Tears to Smile 大丈夫と言葉を重ねるたびに、大丈夫じゃなくなっていく。きっとそれは、あなたも同じなんでしょう。 でもわたしは狡いから、いつまでも気づかないふりをするよ。いつだって子供のふりをするよ。 そうやって、あなたのそばに、いるよ。 * 「氏瀬くん、氏瀬くん」 「……ちか、いつから居たの」 「ちょっと前だよ」 ちゃんとノックだってしたよ。そう言ってはすこしだけ笑って、ベッドに横たわっている氏瀬くんの顔をのぞく。起きてと急かすわけじゃないけれど、一人で話しているのはさみしい。でもね、別に沈黙だって嫌いじゃない。相手や雰囲気によっては、むしろ好きな部類なんだよ。それを口に出したことはないけれど。 眠たそうに体を起こす氏瀬くんを、視界の隅にとらえる。少しだけぼやける視界の中で、それでもしっかりと氏瀬くんを見つけて。まだ眠たそうな(って言ってもいつも眠そうだけれど)表情でわたしを見ては、問いを投げてくる。 「どうしたの? 急に」 「んー、雨のにおいがしたから来ちゃった」 「におい? なにそれ、変なの」 言いながら、可笑しそうに息を吐く。どうやら本気にされてないみたいだ。冗談で言ったわけではないんだけどなあ。わたしはいつだって、何処までだって本気だっていうのに。 ねえ、と呟いたつもりだったけれど、それは心のなかだけだったらしい。 ……ねえ、淑やかに雨が降るよ。きっと、ここにも。そうでしょう? 「今日、晴天って言ってたよ」 「ふうん」 氏瀬くんの指摘を、適当に受け流してベットの端っこに座る。まるで興味のないような受け答えになってしまった。まあ、きちんと聞いてなかったのも事実だけど。 そんなの、わたしだって知ってる。薄い液晶の向こうで、綺麗なお姉さんがにっこりと微笑みながら教えてくれた。今日は晴れ、気温は高めで、花粉が多いって。息を吐きながら、ゆっくりと背伸びをして、目を伏せる。 「だからね。雨のにおいがね」 「そんなのしないよ」 「ふふ。するよ」 それからまた、二人して黙る。会話の糸口を探す事なんかしないで、静かに、静かに。まるで黙っている事が、当たり前みたいに。一頻り黙ってから、少しだけ空気が動くのを感じた。暖かい陽だまり。外は相変わらずご機嫌よろしいようで、さんさんと光をふりこんでくる。寝ちゃってないかな、と思って顔を向けたら、ぱちりと目が合う。それから揺れたのは、氏瀬くんの瞳。 ――ほら。だから言ったじゃない。雨のにおいがするって。 降り注ぐ雨は、しとしとと。しばらくその現状に気づかなかったんだろう。いち、にい、さん。間をおいてから気づいたように一回瞬きをする。それから困惑したように眉をひそめて、ゆっくりとわたしを見た。 「…………ちか」 「なあに」 「……。なんでもない」 訊きたい事があるなら訊けばいいのに。 言いたい事があるなら言えばいいのに。 そんなに困ったような顔、しなくたっていいのに。 そうは思っても口に出すことはせず、ただただ、黙る。わたしは氏瀬くんのように魔法の言葉は持ち合わせていないし、慰めの言葉だって良く分からない。知ってはいるけど口に出したところで、それは羽のように軽いんだと、思う。だけど、ねえ。確かにわたしが持ち合わせる言葉は少ないけれど、傘の差し方なら知ってるよ。雨が降った時に、どうすればいいか知ってるよ。 今日、ずっと変だったでしょう。知ってるよ、わたし、知ってる。 言葉はのど元に押し込めたまま、ゆっくりと体の向きを変える。そっと手を伸ばして、触れる。手繰り寄せるように、確かめるように。そっと指先が、頬に触れる。そのころには、いつもみたいに笑う事も忘れて、ただ、ひたすらに氏瀬くんを探すように。でも、探すなんてちょっとおかしい。確かに此処に居るのに。でもたまにそれが分からなくなって、だからこそ不安になるのかもしれない。 指先を濡らすのは、言うまでもなく。それでもわたしに出来る事は、拭う事ぐらいなんでしょう。息を吐くような自然さで、氏瀬くんが何かを呟く。なあに、とは言わなかった。 ゆっくりと背中に手をまわして、動かないまま。涙を流しきった双眸に映るのは、どんな世界なんだろうね。手をほどいて視線を寄こしても、長い前髪に隠されて表情が窺えない。それからひとりごとのように、呟く。 「あったかいねえ」 「……そうだね」 「春だねえ。春すき」 「知ってる」 「ふふ。あと虹も好き」 返事が返ってきたから、もうひとりごとじゃないけれど。視線を合わせないままの会話。いつも通りの口調だけど、それでもやっぱり空気が妙なまま。 虹? と不思議そうな声が飛んでくるのを聞けば、少しだけ嬉しくなってうなづく。虹、と一言だけ答えて膝を抱えて座り直す。 ねぇ、雨が降った後には虹ができるんだよ。 だから、涙を流した後は、笑えるといいね。 泣いた理由だとか、そこにある意味だとか、わたしはそんなの、良いの。今あなたが笑ってくれるなら、それでいいよ。そうやってあなたの傍で笑っていけたなら、この上なく幸せだと思うから。 氏瀬くんがまた笑ってくれるまで、隣で待ってるね。 |