そんな事がありまして翌日、木曜日、午後2時半。今日は昨日よりも少しだけ涼しくなったから、バテてないチコを連れてお散歩に出かける事にした。
「萌乃ー!うんち袋持ったー?」
「持ったー!」
「ついでにハーゲンダッツ箱買いして来てー」
我が家はやっぱりハーゲンダッツが必需品らしい。昨日のガリガリ君も新鮮で美味しかったけど。
さぁて今日は何処行こうかチコ!という意味を込めてチコに笑顔を向けると、パタパタとしっぽを振りながら十字路の右を曲がった。よおし今日はこっちの道な訳ね。棒付きの飴を舐めながらトコトコと歩き、時々チコのおしっこを待って、また歩いて。昨日あんまり散歩という散歩を出来なかった分今日は元気爆発だ。どうせ明日もゴロゴロしてるだけだし奮発してたくさん付き合ってあげるねチコ。
「ん?」
そう思っていると、ふと視界の左側に階段が見えた。階段の始まりには「フリーテニスコート」というちょっと古びた看板が立っていて、耳をすませば蝉の鳴き声と一緒にテニスボールのパコーン!という音も聞こえる。もしかしたら誰かいるかもなーなんていう当てにならなさすぎる考えを持ちながら、ぴょこぴょこと一生懸命階段を上っているチコを横目に私もゆっくり上る。
おぉ!
「予想的中!」
「あれ、萌乃ちゃん!」
「長太郎よそ見すんな!」
上った先にはまさかのまさか、宍戸さんと長太郎がいた。私の勘もたまにはアテになるらしい!そうして長太郎が宍戸さんからポイントを取られたのを区切りに、2人はちょいちょいと手招きをしてくれたので素直にそっちに駆け寄る。心なしかチコが宍戸さんを見て目を光らせている気がします。
「よー牧田ってうお!お前確かチコだったか!元気有り余ってんな!」
「こんにちはー。宍戸さん見た瞬間はしゃぎ始めました」
「えーチコ、俺は眼中に無いの?」
ちょっと寂しそうにしている長太郎の頭は私が撫でてあげる。すると少し照れ臭そうにして「俺子供じゃないよ」と口を尖らせた。充分子供だよー!
「お前らは充分ガキだろ。つーか赤ちゃんレベル」
「赤ちゃんて!ていうかお前らってなんでちゃっかり私まで入ってるんでしょうか」
「いやどちらかというとお前の方が赤ちゃんだから」
なんてちょっと憎たらしい事を言われても、宍戸さんとチコという素晴らしすぎるツーショットを目の当たりにしてしまったら私はもう何も言えません。
なーんていう風にグダグダと喋っていると、2人が使っていたコートに誰かがバタバタと足音を立てて入って来た。反射的に私達の視線はそっちに向き、するとその瞬間
「おいてめーら!俺の相手しやがれ!」
まさかの言葉に思わず口が開く。右を見ると宍戸さんとチコは首を傾げていて、長太郎は目をぱちくりさせていた。やっぱりそうなるよねえ。でもその男の子は黙っている私達に腹が立ったのか(元からプリプリしてたしなぁ)、「いいから早くしろ!」と続けてまた叫んだ。これに宍戸さんが一度溜息を吐いて、チコを私に渡してからその子の元に近寄って行く。
「別に良いけどそんなギャンギャン吠えんなよ」
「は!?吠えてねえよ!俺は犬じゃねえ!」
「わんっ!」
本物の犬が吠えた!
「いいから始めようぜ」
「…馬鹿にしやがって」
だけど2人のその言葉で緩んでいた雰囲気が一気にパリッと緊張し始めて、私と長太郎は思わず眉を下げて顔を見合わせた。な、なんなんだろうこの展開。でも私達の不安とはよそに、男の子がボールをバウンドする音が耳に入る。からし色のジャージにクリッとした猫目とクルクルな天然パーマ?が特徴的な男の子は多分私と同い年か下くらいで、ちょびっとだけよりによって宍戸さんに当たるなんてと同情する。
そう、同情した、のだけれども。
「ねえ長太郎、あの男の子、私の見間違いじゃなければ」
「うん、強い。見間違いじゃないよ。強い」
最初は余裕そうだった宍戸さんの表情がどんどん強張っていって、今はもう公式戦を見に行った時と同じ顔をしている。どうしようこれどうなるんだろうと思っていると、不意に後ろからまた足音が聞こえて私達は首を後ろに向ける。
「おー、本当にやってるねえ。秘密の特訓かぁ」
「俺達に見られた時点でもう秘密では無いだろう。練習試合が終わって何処に行ったかと思えば」
「フォームがなっとらん!」
見るからに強そうな人、おかっぱ頭の人の間に、女の子みたいに可愛い人がウキウキした目でコートを見ている。ついでにあの男の子と同じジャージを着てる。色々インパクトのある3人から目が離せなくてついまじまじと見ていると、女の子みたいな人に気付かれてそのままにこっと微笑まれた。うわあああ可愛い!
「赤也!!貴方宿題も終わってないのにまたテニスして!!」
「うわ、母ちゃん!?」
で、も。
突然の怒声にびっくりしてコートに視線を戻せば、綺麗な人がエプロンを付けたまま(ついでに片手におたま)男の子の首根っこを掴んでずるずると引きずって行った。後ろからは爆笑が聞こえるけど、私達3人は今度こそ皆口を開いてぽかーんとしている。チコはあくびした。「ぜってー決着付けるからなー!!」「うるさい!」ゆ、愉快。
「…なんだありゃ」
1番よくわからない思いをした宍戸さんは頭を掻きながら私達の元へ戻って来て、そのまま「帰ろうぜ」とテニスバッグを肩にかけ歩き出した。それに私達も続いて、チラリと後ろに目をやった宍戸さんにつられてまた私も後ろを向く。
「あいつら立海大の三強じゃねえか。何でこんな所に?」
「練習試合がどうとか言っていたのでこの辺であったんじゃないんですかね。俺もジャージで立海とは気付いたんですけど、まさか三強が此処に来るなんて思ってなかったんで」
「つーことはさっきのガキ、試合の時観客席でやたらうるさかった1年か。どうりで見覚えあると思った」
「立海ってあの立海ですか?」
2人の会話の中に聞き覚えのある学校名が出て来て、一気に心がちょっと曇った気分になる。テニス部にも弓道部にも越えられなかった壁、立海大附属中。そう思うとつい眉間に皺が寄って、ついでに口も尖る。ちくしょう。
「そうだよ。あの3人は2年生だけど強さは明らかに群を抜いているんだ」
「真田は老け具合も群を抜いてるけどな」
「真田?…真田!?」
そこで記憶がブワーッと押し寄せて来て、脳内はある日の我が家の食卓に切り替わった。お父さんが言っていた同じ会社の人の息子さん、真田君。アクロバティックが得意かもしれない真田君。
彼こそが!その真田君!!
「え、ちょっと萌乃ちゃん何やってるの!」
これは完全に八つ当たりだけどどうも居てもたってもいられず、私は後ろを振り向いて未だこっちを見ていた立海達、その中でも真田君に焦点を当てて思いっきりアッカンベーをした。長太郎が慌てて取り押さえて来たけど、そんな事は関係無い。ていうか全然アクロバティックしなさそうじゃんか!
「何真田、あの子に何かしたの?」
「い、いや、特に心当たりは無いのだが」
「あそこまで熱が籠ったアッカンベーは初めて見たな」
「アッカンベー子ちゃんと名付けようか」
どうせ顔なんて覚えられてないだろうし、やったもん勝ちです。そんな私の考えが合っているのかどうかは知ーらない。