友人として日吉や樺地、勿論萌乃ちゃんに対しても尊敬できる部分は沢山ある。でも、自分より小さいはずなのに何倍も何十倍も、それよりももっと大きく見えるこの背中は、尊敬という言葉では表しきれないほど俺の中で大きい存在になっていた。



「宍戸さん!!自慢の髪だったのに…!」



この人がレギュラーに戻れないなら自分が抜けた方がよっぽどチームの為になる、本気でそう思ったからこそ俺は監督の「お前が落ちるか?」という質問にも構いません、と本心で答えようとした。なのに、宍戸さんはそんな俺の意志を許さないとでもいうように前に出て、ずっと伸ばしていた髪をざっくばらんに切ってしまった。そして、特訓の時よりも更に真剣な、かつ緊張した面持ちで監督に土下座する。



「監督。…そこにいる奴は、まだ負けてはいない」



瞬間後ろから聞こえた声に、いよいよ視界が滲んでくるのを嫌でも感じる。なのでグッと下唇を噛んで何かが溢れてこないように堪え、俺はただ黙って事の成り行きを見ていた。というよりも、それしか出来なかった。

 自分からもお願いします。 そう言って軽く頭を下げた跡部部長。榊監督が俺達1人1人の目をジッと見てから口を開くまでの間が、今までのどの時よりも心臓が煩かった。



「勝手にしろ」



その言葉が理解出来たのは、立ち去って行った監督の後ろ姿が小さくなってからで、俺の肩は分かりやすすぎるくらいにガクッと下がった。緊張で強張っていた体がゆるんで、まるで金縛りが解けたような感覚に陥る。

それから宍戸さんと跡部部長はお互い憎まれ口を叩いていたけれど、勿論それが本気でない事くらい誰から見ても分かる。対して俺はというと、あまりにも安心しすぎたのか堪えていたものが一気に目から溢れて来て、2人はそんな俺を見て苦笑しながら背中を叩いた。すみません、今だけちょっと、止められそうにないです。



***



「滝はレギュラーから外せ。代わりに準レギュラーの日吉が入る。以上だ、それでは練習を再開しろ」



いつもと変わらない厳しい声色で放たれた命令に、自分でも自覚するほど動揺した。宍戸先輩に1−6で敗れた以上、滝先輩のレギュラー落ちは明白だった。それでもまさか此処で自分の名前が出るとは思っておらず、日々下剋上をモットーには掲げて来たが、こんな形で成し遂げてしまうなんて。

 なんとも面白くない。

傍らでは宍戸先輩が早速抗議の声を上げているが、正直そんなの耳に入らない。急に変わった自分の位置付けを把握しようにも、わだかまりがでかすぎてどうしようもなかった。そして宍戸先輩は何処かへ行き、あのデカ馬鹿犬も同じようにぴったり付いて走って行った。こっちなど、目もくれずに。



「頑張れよ」



気が付くと、すぐ近くに滝先輩が居た。先輩はそれだけ言って俺の肩をポン、と叩くと、そのまま人気の無い方へ歩いて行った。その頑張れはどういう意味なのか。少なくとも、これからレギュラーとして頑張れよ、という意味には、到底聞こえなかった。



「若!!!」



そして、―――なんでお前はこういう時に空気を読まずに来る!
このままではこの苛立ちをモロにあのチビ馬鹿犬にぶつけてしまいそうだったので、後ろから呼ばれるのを無視して俺は校舎裏へ走り出した。勿論、あの馬鹿犬のうるさい足音も声も鳴り止まない。だから俺は本気で撒く勢いで走り、いよいよあいつの声が聞こえなくなった所で一度立ち止まった。

が、そう油断したのがいけなかった。



「…お前もあいつ側か」

「ウス」



ガシッと急に掴まれた腕。驚いて後ろを振り向けば、いつもより若干眉を下げて情けない顔をしている樺地がそこにはいた。観念して黙っていれば、ようやく萌乃も滑り込むように校舎裏へ駆け込んで来た。



「そ、んな本気でっ、走らなく、ても!」

「そう言うんならお前が早くなれ」



女子ではトップなのに、と嘆く萌乃だが、こいつ自分がなんで此処に来たのかを忘れているらしい。なので何も言わずただジッと睨みつけると、ハッと思い出したような顔をして、途端に泣きそうな顔でオドオドし始めた。



「あの若、えっと一体何が」

「お前知らずに追いかけて来たのか!」

「だって若が変な顔してたから!」

「誰が変な顔だ!?」

「辛そうだったから来たの!!」



お互い叫びながら言い合う。が、その萌乃の一言で俺はなんと話を続ければ良いのかとうとう分からなくなった。辛そう?俺が?何故?



「…宍戸さんが、滝先輩に試合を申し込んで、圧勝した」

「…そうなんだ」

「だが、それを見た監督が滝先輩の代わりにレギュラーに選んだのは、宍戸さんでは無く俺だった」



準レギュラーという立ち位置に満足など微塵もしていない。その事をこいつも樺地も知っているはずだが、そう報告した所で2人の表情は一切晴れなかった。晴れるはずがない。俺達は皆、それが本当になるはずがないと分かっているからだ。



「宍戸さんは即座に監督を追いかけ、鳳も着いて行った。その後には跡部部長も。どういう意味か分かるだろ?期待損どころか期待もしちゃいないが」

「若、」

「とか言い聞かせている割に一瞬でも喜んでしまった自分が惨めで堪らない。どうせ俺を必要としてる奴なんていないのに」

「若!!」



俺の言葉を遮って、萌乃は樺地の手を引きながら目と鼻の先に顔を近付けて来た。だから、なんでお前が泣いてる。…泣きたいのは俺の方だ。流石にこんな事は口には出さず黙っていると、なんと2人はガバッと両手を広げた。馬鹿真面目に。樺地お前まで何やってるんだ。これはまさか、俺にそこに飛び込めと言っているのだろうか。



「お前ら馬鹿だろ」

「馬鹿でもいいよ!!強がってる若の方がよっぽど馬鹿だよ!泣きたきゃ泣けばいいじゃん!!」

「だから、お前が泣くな」



ジュルジュルと鼻水を汚く出す萌乃に、「ウス」とだけ言って更に強く両手を広げる樺地。



「…お前ら、馬鹿だろ」



間違いなく馬鹿だ。生粋の馬鹿だ。言うまでも無く馬鹿だ。そこまで心の中で罵倒したところで、俺の足は自然と一歩前に出ていた。瞬間、間髪入れず主に萌乃の方から引っ付いて来て、暑苦しい事この上なかったが、不思議と離れる気にはならない。そこまで考えて、俺もこいつらと同じくらいの馬鹿だという事を思い知った。


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