結局3人は私の家まで送ってくれて、今はもう夕食の時間も過ぎたというのに、帰って来てからずっと部屋に閉じこもっている。手に持っているゴム弓は当たり前に動いていない。

あれ夢だったのかなぁ。

壁にゴツンと頭をつけて天井を見上げながら、泣きすぎて枯れた声で呟いてみる。昔お父さんが「嘘だって何回も言えば本当になるさ!」って言ってたから何回も呟いてみるけど、所詮そんなのは気休めにしかならなかった。分かってたけど虚しい。

いい加減いつまでもウジウジしてるのが嫌になった私は、部屋着からスポーツウェアに着替えて飛び出すように家を出た。「こんな時間に何処行くのー!」「コンビニ!」「ハーゲンダッツならまだあるわよー!」こんな時にまでそんな返事をされる自分って…。



「(明後日、どんな顔して会えば良いんだろう)」



明日はオフだから弓道部の皆に会うのは明後日だ。それまでに気持ちの整理がついてればいいけど、現時点で同級生からのメールにも返信出来ないようじゃ先は長い。走っていれば気も紛れるかなと思ったのにそんなはずはなく、私は黙々と地面を見ながらペースを上げて行った。



「こんな時間に1人でランニングとは感心しねぇな」



その瞬間ドン!と誰かに結構な勢いでぶつかって、その人はちょっとだけ苦しそうな声を上げた後に説教するような口調でそう言って来た。やばい不良だ!恐る恐る顔を上げて不良の顔を見やる。

と。



「跡部先輩!?」

「熱心なのは良いが、危険な事はするなよ」



そこには不良なんかではなく、汗をかいていてもずっとずっと高貴な跡部先輩がいた。先輩も私と同じランニング中のようで、もう随分走っているのかヘアバンドのせいで露わになっているおでこには結構な汗が溜まっている。汗すら高貴に見えるんだから凄い。そんなしょうもない事を思っている私とは別に、今走っている並木道や公園に夜に来るのはやめろと再三注意された。ごめんなさい。



「あと、走る時は前を見ろ。姿勢を正して体を意識しなければ効果は出ねぇぞ」

「はい!」

「で、どうしたその辛気臭い顔は」



ようやく本題に入ったといった感じで問いかけて来た跡部先輩は、そのまま私の腕を引っ張って近くのベンチに座らせた。ちょっと前のめりになって覗き込んでくるその顔は、完全に子供扱いしてる感じがするけど、同時に本当にこの人は素敵だなぁとしみじみ思う。



「負けちゃいました。立海に」

「それが悔しいのか?」

「勿論それもですけど」



三笠先輩の皆バツなんて初めて見た。

ぽつりと吐き出すと、途端に試合の光景が蘇って来て私は溜らずまた地面を見た。両膝に乗せている拳に無意識に力が入る。でも跡部先輩は何も言って来ないからちょっと気になって横を見ると、先輩は携帯で何か調べ物をしているようだった。もうちょっと覗いちゃえ。“皆バツ 意味”わぁ、先輩もグーグルとか使うんだ。

私の視線に気付いた先輩は「弓道は専門外だからな」とちょっと気恥ずかしそうに言うと、携帯をポケットにしまって背もたれに背中を預けた。沈黙が続く。



「お前は、その先輩の姿を見てどう思った」

「…信じられない気持ちでいっぱいでした。今もそうです。なんで先輩がって、でも、何故かですね、いつもよりも更に凄く頼もしく見えました」



最後のた、の部分でちょっと声が上擦ったけど、跡部先輩はそんな私に笑う事無く言葉を続ける。



「お前が見習うべき部分はそこだ。どんな状況でもその姿勢を貫いた覚悟を、お前が分かってやらないでどうする」



その様子じゃかなり尊敬してんだろ、三笠先輩の事。先輩が言い切った直後に、枯れたと思っていた涙がまた溢れて来た。むしろさっきよりも酷いかもしれない。

弓道に限らず、武道は精神統一が出来ていなきゃ良い結果を残せない。ただ動けば良いってもんじゃない。その日の心境で色々左右されちゃう。そんな基本を忘れていたわけじゃないけど、三笠先輩がスランプに陥るなんてありえないって勝手に決めていた。私の中の三笠先輩像はポジティブなものしか含まれていなくて、先輩もそれしか見せていなかったのだ。それは先輩の優しさであり、今跡部先輩が言った覚悟でもあった。

きっと三笠先輩は、私が先輩の事を尊敬の対象として見ている限り、その悩みを吐き出してはくれないだろう。でも、そこは私が突き止めちゃいけない。先輩の優しさと覚悟を壊しちゃいけない。



「凄い泣き顔だな」

「若にも言われまじだ」

「でもまぁ、成程あいつが可愛がりたくなるわけだ」



珍しく歯を出して豪快に笑った跡部先輩は、また子供にやるみたいに私の頭をわしゃわしゃと撫でた。だから私も酷い顔のまま歯をニカッと出してみる。

そうして先輩は私を家の前まで送ってくれた後(本人はランニングって言ってたけど)、最後に何かあったら連絡しろとメモを渡され、そのまま自分の家の方向へ帰って行った。たった30分くらいでより一層大好きになった背中を見えなくなるまで見送り、中にそっと入る。



「おかえり。はい、ハーゲンダッツ」

「クッキー&クリームは父さんが貰ったぞ!」



リビングに顔をひょこっと出すと、テレビを見ている2人がいつもとちっとも変らない笑顔で話しかけて来た。受け取ったハーゲンダッツは、まるで私が今帰ってくるのを見計らったようなちょうど良い固さに溶けている。2人の間に座って志村動物園を見ながら癒されて、近寄って来たチコの頭を全力で撫でて、抹茶味のほろ苦さを噛み締めた。


prev next

bkm
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -