「あ、若おかえ」
帰宅し居間の襖を開けるなり、何故か萌乃が居たから反射的にピシャリと閉めてしまった。襖の前で立ち尽くしている俺に、台所から出て来た母さんが「おかえり、萌乃ちゃん来てるわよ」と話しかけてくる。言うのが遅い。
「俺は部屋に行く」
「あらなんで、喧嘩でもしたの?」
「なんで閉めるの若!」
ウチでご飯を食べたのかちゃっかり口の端にケチャップをつけてやがる。だから俺はそれを乱暴に手で拭ったが、「なんで!」と訴えてくるこいつの目からは逃げられず、仕方なしに溜息を吐いて居間に入る。犬のようにつきまといながら着いて来るのが鬱陶しい。
「若もご飯食べる?」
「いや今はいい」
「萌乃ちゃんデザートは?」
「いただきます!」
「おいコラ」
なんでお前がそんなに遠慮無いんだと言いたくなったが、その辺りをこいつに言及しても意味がない。だから俺も「やっぱり食べる」と母さんに言ってから、乱暴に座布団に腰を降ろした。間髪入れずにくっついて座ってきた萌乃からすぐ距離をとって、制服のネクタイを緩める。
「若と仲直りがしたい!」
耳元で突然叫ぶものだから反射的に萌乃に視線を移すと、色々不安があるけど上手く笑おうとして全く笑えてない、歪んだ表情をしていた。自分の我侭を通したい時によく浮かべる表情のそれは、今までに何度も見て来たのだからいい加減見慣れた。
「お前は小さい事でいちいち悩み過ぎだ」
「私にとっては小さくなかったの!」
「その度に宥め役に回る俺達の身にもなれ」
「長太郎と樺ちゃんは優しいよ!」
「そこに甘えるな」
「それでも若と仲直りがしたいです!」
もう一度強調するように言って来た言葉は、やはり話の筋など何も通っていないただの我侭だ。鼻息が荒くなりすぎて鼻が膨らんでいるし、油断すれば今にも泣きそうになってやがる。面倒臭い。いつもこちらの事情なんか無視で、兎に角自分が思った通りに行動するこいつに何度腹が立ったか。
だが、そんなの今更だった。
「勝手にしろ」
今まで見た事の無かった、あんな大人びた表情をされるよりかは今の方が全然マシだった。こちらの想定範囲外の事をされて乱されるよりは、餓鬼のままのこいつの方がまだマシなのかもしれない。
「仲直り!?ねぇ仲直り!?」
「うるさい」
「若ご飯よー。萌乃ちゃんアイスとゼリーどっちがいい?」
「どっちも食べたいです!」
「そう言うと思って両方持って来たんだけどね」
そうして母さんが飯とデザートを持ってくれば意識はそっちに向けられ、今までの気まずさなど無かったかのように飯の時間が始まる。ここでも遠慮なしにデザートを頬張っている萌乃を見て、俺も鰤の照り焼きをつつく。部活で疲れていたせいか、それはいつもよりも美味く感じた。
***
「あの2人はいつまであんな感じなのかな」
「さぁな」
滝と跡部は、食堂の列に並びながらも言い合いしている萌乃と日吉を見て、既に席に座りながらそう会話を交わした。つい昨日までの様子がまるで嘘のような2人に、彼らだけではなく他の者も若干呆れている。
「見てて飽きねぇからいいんじゃねーの」
「あはは。確かに」
「若が答えこそっと教えてくれればプリント出されずに済んだのに!」
「元はと言えばお前が寝てただからだろうが、人のせいにすんな」
何を言い争っているのかと思えばやはり内容はくだらないもので、2人はやれやれと目を合わせる。ランチプレートを机に置いた後も中々収まらない為、仕方なしに忍足が仲裁に入れば、ようやく渋々だがその喧嘩に終止符が打たれた。
「大人になってほしいような、ほしくないような」
実質年齢は1個しか変わらないのに、2人を見ていると保護者目線になってしまうのは無理もない。先の事など誰にも分からないが、少なくとも今はその未来に陰りは見られなかった。