その一瞬を焼き付けろ | ナノ


「もう此処に来て1週間経ったんだね〜」
「え」


トントン、と刻みよく鳴っていた包丁の音は、調理室の椅子に座っているジローが放った言葉によって途絶えた。ちなみに今は休憩中でもなんでもないのだけれど、ジローは頻繁に休憩をしなくちゃ飽きちゃうから、跡部の目を盗んではこうやって此処に逃げ込んでくる。

見つかる度に私までとばっちりをくらうから、そろそろ止めてほしいとは思っているのだけれど、思っているだけで口には出していない。私も甘くなったものだ。と、脱線した所で話を戻そう。


「ていうかね、俺、去年跡部の別荘で合宿した時は3日目で母ちゃんの料理恋しくなったのに、今回は全然ならないんだー!」
「それは褒めてるんだよね?」
「もっちろん!」
「ん、ありがとう」


跡部んちのシェフの料理もすっげー美味しいんだけどねえ、やっぱりああいうのはたまにで良いんだー。言いながらジローは、さっきクリームソースで煮詰めた鶏肉をひょいっと口に入れ、おいCー!と叫んだ。

おいこら、何堂々とつまみ食いしてるんだ。そう思い子供を叱るように頭を軽く叩いても、ジローはえへへーと締まりのない笑顔を向けて来るばかりだ。駄目だこりゃ。


「おーおー、練習サボってつまみ食いとはええ度胸じゃのうヒツジ」
「あ!仁王だ!丸井君は!?」
「さあ?」


そこに、これまた何かと面倒くさそうな人物が調理室に入って来た。仁王君だ。彼は、よく自分の学校の後輩や金ちゃんに悪戯を仕掛けては意地の悪そうな笑みを浮かべていて、正直私の中ではあまり近付きたくない部類に分けられている。

と思った矢先にいつの間にかすぐ傍まで来た仁王君は、私の隣に立ちフライパンに敷き詰められている人参と牛蒡をまじまじと見始めた。

きんぴら牛蒡がそんなに珍しいのかなぁ、よくわからん。こんな風に、第一印象はちょっと萌えるヘタレだったけど、それが不思議な人、変人といったあまりよろしくない印象に変わったのは説明するまでもない。


「美味そうなり」
「それはどうも」
「味噌汁、なめこがええ」
「もうしめじ用意しちゃったからまた別の日ね」
「ん」


今の会話の何処で気が済んだのか、そうしてそのまま仁王君はつらーっとした顔で調理室を出て行った。その猫背な後姿に気を取られていたせいで、違う入口から怒鳴りながら入って来た跡部にはかなり驚いた。


「ジロー!お前は何度言えばわかるんだ!」
「あとべー、この肉すっげえおいCんだよー」
「お前も甘やかすな金澤!」


あぁ、回って来ちゃったとばっちり。



***



そうして夕食を終え、大浴場へ行く為に洗面具を持って階段を降りる。各階の部屋からは色んな人達の騒ぎ声が聞こえて、昼間にあんな厳しい練習をしたというのに元気だなぁと、完全に傍観者気分で思った。


「お、金澤。今から風呂か?」
「うん。覗かないでね」


そこで、廊下でバッタリ会った宍戸に軽く冗談をかましてみれば、この純情男は「んなこと誰がするか!」と顔を真っ赤にしながら猛反発して来た。だから、そんな風に素直に反応しすぎるからからかわれるんだってば、という真相は教えてやらない。

いつまでもうるさい宍戸に私がわかったわかった、と宥めるように言えば、宍戸の隣に立っている謙也君は楽しそうに笑った。謙也君は、最初はそれこそ少し馴れ馴れしかったけど、話していくうちになんだか宍戸と似てる所があって(主にやられキャラな所とか)、他校の中では結構馴染める存在になった。


「尻に敷かれとるなぁ宍戸!」
「ウチはかかあ天下ですからねえ」
「…お前ら俺をどうしたいんだよ」


さて、そろそろ本格的に宍戸が拗ねて来たから、ここらへんで私はおいとましよう。2人の間をすり抜けてからヒラヒラと手を振れば、2人もゆるーい返事をして来た。今朝作ってくれたフルーツジュース美味かったで、だってさ。ふふん、金澤家伝統の味なんだから当たり前でしょう。

テクテクテク。気持ち良い絨毯が敷き詰められた廊下をマイペースに歩き続ける。トントン、と肩を小突かれる。振り返る。


「あ、」
「今日も1日お疲れ様です。浴場までご一緒してよろしいですか?」
「あぁ、うん」


振り返った先に居たのは、高そうな眼鏡をクイッと押し上げ、真っ白な輝かしい歯を見せながら微笑んでいる、立海の柳生君だった。これで話しかけて来たのがからかい甲斐のありそうな人だったら「女湯まで入ってくるの?」と冗談の1つでもかます所だけど、相手は紳士と名高い柳生君だからやめておいた。そんな事したらドン引きされる事間違いなしだ。


「いつもいつも美味しい料理をありがとうございます。聞けば、金澤さんは料理部部長なのだとか」
「部長になったのは完全に成り行きだけどね。肩書ではそうなってるよ」
「肩書だけではないでしょう。充分頷けます」


こうもドストレートに褒められる事(それもほぼ初対面に近い人)に慣れていない私は、その言葉には「そっか」としか言えなかった。我ながら可愛くない。
そんな風に大した会話も交わせないうちに、女湯に辿り着いた。男湯は女湯から更に少し歩いた所にあるから、柳生君とはここでお別れだ。


「では、また明日」
「うん、明日」


ごめんよ柳生君、つまんない会話に時間を使わせてしまって。そんな想いを込めながら彼の後姿を見ていると、ふいに背中がすっと丸まった。あれ、あの猫背、なんか見覚えあるんですけど。

そう思った時には既に私の足は歩き出していて、更には彼の傍まで駆け寄りその猫背を軽く叩いていた。びっくりした表情の柳生君が、私を真ん丸な目で見下ろすと同時に慌てたように背筋を伸ばす。でも、もう遅い。


「そういえば、テニスの時も変装するんだっけ。跡部が言ってた」
「…何でわかったんじゃ」
「この背中。今日見たもん」


サラ、と外されたカツラの中からは、案の定派手な銀髪が出て来た。まぁ、騙されていて別に困る事なんかないんだけど、あの跡部が「奴らの変装は凡人じゃ到底見抜けない」と豪語していたものを凡人の私が見抜けたのは、やっぱりちょっと誇らしい。だから、からかうように彼の丸まった背中を叩き続けた。


「俺もまだまだ甘かったのう」
「ていうか、普段から柳生君の格好してるの?」
「いんや、今たまたま赤也に悪戯してきたんじゃ。その帰りにお前さんを見つけたから、どうせならと思って」
「もう少しで引っ掛かる所だった」
「姿勢で見抜かれたのは初めてなり」


変装を見抜かれたというのに何故か楽しそうに笑う仁王君は、やっぱり変人というのにふさわしいのだろう。


「じゃ、そろそろ本当にまた明日」
「ん。明日の飯も期待してるぜよ」
「任せて」


でも、たまにはこういう間違い探し的なのに付き合ってもいいかなーなんてね。



07二度目の、お別れだ
(20121003:南)
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