その一瞬を焼き付けろ | ナノ
嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ。いやむしろ嘘だと言ってよ。
「…ふぎゃあ!」
嘘だ!と叫んだつもりの声はめちゃくちゃ不細工な鳴き声で再生され、これが自分の声かと思うと愕然とした。今は何年何月何日何時何秒何曜日?つーか此処何処?私は金澤綾奈、よしそれはちゃんと覚えてる。でも、はっきり自覚しているだけにこの状況はあまりにも不可解すぎた。右手をめくればそこには肉球、反射する水たまりを見ればそこには白のモフモフ。
そうなんです、私、猫になったみたいなんです。…ってんな訳あるか!
「にゃあー…」
今のはどうしようー…で、叫ばなければ割と可愛い声も出るのが判明した。とりあえず当ても無く歩いてみるけれど、どうやら此処は誰かの家みたいで、目の前には寝転がれば絶対に気持ち良いであろう日当たり抜群の縁側がある。普通なら不法侵入になるけれど、今の私は猫なのだ。…此処は猫らしく気ままに行こう。
「ほあらー」
「…にゃ?」
自分でも焦っているのかそうでないのかもはやよくわからない、だからこういう時は一時休息するのが1番!そんなもっともらしい理由を付けてさぁ寝ようと目を閉じた瞬間、すぐ真上からそんな鳴き声が聞こえて来た。反応して首を上げれば、私よりも更にモフモフした猫がそこにはいた。くんくん、と遠慮なしに匂いを嗅がれるものの、ものの数秒で飽きたのかあくびをして何処かへ行く猫。なんだっけ、ヒマラヤン?っていうのかな。
ていうか睡眠妨害しただけかい。心の中でそんなつっこみをいれつつ再び目を閉じようとしたら、私の視界にはまたもや猫が入った。次は真っ黒の小柄な猫だ。とことこと近付いてくるその様子は明らかに警戒していて、自然と自分のしっぽもゆらゆらと揺れる。
「誰あんた」
そして、第一声にそんな言葉。…えぇ!?
「猫が喋った!?」
「いやあんたも猫でしょ」
「ていうかその声…もしかして越前君?」
「…え、金澤さん?」
さっきまでは猫の鳴き声しか出なかったのに、彼を目の前にすると途端に人語に変化した。なんというミラクル。しかも、何故越前君?
「此処俺の家。さっきの猫、俺の飼い猫」
「…あの、この状況はなんなんでしょう?」
「俺が聞きたいっすよ」
仲間を見つけたはいいものの、越前君も分からないんじゃ意味が無い。どうやら彼もいつの間にかこの姿になっていたみたいで、私達は理解出来ない状況にふかーーーい溜息を吐いた。
「どうしよう…絶対跡部にどやされる、こんなんじゃ料理作れない」
「まず、なんで合宿所から俺んちに移動してるんですかね。つーかなんで猫?」
「そこだよ1番に考えるのは。漫画じゃあるまいし」
いくら頭を捻って考えても答えは出てこない。いい加減考えるのにも飽きた私達は、越前君の提案で青学に行ってみようという結論が出た。確かに2人でモタモタしているよりも知っている人達の顔を見た方がまだ安心だろう。あまり青学と絡みがない私でもそう思うのだから、越前君は早く会いたいに決まってる。
でも、その前に。
「…カルピンと話せるか試して来ていいっすか」
「え、あ、うん」
私が返事を言い終える前に走って行った越前君は、5分くらいしてから満足げな顔で帰ってきた。カルピンというのは多分さっきのヒマラヤンだろう。私は話せなかったけど、そこは飼い主との絆があるのかどうやら会話に成功したらしい。
「満足した?」
「あいつ俺の事大好きっすよ」
「人の事言えないと思うけどなぁ」
今は猫だからよくわからないけど、きっと人間だったら凄く緩んだ表情になってる事間違いなし。そんな彼の可愛い所を発見しつつ、青学までの道のりを歩き始める。歩いている間も私達は人語で言葉を交わしていたけど通行人にはただの猫の鳴き声に聞こえるのか、時折顎を撫でられたりと特に不審がられる事は無かった。
「此処?」
「そうっす」
校内に入ると知らぬ間にお互い駆け足になっていて、テニスコートに着いた頃には息が上がっていた。何処だ何処だ、と見知った顔を2人で探す。そして、いた。鮮やかな色のジャージを着ている、すなわちレギュラー陣が練習に打ち込んでいた。
「ったく、越前の奴無断欠席とかいけねーなぁ、いけねーよ」
「遅刻はしょっちゅうだけど来ないのは珍しいよね」
桃ちゃんと不二君の会話を聞いていてもたってもいられなくなったのか、越前君は猛スピードでコート内に侵入してった。突然の黒猫に部員達は驚いてこそいたけれど瞬時に可愛がるモードに入り、あの感じなら良いかなと思い私も中に入る。
足を踏み入れた直後、ふと影が落ちてきたので見上げるとそこには海堂君がいた。あ、そうだ、この子動物好きなんだった。ちょうど歩くのも疲れてきたしサービスの意味も込めて、えいっ。おもむろに腕の中に飛び込めば海堂君はしっかりと受け止めてくれて、そのまま彼の進行方向に身を委ねる。越前君はそんな私を見て「なんで海堂先輩!?」とびっくりしてたけど、そのまままた先輩達に訴え始めた。
「俺っすよ、先輩達!」
「かぁーわいいにゃー!白黒猫!」
「珍しいな。この猫達がウチに住み着いてるデータは無かったんだが」
「野良にしては綺麗すぎるよね」
冷静に分析する乾君と河村君だけど、他の部員達(と、越前君もか)はそれどころじゃない。私はといえば、海堂君の腕の中にいる限り安全だから特に焦ってはいない。ていうかなんとなく気付いて来ちゃったし。
未だ自分が越前リョーマである事を主張している越前君に、私はそろそろ声をかけようと口を開きかけた。と、その時。
「部活中に何を騒いでいる!」
一際大きい、ここ最近でまたよく聞くようになってしまった声がコート内に響く。…面倒なのが来た。流石にその人の前じゃ駄目だと悟ったのか海堂君は優しく私を地面に降ろし、最後に一撫でしてその人物───国光の元へ行った。
「手塚、迷い猫が入ってきちゃったんだ」
「迷い猫?」
不審を表情にしか出さない国光に代わり、隣にいる大石君が若干裏返った声を上げる。すると私の体はまた地面から離れ、横を見ると越前君もいた。どうやら桃ちゃんにまとめて抱き上げられたっぽい。
「どうするんすか?」
「外へ出せ」
…わかってはいたけど、この鉄仮面が!その意を込めて低い声で鳴いてみると、菊丸君が「嫌われちゃったねえ、手塚」と苦笑いで気持ちを代弁してくれた。越前君も不満そうだ。
「…少しは伝われよ」
「越前君?」
「もういいや。行こう金澤さん」
唐突に桃ちゃんの腕から抜け出した越前君は、そのままスタターっとコート外に出て行ってしまった。明らかに不貞腐れている後ろ姿を見て私も追いかけ、不二君の「ほら、拗ねちゃった」という言葉を最後に耳に入れる。国光の分のおやつだけまずく作ってやろう。
「越前君足速いよ、しかも何で此処?」
「猫の習性ってやつじゃない」
追いかけて辿り着いた場所は大木の上の方で、中でも1番太い枝に彼はどすんっと勢いよく座った。多分、気付いて貰えなかった事がそれなりにショックだったんだろう。実際問題猫の姿で気付ける方がおかしいんだけど、そこがまだまだ割り切れないのは彼がまだ気付いていないからだ。
ねえ越前君、と種明かしをしようと口を開いた時───バキッ、と嫌な音がした。
「ちょっ!」
「危ないっ!」
自分の大声でガバッと体を起こすと、隣にいた彼も全く同じタイミングで起き上がった。お互い目をパチパチと瞬きさせ、何が起こっているのかよくわからない状況に頭がこんがらがる。
「…金澤さん、力強い」
「あ、ごめん」
とそこで彼、越前君の腕を思いっきり掴んでいた事に気付きようやく我に返る。
辺りを見渡せば、そこはいつもの合宿所だった。体についた草をほろって、また見つめあって、最後に思いっきり噴き出す。
「2人して同じ夢見るなんてありえる?」
「しかも猫って…」
「まぁ、私は途中で夢だって気付いたけどね」
そう、今見たのは全部夢だった。最初こそびっくりしてテンパりまくったけど、夢を見ている時にあ、これ夢だなと途中で気付くケースは別に珍しくない。だから終盤は余裕をこいていられたんだけど、いくら夢とはいえ彼が木から落ちそうになったのには結構肝が冷えた。
「越前君拗ねてたねー」
「うるさいっす。大体なんで同じ場所で寝てるんすか」
「いや、君の寝顔があまりにも気持ち良さそうだったからついつられて」
「…金澤さんこそ」
夢だと知ってた割には、随分必死になってくれたっすね。そう言いながら越前君は私が掴んで赤くなった腕を指差し、さっきの拗ねていた男の子とは思えない表情で挑発してきた。
「うるさいよ。国光と同じようにおやつまずくするよ」
「あ、やっぱ金澤さんあの時キレてました?」
「国光相手だからよけいね」
時計を見ればちょうどおやつタイムの1時間前で、今から作り始めれば多分間に合うだろう。束の間の休息は終わりだ。裏庭から離れお互いの分岐点で一度立ち止まり、また会話を交わす。
「おやつ、楽しみにしてるっすよ。綾奈さん」
「…おっけー、リョーマ?」
私の返事に満足したのか、そこでえち…リョーマとはようやく別れた。一緒の夢を見て連帯感でも高めてくれたのだろうか。まぁそれでも、あんな貴重な体験は夢じゃない限り早々無いだろうし、良い経験とでも締めくくっておきましょうか。あ、あと合宿終わったらカルピンに会いに行こーっと。
15彼が猫になっちゃった!
(20130517:南)