その一瞬を焼き付けろ | ナノ


ついて来いと跡部に言われておとなしく従うと、案内されたのは馬鹿げた広さの調理室だった。ここが一ヶ月間お前の城だと肩を叩かれる。ぼんやりと立ち尽くしながら、これから一ヶ月どうしようかなぁだとか、今日の晩ご飯は何がいいかなぁとか、そういうことを考えていた。

氷帝、立海大、青学と聞き覚えのある校名に、聞いたことの無い学校、四天宝寺。それが今回合宿に参加する学校らしい。参加するのは各学校のレギュラーと数人の準レギュラー、それからマネージャー陣ということだ。通りであの二人がいるわけだ、面倒だなぁ。


「綾奈綾奈、今日の晩ご飯どうすんのー?」
「ってか一人であの人数分とか本当に大丈夫かよ」
「まぁ量は大丈夫だけど……それよりも一ヶ月ここに投げ出されるのが不安」
「ま、まぁ俺らも出来る限りフォローするから」
「宍戸……ありがと、あんま頼りになんないけど」
「おい」


まぁジローと比べると宍戸の方が多少は頼りになるけれど、それでもこの不安を拭えるほどでは無かった。何よりフォローすると言ったって、四六時中宍戸と一緒にいるわけでは無いのだから限界がある。

材料は欲しいものとその量を跡部に言えば用意してくれるらしい。そこまでするならほんと、跡部のご自慢のシェフなり榊先生のお手伝いさんを呼んでくれたら良かったのに。

溜め息を吐きながら引き出しや棚を片っ端から覗いて行くと、料理部とは比べ物にならない程の調理器具が揃っていた。これは少し、というかかなり腕が鳴るというか……普段なら作れないメニューも作れそうでわくわくする。

私のそんな様子を見て跡部は得意げに笑っている。私がこれを見て喜ぶことを解っていたとでも言いた気な表情だ。跡部なんかの思い通りになったのは癪だけれど、確かにこんな環境で料理が出来ることは滅多に無い。楽しみ過ぎる。


「朝食七時、昼食十二時、おやつ三時、夕食七時だ。この時間に間に合うように料理をするのがお前の仕事だ」
「……おやつって、小学生じゃないんだから」
「四天宝寺からの要望でな」
「とにかく、私の仕事はそれだけなのね」
「それだけって……よく考えたら結構ハードだC」
「マネージャー陣も、それぞれの時間で一人ずつ手伝いに来ることになっている」


なるほど、それなら多少は楽そうだ。配膳なんかは練習終わりの氷帝の部員にやらせれば良いし。早速何を作ろうか、初日で練習はハードなことをしないと聞いているからちょっと食べ応えのあるものは今日作っておくべきだろうか。そんなことを考えながら調理器具や冷蔵庫の中身を確認していると青学のマネージャーの子が手伝いに来てくれたので、跡部達を追い出して早速昼食にとりかかった。

昼食、おやつ、夕食と慌ただしく作り、一日目はあっと言う間に終了した。合間の時間はゆっくり出来るかと思っていたけれど、食器の後片付けやメニューを考えたりでそんな余裕は無かった。まぁそれも、何日かすれば慣れるだろう。

大浴場で入浴を済ませて自室へと戻ろうとすると、自動販売機の前に見慣れない顔が立っていた。黄色と緑が目に鮮やかなジャージを着ている。顔はあの二人と比べれば随分と奇麗な顔立ちをしていて、テニスの選手にも色々いるんだなぁと、どうでも良いことを考えながら前を通り過ぎようとすると、不意に声が掛けられた。


「ごめんなぁ、自分、跡部くんに無理矢理食事担当にさせられたんやて?」
「ああ、まぁ。でもなんで君がごめん、なの?」


聞き慣れない関西弁が耳に飛び込んで来て驚いた。ということは、この人は四天宝寺の人だろうか。三年と自己紹介した私にタメ口で話しかけて来るということは同い年だろうか。


「うちの監督……あ、オサムちゃん言うんやけどな、部費ケチる為に合同合宿を氷帝にもちかけてん」
「ふぅん」
「で、ほんまやったらシェフやらホテルももっと豪華なんにするって話やってんけど」
「ホテルまで……さすが榊先生。でもそうならなかったのは何で?」
「あんまり至れり尽くせりでもなぁ、多少不便なんが合宿っちゅーもんちゃう?」


確かに、学生の身分でそこまでの合宿も普通の人が考えればおかしい。氷帝にいるせいで私の感覚も若干麻痺しているのだろうか。ていうか四天宝寺の監督、がめついと言うか、ずる賢いと言うか。


「会場は青学が決めてんけど、食事だけはうちで任せろって跡部くんが言うてん。てっきり料理人でも連れて来る思ててんけどな」
「そうしてくれたら楽だったんだけどね、私も」
「自分、跡部くんに好かれてんやなぁ」
「止めて……ていうか、名前でいいよ。同い年なんでしょ?」
「おん、四天宝寺の白石蔵ノ介や。一応部長やで」
「へぇ、部長なんだ。金澤綾奈、よろしくね」
「よろしゅうな、綾奈ちゃん。飯、美味かったで」


そう言って、白石くんはあたしに手を振った。わざわざそれを言う為だけに私を待っていたのだろうか。律儀な人だ。





目覚ましの音で目を覚ます。見慣れない天井が飛び込んで来て、今自分の置かれている立場を再認識する。時計を見ると時間は五時半。そうだ、みんなの朝ご飯を作らないといけない。もそもそとベッドから這い出て身支度をし、私は調理室へと向かった。

調理室にはまだマネージャーの子は来ていない。確か、朝食の時は四天の子が来てくれるはずだ。私は昨日のうちに考えたメニューを書いた紙を取り出し、早速準備にとりかかった。静かな調理室に響くのは、私が野菜を切る音と、お湯が沸騰して行く音だけだ。


「金澤」
「……おはよ、跡部に宍戸。二人とも早いんだね?」


ふいに扉の方から声がしてそちらを向くと、立っていたのはジャージを着た跡部と宍戸だった。時計はまだ六時を指していて、朝食が始まるまでにはまだ一時間もある。変なの、と思いながら視線を手元の鍋へと戻し、私は作業を続けた。


「今日は朝食の前に合同でミーティングがあるからな」
「へー、行ってらっしゃい」
「何言ってんだ金澤、お前も来るんだよ」
「は? なんで私まで」
「選手同士はほぼ顔見知りとはいえ、一応顔合わせするんだとよ。マネージャーとかの顔までは知らない奴が多いしな」


宍戸がそう言ってあたしの頭をぐりぐりと撫でた。昨日は各校がバタバタとしてそんな暇は無かったのだけれど、昨夜各部長が話し合ってそういうことになったらしい。なるほど、白石が昨日あの時間までジャージでいたのはそういうことか。

軽い人見知りの私に、あの人数の前に出ろというのか。跡部の馬鹿、と心の中で悪態をつく。仕方無い、さくっと朝食の準備を済ませないとミーティングに間に合わない。出なければ出ないで跡部が五月蝿いだろうし、ここは大人しく従っておこう。ていうか四天の子、まだ来ないんだけどどういうことなの。



「氷帝三年の金澤綾奈です。一ヶ月の間皆さんの食事を担当します……よろしくー」


各学校の部員がそれぞれ自分の名前を言った後、各校のマネージャーが自己紹介をした。そして最後の最後に「マネージャーでも無いならお前は誰なんだ?」という視線を浴びながらそれだけを言うと、私は氷帝の部員の中へと戻った。やはり人前は苦手だ。ジローと宍戸の間が今の所は一番落ち着ける場所になっていた。

午後の練習は一時からで、それまでは各自荷物の整理をするということで解散になった。荷物なんて着替えと勉強道具くらいだからすぐに終わるだろう、それを片付けたら昼食の準備に取りかかろう。部屋に向かう私を呼び溜めたのは、ここに来てから気にはなっていた二人だった。


「綾奈、まさか貴様が来るとは思わなかったぞ」
「……ああ、弦一郎。また老けた?」
「ふっ!? 老けてなどいない!」
「あー、本気で忘れてた。あんたら二人がテニス部だったこと」
「忘れただと? あんなに小さい頃から知り合いだというのにか」
「テニスしてるとこなんて見たことないもん」


手塚と真田。この本当に中学生かと疑いたくなる二人とは以前から知り合いだ。私が直接知り合いという訳ではなく、この二人のお祖父さまと私のお祖父ちゃんが旧友なので幼い頃から知っているというだけなのだけれど。

そういえばずっとテニスをしているということをすっかり忘れていた。覚えていればきっと、跡部に何を言われようがこの合宿の料理担当なんて拒否をしていただろう。この二人がそろうと厄介というか、面倒でしか無いのだ。


「久しぶりだな、綾奈」
「うん、久しぶり。国光も相変わらずな顔してるねー。お祖父さまは元気?」
「ああ」


時折二人のことをお祖父ちゃんから話には聞いていたけれど、その話題に興味があるわけでは無かった。幼い頃の時間を一緒に過ごしたせいか何故かこの二人は勝手に私の兄のような気でいるらしく、過保護というか、ことあるごとに世話を焼いて来る。

一緒に過ごしたと言っても、お祖父ちゃんが国光や弦一郎の家に遊びに行く時について行って遊んでた程度で、この二人と遊ぶと言っても将棋をしたり本を読んだりするくらいでさして盛り上がる会話をするわけでもなかった。


「綾奈、料理なんて出来るのか」
「馬鹿にしてんの国光」
「いや、そういう訳では」
「貴様の手料理なんて食べられるのか?」
「弦一郎は明らかに馬鹿にしてるよね。ていうか昨日のご飯も今日の朝ご飯も私が作ったんだからね」


こいつらの料理だけ別にクソ不味く作ってやろうか、なんてことを考えながら、私は二人と別れて調理室へと向かった。出来上がった朝食を、氷帝の部員と各学校のマネージャーに手伝ってもらいながら食事をするホールへと運び出す。まぁ、二人とも昨日は美味しそうに食べてくれてたから、さっきの言葉は水に流してあげてもいいかな。



02忘れたとは言わせない
(20120811:理恵)
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