが。
「何でおめぇさんが此処にいるかって?………久し振りにパチンコで大勝ちしたから甘い物でも食おっかなと思ってふらふら歩いてみりゃ、遠目に黒い制服見えて最近長らくご無沙汰だった愛しい恋人に会えんじゃねコレと思って?近づいてみりゃ案の定多串君じゃんって声かけようとしたら、珍しく総一郎くん慌ててるからよくよく見たらお前顔真っ青だしふらふらだしで、吃驚して飛び出せばいきなりお前倒れこんじゃって。仕方ねぇから沖田くん屯所に帰して家連れて来た、ってわけ」

相変わらず余計回る口だ、とかパチンコで勝ったならせめて溜まった家賃ぐらい払え、とかそもそも一経営者として昼間からパチンコってどうなんだ、とか。ツッコミ所は沢山あった筈なのに。最初に洩らした台詞は、
「俺が倒れたの、皆知ったのか」
「そらそうじゃね、総一郎くん屯所戻ったし……てかえらい心配してたけど」

万事屋の言葉に、そうか、とだけいらえを返してゆっくりと立ち上がる。久々に薬を服用することなく眠ったせいか、若干のふらつきはあるものの大分に身体も軽くなっていた。これなら、一人でも屯所に帰りつくことができる。その後のことは帰ってからじっくり考えよう、と丁寧に畳まれたスカーフを首に巻き、掛けられていた上着を羽織った。こんな所にも男の気遣いが滲み出ていて、知らぬ間に微笑が溢れていた。
「ちょ、ちょっと多串くん何処行くのまさか帰る気?」
「当たり前だ。今日は世話なったな、後日また礼しに来るから」

いやいやいやそれはいいからストップ、と無理矢理またソファーに引き戻される。瞳に力を込めて睨めば、はぁ、と呆れたような嘆息が返ってきた。

「お前今自分の身体どうなってんのか解ってんの?」
「そりゃあ、最近睡眠不足でちったあガタ来てるかもしんねぇが、ゆっくり寝たしもう大丈夫だ」
だから無用な心配するな、とそう告げたが、

「馬っ鹿じゃねぇの」

一蹴され元来沸点の低い己に火が点ったものの、銀色の男のほうが数秒早かった。

「不眠症になって誰にも告げずにこっそり怪しい薬買って今度は副作用止める為にまた頭痛薬飲んで………薬って言っても所詮毒物身体にぶちこんでるだけなんだよ、つうか睡眠薬でんな激しい副作用あんならどう考えても劇物以外の何物でもねーだろうが。何、服毒自殺でもしたかったの?」

すらすらとよくまわる舌で紡がれたそれは、正論以外の何物でも無く土方にはただ、ぐっと下唇を噛み締めることしか出来なかった。

「さっきゴリから電話かかって来て、今日はこっち泊まれ、ってさ。おら、解ったら大人しく寝んぞ、あっち布団敷いたから」
土方がゆっくり首肯すると、銀時は無言で姫抱きにして抱え込み布団の上に寝かせた。

一組の布団に大の男が二人ともなると窮屈でかなわなかったが、今はその背中越しの体温が心地よかった。数十分経って、どちらの寝息が聞こえることもない静かな空間を破ったのは、銀時のゆったりとした低音だった。

「一ヶ月前、ゴリが怪我したんだって?」
ビクリと土方の肩が強張る。緩やかな声は続いた。
「眠れなかったんだろ?ゴリラ愛好会会長のてめーのことだから、指揮とった自分のせいでゴリラが怪我したんだって、何で護れなかったのかって」
「…………な、で…」
「ゴリが怪我したのは沖田くんから聞いた、けど眠れなかったその理由、俺にはよく解ったから」

この男も、昔感じたんだろうか。底の無い穴を永遠に墜ちてゆくような、この虚無感を。
「俺も、昔そうだった──────でも、これを治すとっときの魔法があるんだぜ?」

そう笑って、銀時はくるりと土方の背に抱きついた。

「暑い」
「うん、でもちょっと我慢して?」

そう言い終わると同時に、ポン、ポンと一定のリズムを刻んで肩を叩く。

「大丈夫、大丈夫……………お前はこの灼けるような後悔を一生忘れなきゃいい。だって、護るべきあいつは生きてんだろ?命懸けても護りてぇんだろうが───大丈夫、だよ」


「だから、おやすみ」






(頭痛薬では痛みは沈まない)




でも、君の詞で簡単に消えるから

だいじょうぶ





素敵企画「花瞼にクラーレ」提出
コンセプトにそっているのか…?
そしていたく季節外れな代物で実にすみませんこれ書いたの夏だったんだ…!(爆)

高宮晒
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