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 思いを鶴に乗せて

「ねえ、それなに?」
「んー? ひみつ」
「えー! なんで!」

 積み上げられた、けれどまだ完成にはほど遠い、紙の山。
 君への贈り物を、君の目の前で作るなんて、おかしなことをしたように思う。けれど知っていて欲しかった、君への想いを。好きなのだと、気づいてほしかった。そんな期待を込めて。
 そして、もしこれが渡せなかったとき、君が思い出してくれるように。

*

 点滴のエラー音で目が冷めた。赤くランプが点滅している。曇りがかかった視界で、ナースコールを探しているとそれよりも早く看護士さんが来た。
 大丈夫よ、と小さく呟いてから器用な手つきで正常に直す。それから布団をかけなおしてくれた彼女は、古くからの知り合いだった。

 十一月某日、都内にある病院の小児病棟に私は居た。
 風邪から難病の子まで、症状は様々で。その中で私は、小児喘息を患っていた。今年でもう十三歳になるけれど、未だ治らないのだから嫌気がさす。
 入院なんて、毎年のことだった。その上いつも同じ時期で、担当になってくれる看護士さんも同じ事が多かった。病院の常連なんて、ちっとも笑えない。
 そんなことを考えてるうちに、時刻は六時。さっき来た看護士さん――萩村美央(はぎむら みお)さんが起こしに来てくれる。布団から顔を出して、起きてるよと笑いかけた。

「あれ? 藍加(あいか)ちゃん、はやいね」
「だって、さっきので起きちゃったし」

 さっきのとは、点滴のエラーだ。不満げにそういえば、ああと納得したように彼女は頷く。

「美央さん、今日って採血?」
「ああ、そうなの。結果によって、薬の調合するからね」

 運ばれてきた朝食を口へ運ぶ。ふうん、と小さく返してから顔をしかめた。グリンピースが入っていたからだ。美央さんのほうを見れば、少し笑ってた。分かってたなら、いってくれればよかったんじゃないかと思う。
 朝食がワゴンに戻されたら、今度は吸入などの薬。ユニフィルにフルタイド。今回から、ホクナリンテープがセレベントに変わったのを思い出す。
 服用してから、また身を布団に沈ませる。視線の先には、一羽の鶴。

 ――藍加が良くなるように、お守り。

 頭の中でそんな言葉がこだまする。それは大切な人の一言で、決して忘れない。違う、忘れたくないのだと思う。彼のことを、綿貫悠一(わたぬき ゆういち)のことを。
 彼の病気については良く知らなかったし、知ろうとも思わなかったけれど、世に言う不治の病というものだったのは理解していた。彼の末路が悲しいものであることも、理解していたつもりだったんだ。

「あれ。藍加ちゃん、薬終わったの?」

 美央さんの言葉で私は我にかえる。びっくりして、思わず彼女を見つめてしまった。
 ――看護士さんたちは、私の前で決して彼の話をしない。割り切った性格をしているとかでもないんだと思う。きっと、気を使っているのかもしれないし、もしかしたら暗黙の了解であるのかもしれない。

「終わったよ。あ、ねえ、窓開けてよ」

 私の病室は個室で、今は美央さんと二人きり。我侭くらい良いじゃないかという甘ったれた考えで、お願いしてみる。美央さんも美央さんで、ちょっとだけよって笑った。

「会いたいね」
「え?」

 私の言葉に、美央さんは不思議そうに首をかしげた。茶化すように微笑んで、首を振る。

「何でもなぁい。あ、美央さん、もうすぐ回診だよ?」

 そういえば、あっと間抜けな声を上げて部屋を出て行く。また来るね、という声がきこえた。
 窓側に顔を向けると、鶴を手に乗せて光にかざす。

「ねえ、ゆーくん、会いたいよ」


 この鶴に乗って、あなたの元へいければいいのに。



 ――泣いた。声をあげてとかじゃなくて、ただ頬を涙が伝った。目の前にある状況を理解するのに、かなりの時間を使った。だって、寝てるみたいだったから。


*


「あ、あれ? ……病室、間違えたかな」

 彼のその一言と行動が始まりで、私たちは出会った。どうして病室を間違えるんだろうと不思議に思いながら、彼を呼び止めた。

「お兄さんも入院してる人?」

 点滴などは無かったから、一瞬違うかと思ったものの格好が格好だった。私よりも何個か年上であろうか。整った顔立ちは凄く綺麗で。
 私の問いかけに彼は頷く。小さく微笑んでから、ベットの傍に歩み寄ってきた。大きな音を立てながら、パイプ椅子を引きずってそれに腰を降ろした。

「そうだよ。僕は、綿貫悠一。君は?」
「藍加。柏原(かしわばら)藍加」

 にこりと微笑んで、丁寧に自己紹介する彼。どこかまぶしく思えて目を細めた。――このときはまだ、知らなかったんだ。彼のことを、彼の残酷な定めを。
 それから、彼は時間があけば私のところに来てくれた。折り紙を丁寧に追って、鶴を作る。その横顔に見とれる私が居た。
 少し時がたったとき、彼が一人で何かを作っていた。何かと聞いても教えてはくれなくて。何を作っているのか考えても、全くわからなくて。それがとても、もどかしかった。
 そしてその日の夜だったんだ、彼とのお別れが訪れたのは。実感が無かった。だって、眠っているように見えたから。

 思い出しては、感傷に浸る私が嫌い。ちゃんと、踏ん切りをつけなくてはいけないのに。
 ナースコールを押して、トイレとだけ告げる。点滴を引きずりながら歩いてはため息をはいた。針の入っている右手が痛々しい。

「……藍加ちゃん?」

 背後からかけられた声。私の動きがいったん止まる。それは聞き覚えのある声で、私に期待をさせる声だった。
 ――やっぱり。予想どおりの顔が、彼の母親の姿が、そこにはあった。

「藍加ちゃんよね?」
「……はい」

 彼の母親、安喜子(あきこ)さんは懐かしそうに目を細める。その仕草が彼と重なって、思わず目を反らしてしまった。
 そしてあることに気づく。彼女が抱えている華、ライラックに目をいった。花言葉は“美しい契り”だと前に誰かが教えてくれた。

「体調、崩しちゃったの?」
「ああ、えっと、はい」

 彼女の問いに戸惑いながら答える。彼が死んだ後も、彼女はこうして時々此処を訪れる。しばらく言葉を交わしていたら、看護士さんから呼ばれた。
 ……あ、回診があったんだっけ。小さくお辞儀をしてから、その場を離れる。

 それからの時間は、彼のことを考えていた。だからだろうか、時間が早く過ぎていった気がした。
 夜、眠りへと満ちていく。それでもなかなか寝つけなくて、隣の赤ちゃん部屋からはオルゴールが聞こえた。あ、トトロだ。ぼんやりと、考えがめぐる。
 その後いったんは眠りについた。けどそれは破られた。点滴でも、隣の部屋のオルゴールでもない。呼吸のできない、苦しみによって。ああ、何でこんなときによって発作? 安喜子さんに会ったからって、浮かれていたのかもしれない。
 でも、それだけじゃない気がした。発作とは違う苦しみが、あったような気がした。
 ナースコールを押してからのことは良く覚えていない。
 ただ、薄れていく意識の中で、ふと視界の片隅に映った、手作りのカレンダーが脳裏に焼きついていて。明日は誕生日だということに、そのとき初めて気付いた。

 その次の日、私の誕生日だった、発作もおさまって布団に包まっていたときに彼女に声をかけられた。その姿が、一瞬彼と重なって。近くまでくれば、心配したようなまなざしで私を見た。それから綺麗な声で私の名前を呼んだ。

「だいじょうぶ?」

 やさしい声が聞こえた。私は布団にうずくまったまま、動かない。見たくなかった、いま、彼女の顔を見たら――。

「泣いても良いのよ」

 私の心を見透かしたように言う彼女。布団をきつく握り締める。必死で呼吸を整えた。けれど、声は収まりきらなかった。ちいさく、嗚咽を漏らす。安喜子さんは何も言わずに、ただ私の隣に居てくれる。

「ずるい、よ。ゆーくんもあきこさんも、ずるいよ!」
「……うん」

 我慢ができなかった。胸に押し寄せてくる、悲しくて穏やかなその感情に我慢ができなかった。彼女の綺麗な目に、私はきっとすがったんだ。
 声を張り上げて泣く。どっかの赤ん坊みたいに。それでも私は気にせずに、ただ泣いた。

「藍加ちゃん、これ」

 彼女の手の上にあった、いくつもの鶴。記憶と現実が重なった。あの時、彼が折っていた鶴だったからだ。驚いたように彼女を見ると、小さく笑う。その後、叶わずに終わっちゃったね、なんて呟いた。

「誕生日に、渡したかったらしいのよ」

 ――誕生日。それはあまり実感の無い言葉だった。そして安喜子さんは立ち上がると、また微笑みなおす。

「代わりに、私からね。お誕生日おめでとう」

 彼女の言葉に、私はまた泣いた。でもさっきのとはまた違うものだった。嬉しい、ただそう思う。

「ありがとう」

 この思いを鶴に乗せて。




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