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 snow/snow*



 ――弾かれて、浮かんだ。その先にあなたがいる。



 頬を打つ冷たい風、霞んでいく空。ふわりとやわらかい雪が肩に落ちて、白に染めていく。行き交う人の息もまた、白く、白く。
 その中で一人、立ちつくのは。
 白いワンピースに身を包んだ少女。少年と目が合えば、にっこりと笑う。まるで彼を待っていたように。

「こんにちは」
「……だれ」
「わたし? わたしはね、……カエっていうの」
「そう」
「ね、こんにちは」
「あぁ、こんにちは」

 挨拶が終われば少女――カエはまた微笑む。よく笑うと言うよりまるで笑顔しか無い。それが少し居心地悪くて、少年は目をそらす。それにカエがなぜ自分に声をかけたのかもわからない。見ず知らずの誰かと仲良くお話というのも変な話で。思わず少年が眉を潜めれば、カエは少しだけ肩を落とし、そして問う。

「名前、おしえて」
「シセ」
「シセくん、ね」

 名前はまるで金属のように響く。
 時々カエが様子を伺うように視線を動かして、そして何もなかったみたいにまた歩き出す。奇妙な雰囲気だった。当たり前なのかもしれないけれど、型にはまりきれないような、息苦しい感覚。もしかしたらはまりすぎていて息苦しいのかもしれない。

「どうして」
「うん?」
「あんたは、どうしてここに居るの」
「……なんでだろうね」

 三秒の考えこんで、一秒間笑う。本当に、笑うことしか知らないみたいだ。
 雪は、降り止まない。
 シセが不意に立ち止まり、それに気づいたカエも立ち止まる。遠くを見つめるその瞳は、まっすぐに。ゆるりと手が伸びてそれはカエのその手前で止まった。
 穏やかな呼吸音。鳴り止まない心音。そして、雪が降る静けさ。

「本当のことを教えてよ」

 腕が、伸びる。

「この街に雪は降らない。なのに、おかしいだろ」

 カエはもう、笑わない。ただ何も無いその表情で、一心にシセを見つめる。
 そしていつの間にかそこにはふたりきり。まるで最初からそうだったみたいに、この世界にふたりきり。だけれど、雪は降る。しんしんと、白く白く、街を染め上げていく。

「ききたいことは、それ?」

 声だけが響いて、それでも、その温度さえも雪が吸収していく。

「違うよ」
「そっか」

「ねえ、本当の名前を教えて」

 ――君がここに居る、本当の理由を教えて。

 その一瞬、弾かれたような表情がカエを支配する。

「ちか」

 名前はひどく優しく響く。
 それを聴いたシセは、ひどく満足気に微笑む。まるでその答えを知っていたみたいに。それに引き換えカエ、もといちかは最初は硬い表情のままシセを見つめていた。けれど次第に表情を緩め、困ったように笑う。

「……だめなんだよ。ほんとうの名前をあかすことも、消えたわたしに関する記憶を取り戻すことも」

 本当の名前だなんて、まるでおとぎ話だ。
 だけれどこの街にはもっと夢の様な伝説がある。死んだ人間は天使になるということ。それは事実だ。でも、死んだ時点で死亡者に関する記憶は消されるのだから、それが現実だなんて誰も思いはしない。

「でもね」

 名前を告げたことでシセもすべてを思い出したのだろう。表情が穏やかな、けれどやりきれないようなそれに変わる。

「どうしても逢いたかったの。ちゃんとお別れ言いたかったの。……大好きだよ、って、言いたかったの」

 伸ばした手が、やっとちかに触れる。まるでそれを待ち望んでいたみたいに、そうすることが当たり前みたいに。
 いつの間にか雪は止み、暖かな空気が流れる。それは祝福なのだと、知っていた。
 足元には、雪に混じってスノードロップが咲く。まるで花園のようだとちかはまた笑った。

「ねえ、ちか」
「うん」
「寒いでしょ」
「そうだね」

 だから、手を取る。照れくさそうに笑いあうのは、カウントダウンを嫌うから。
 シセの手がスノードロップを摘み取り、ちかの胸元へと添える。それはまるでプレゼント。ふわりと甘い香りが漂って、ちかが呼ぶ。しせくん。やわらかく響く声と、雪に変わっていく身体。
 ――あなたの死を望みます。
 そんな怖い話じゃない、どうか、きみが安らかに。だから希望を意味する花を贈る。

「ありがとう」

 いつか来る春で、愛しき人との再会を待ちわびよう。




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