その一瞬を焼き付けろ | ナノ


日常生活の中であー、ツイてないなーと思う事は勿論ある。まぁ別にツイてないと言ってもそれはほんの些細な事で、例えば朝乗らなきゃ行けない電車に一足遅れて乗れなかったとか、提出期限を間違えてプリントを出し忘れたとか、若干支障はきたしても挽回が効かないなんていうレベルでは全く無かった。

でも、人には避けられない道があるのだという事を、私は今身を持って実感している。


「じゃあ金澤、1ヶ月間精々俺様達の奉仕しろよ」
「やったー綾奈の料理食べれるとか最高だCー!」
「あんま無理すんじゃねぇぞ」


今回の試練の中で唯一の知り合いである跡部、ジロー、宍戸がそう声を掛けてくれるけど、宍戸以外はどうも頼りになりそうにない。むしろこの面倒事に私を巻き込んだ張本人は跡部だ、全ての元凶に助けを求めるなどお門違いにも程がある。


「…マジかよ」


目の前に聳え立つ巨大な施設、もとい、これから私が1ヵ月間彼らと過ごす事になる合宿所を見上げれば、口からは思わずそんな言葉が吐き出た。もう一度言う。マジかよ。


その一瞬を焼き付けろ


そもそもの事の発端は、約2週間前、ちょうどテストが終わって学校は夏休みに入る直前だった。追試も無事に切り抜けられて完全に浮かれ気分だった時、まさに水を差すようにそれはやって来た。


「へぇ、テニス部合宿あるんだ」
「しかも1ヶ月も!丸井君と会えるのは楽しみだけど、沢山寝れなさそうだからそれはやだなー」
「合宿に何しに行くつもりだよ」


いつも通り席が近い宍戸とジローと適当に話していると、その時はたまたまテニス部の合宿についての話題が出た。テニス部の知り合いは3年になってから一緒のクラスになったこの2人と、1・2年の頃一緒のクラスだった跡部しかいないけど、その凄さは周りから耳にタコが出来るくらい聞いている。むしろ知り合いの跡部があれだ、あれが部長の部活なんてどんなものになるかくらい予想は容易く出来ていたけど、実際に氷帝コールやらを目の当たりにするとなんて言うかもう引く領域に入る。

ていう悪口は置いといて、私は「それでよ」と歯切れ悪く言葉を切り出した宍戸の顔を、首を傾げながら覗き込んだ。一度合った目はすぐに逸らされ、急におかしくなった宍戸の態度に眉を顰める。どうしたんだこの人。


「跡部が、お前を」
「金澤はいるか」
「…え゛」


キャア!と沸き上がる教室の女の子達とは対照的に、蛙が潰れたような濁った声が喉から出る。相変わらずの態度で教室に登場した跡部は、私達の姿を目で捉えるなりズンズンと歩みを進め目の前に立ちはだかって来た。そしてニヤリ、と口角を上げる。

跡部がこういう顔をする時は大抵悪い事が起こるので、それを察した私は何かを言いかけた宍戸にちょっと鋭い視線を向けた。でも宍戸は依然逸らしたままだ。この野郎!ジローもジローで「あーあの事かー!」とか言って楽しそうにしてるし、え、何だろうこの状況。


「料理部部長金澤綾奈、お前に今回のテニス部合同合宿の同行を任命する」
「ヤダ」
「拒否権はねぇ、これは命令だ」
「絶対ヤダ」
「こっちだってお前が嫌なのが嫌だ」
「小学生かあんたは」


自信満々に言い放って来た跡部の言葉に即答すれば、なんとも自己中な答えが返って来た。跡部が自己中なのは今に始まった事じゃないにしても、流石にこの命令は受けられない。テニス部合宿?1ヵ月間?しかも合同の?はぁ?悪条件、というよりも面倒臭さしか揃ってないその合宿とやらに、まさかこの私が連れて行かれるというのか。

確かに、ジャンケンで負けたせいで柄でも無い部長という立場を担っている我が料理部は、主に料理担当として運動部の合宿に派遣される事が多い。でも、私はそれについては今まで戦力外要員だったので(全部他の子に任せてた)、まさか部長になってからその役割が回ってくるとは思ってもいなかった。ていうかテニス部なんて今まで派遣取ってなかったのに何で今更、と考えれば考えるほど沸き上がってくる疑問を、全部容赦なく跡部にぶつける。


「今年は例年と違って他校も含めた4校合同合宿だ。よって、圧倒的にマネージャーの数が足りない」
「それって私に関係あるの?」
「雑用なんて誰でも出来るが、大人数分の料理を手際良く、かつ美味く作れる女なんて早々いねぇだろ」
「あんたの所のお手伝いさんに頼めばいいじゃん」
「残念ながらこの合宿の主催者は各校の監督達だから、そこに俺の個人的な意向は反映されねぇ。それに、こんな事にいちいちシェフを呼ぶ必要もねぇだろ」
「あとべはね、綾奈の料理が食べたいだけなんだよー」
「もう跡部なんかどっか行っちゃえよ」


話しても話してもキリが無いこの坊っちゃんには、軽く殺意すら芽生えてくる。

でも、恐らくここまで話が進んでいるという事は本当に私に拒否権は無いのだろう。今まではかろうじて平部員だから逃げてこれたけど、まさか部長の私が私情で断る訳にもいかないし、だから仕方なく、本当に仕方なく首を縦に振る。すると跡部はたちまち嬉しそうな顔で「当然だろ!」とか抜かしてきたので、腹いせに宍戸を叩いておいた。苦情は受け付けない。


「いってぇよ何すんだお前!」
「いくら私でも跡部の高貴な顔に傷を付ける気にはならない」
「俺だったら良いってか、どういう意味だそれ」
「宍戸は元から古傷だらけじゃん」
「そーかよ…」
「じゃあ、詳しい事は今日の夜にでも電話するぜ。絶対出ろよ」
「多分ね」
「おい」
「絶対出ます!」


睨みを利かせて来た跡部にムキになって返せば、跡部は「上出来だ」と言って私の頭を一撫でし、そのまま自分の教室に戻って行った。後ろから飛び蹴りかましてやろうか。





…とまぁ、こんな経緯で巻き込まれて、今に至る訳ですが。


「(なんだ、コレ)」


見渡す限りの人、人、人、ていうか、男、男、男。何処を見ても男ばっか。色とりどりのジャージに髪色、背も高い人ばっかりでこの中にいるだけで圧迫感を抱いてしまう。しかも、参加校を聞いていなかったせいで知らなかったけど、見知った老け顔も2人程いる。


「おい金澤、大丈夫か?顔色悪いけど」
「そりゃそうだよ」
「…だよな」
「ていうか合宿所豪華じゃん。跡部のとこじゃなくても、榊先生のとこのお手伝いさんとか余裕で呼べる感じじゃん。あの人も金持ちなんでしょ」
「だから言ったじゃんー、跡部は綾奈の料理が好きで、綾奈が居てくれればいいだけなんだC」
「はぁ…」


只でさえ氷帝の中でも知らない人が大半なのに、若干人見知りの私がこんな状況で1ヵ月間もやっていけるのだろうか。いや、無理だ。どう考えても無理だ。

料理を作る事は好きだし、レシピを考えるのも、何より食べたものを美味しいと言って貰える事は大好きだ。でも、それは時と場合によるものであって、だからといって決して此処に来て良かったという結論にはならない。


「金澤、俺に着いてこい」
「えー」
「金澤!」
「わかったよもう!うるさい跡部!」


いちいちうるさい跡部の背中を小走りで追いかければ、便乗するようにジローも私の後に着いてきて、宍戸もなんだかんだ隣にいてくれる。そんな私達を他の氷帝の人達は少し困った感じで見ているけど、今はそれに構っていられる程の余裕はない。

色々と不安が入り混じる中(むしろ不安しかない)、私にとって試練の1ヶ月間が始まろうとしていた。



01君に呼ばれた気がしたんだ
(20120810:南)
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