「いよいよっすねー!」 「いよいよじゃのう」 「いよいよだぜぃ!」 「いよいよ、ですね」 「いよいよだな」 「む?何がだ?」 「うるさいんだけどお前ら。真田は空気読め」 「…元気出せよ、真田」 結局、紅組の圧倒的勝利で今年の体育祭は幕を閉じた。誰よりもこの行事に燃えていた丸井は心底悔しそうにしていたが、それでも部活対抗リレーで優勝出来たのが嬉しかったのか、今はもう機嫌は直っている。 そして彼らは今、テニス部部室にてジャージから制服に着替えている所だ。切原も今日は部活が無いので、この後は彼らと一緒に何処かへ遊びに行くのだろうが、その前に幸村にはまだ一大行事が残されている。 「田代には集合場所を教室と伝えてある。本来なら裏庭が望ましいが、今は実行委員が片付けで行き来しているからな。校内が1番人目に付かないだろう」 「…そう」 「ブチョ!男気見せて下さいよ!応援してますからね!」 「だから、わかったって」 幸村はネクタイを締め直し、壁にかけられている鏡を今一度見直した後、部室から出る前に彼らに向き直った。その表情はどれも頼もしく、緊張感が少しずつ解けていくのが身に染みる。 「行ってくるから、待ってて」 余計な言葉は言わずとも、もうちゃんとわかっている(真田だけは別だが)。幸村は最後に彼らに拳を突き出してから、静かに部室を後にした。 「やべえ、俺が緊張してきたぜぃ」 「ブンもか?俺もじゃ。やばい、バクバク」 「さっきまで幸村君には余裕そうに振る舞っていた癖に、全く情けないですね」 午後4時15分。彼女の元に着くまで、あと3分。 *** 行事が終わった後特有の静けさを感じながら、教室の自席にてあの人達が来るのを待つ。なんでわざわざ教室を集合場所にしたのかは全く持って謎だが、あんなに念を押されては断る事も出来なかった。 暇だから教室の時計に目を向ければ、時刻は4時15分を過ぎた所だった。チクタク、と秒針が進んでいくのを意味も無く見つめ、時が過ぎるのを待つ。16分、17分。1分がやけに長いなぁ、そう思い始めた所で、ガラッと後ろのドアが開く音がした。ちょうど秒針が12を指したのと同じくらいだ。 「…幸村君?」 やっと来たか、と顔を後ろにやれば、そこには何故か幸村君しかいなかった。てっきり全員で来ると思っていただけに少し予想外だ。だからこっちに向かって歩いてくる彼に視線を注いでいると、彼は私の前の席に座り、そのまま私の方を向いて話し始めた。 「あいつらは多分、校門で待ってる」 「なら最初から校門待ち合わせにすれば良かったじゃないか。私を呼びに来たのか?」 「違う、田代に言いに来た」 「何をだ?」 やけに歯切れ悪く話す幸村君を不思議に思いながらも、言葉の続きを促す。すると彼は一度深呼吸をした後、おもむろに違う話題を振ってきた。 「田代、俺と初めて会った時の事覚えてる?」 「…なんとなく」 「俺のファンクラブに道塞がれて、そのまま屋上行っただろ」 「私の睡眠を邪魔してきたな」 「そうそう、しかも俺の前で爆睡しだしてさ」 このタイミングで昔話が来る意味はよく分からないが、嫌という訳では無いのでそのまま話を続ける。あの時は、幸村君もその周りの女子も、本当に邪魔で仕方なかった。だから、まさかその当の本人が今目の前にいるなんて、考えてみれば変な事だ。 「俺は最初田代の事、イジリ甲斐のある面白い子だなって思って構い始めたんだ」 「良い迷惑だな」 「でも、その通りだったよ。お前は面白くて、優しくて、頼りになって、強いと思いきや案外弱かったりもして」 「…」 「まさかここまで色んなお前を見れるとは思ってなかった」 そこまで話して視線を伏せた幸村君に、借り物競争での光景が思い出される。地面に暗号を書いていた幸村君は、あの時もこんな風に視線を伏せていた。 「俺が病気になって、頑張れない時に頑張ってくれてありがとう」 「あれは私だけじゃない」 「勿論だ。あいつらにも感謝してる。でも、それまで傍観者だったお前が仲間になってくれたのは、やっぱり俺にとっては特別だ」 日の暮れが早くなった空は、オレンジ色の光を教室に差し込んだ。幸村君の顔がそれに照らされて、つい見入る。 「…俺、こういうの言った事無いから、上手い事言えないんだけどさ。ちょっと聞いて」 「なんだ?」 「俺ね」 バチリ、とその綺麗な瞳と視線がかち合う。その瞬間また借り物競争での光景が思い出されて、自分の顔に熱がこもるのを感じた。あの紙切れに書かれていた言葉が、うるさいほど脳内を支配する。 「田代が好きなんだ。あいつらがお前に言う好きじゃなくて、恋愛的な意味で好きなんだ。ずっと、お前に恋してきた」 お前、好きな男がいるだろ?いい加減自覚しただろ?前に皆で遊んだ時に、景吾君に言われた言葉が再生される。あと、さっき柳君に言われた、お前は、見逃したくないものを見つけられたか?というのも。 恋愛的な、意味で、好き。恋してる。確かに私と恋愛は無縁だ。無縁だけど、その意味が分からないほどではない。丸井君や切原君に彼女が出来た時、あるいは別れた時は、その都度愚痴のような相談を聞かされていた。 …え? そこでようやく幸村君の言葉を理解した私は、ガタガタッと椅子を後ろに引きながら体をのけ反らせた。そんな私の様に、彼は噴き出すように笑う。 「やっぱり、驚かれるだけだよな」 「幸村、君?」 「でも、返事はいらないなんて言う気はないよ。待つけど、いる」 真剣な表情に吸い込まれる。幾度となく見てきたはずなのに、ずっと傍にいたはずなのに、まるで別人だ。 「じゃあ、あいつらも待ってるし行こうか」 別人だ、けど。 立ち上がってドアに向かって歩き出そうとした幸村君の腕を、無意識のうちに掴む。平然を装っていたのか、その瞬間の彼は酷く動揺した表情を浮かべていた。 幸村君が私に恋愛感情を持っているという事には、確かに驚いた。でも、理由はそれだけでは無い。 「私は、何も知らない。恋愛について」 「…うん」 「でも、」 いつからか、幸村君に対して不思議な感情というか、違和感を持つ事が多くなった。やけに彼の行動や言動が気になったり、彼が他の女子と話していると何を話しているのか気になったり、彼が隣にいると妙に落ち着いたり、他の人とされている事は同じなのに彼の時だけ特別に思えたり。私は、その感情の名前をずっと探していた。だから今、それが(多分)見つかって、驚いたのだ。 「この違和感の正体が恋愛というなら、なんだかしっくりくる気がする」 「…え?」 「分からない、分からないけど!…そうであってほしい、とも思う」 「え、ちょ、田代」 「そして、嬉しい」 「…」 「幸村君へのこの感情が恋だというなら、嬉しい」 支離滅裂だ。言っている意味が自分でも分からない。目の前で目を見開いている幸村君を直視できず、私はそのまま彼から離れようと掴んでいた手を離した。でも、それはすぐに握られ、ついでに全身が圧迫された。苦しい。 「幸村君、苦しい」 「何言ってんのお前、本気で言ってんのそれ」 「あぁ、多分」 「それでやっぱり恋愛じゃありませんでしたとかやめろよ、俺本気で立ち直れない」 「あぁ」 「…本、当?」 不安げな表情の彼が視界いっぱいに入る。その情けない表情に思わず笑いそうになるのを堪え、私は彼の背中にゆるく手を回した。 「こうされて嫌じゃないって事は、本当なんだろう」 幸村君の安堵の息が耳に入り、少しこそばゆい。そうしてぎゅうぎゅうと抱きしめられる事数分後、彼は何度も良かった、と呟いた。制服を通じていても伝わってくる左胸の速さは、多分、私も同じくらいだ。 |