「ごめん待たせた?」 「いや」 律子が小走りで駅前まで行くと、そこには既に彼、跡部の姿があった。着くなり早々と歩き出した2人は、当たり前のように周囲からの視線を惜しみなく注がれる。そんな事は気にせずに悠々と歩く2人の間に、最初はこれといった会話は無かったが信号待ちの所で跡部がようやく口を開いた。 「いきなり呼び出してすまなかったな」 「ううん、大丈夫。今日は何処行くの?」 「後歩いて数分で着く。良いか」 「勿論」 信号が青になると、同時に2人の口も閉ざされる。律子は、跡部から漂う雰囲気でこれがただの食事では無い事を会った瞬間、もっと言えばメールが来た時から理解していた。なので余計な無駄口は叩かず、彼の行く先に従いながら隣を歩く。 そうして着いたのは老舗の料亭だった。中に入れば跡部はお得意様なのか、すぐに入口から離れた個室に案内され、それに伴い2人の緊迫感も高まって行く。 「こんな所しょっちゅう来てるの?流石跡部ね」 「今更だろ」 「ま、確かに」 「腹は減ってるか?」 「うん。跡部に任せるよ」 律子の言葉で跡部は季節のコースを頼み、最初のドリンクが届き乾杯してからも2人の間には沈黙ばかりが流れる。 「で、どうしたの?」 いい加減その気まずさに耐えかねた律子がそう言えば、跡部は気付かれていたのを悔やむように一度視線を逸らした後、次は真っ直ぐと彼女を見据えた。 「親御さん、残念だったな」 「何それ、跡部にまで広まってるの?割と前の事なのに」 「ああ、会場に居たからな」 「え」 「失礼します。」絶妙なタイミングで最初の料理が運ばれて来て、料理の説明も全く頭に入らないまま女将は出て行った。 「どういう事?」 「そのままの意味だ。お前の両親の葬式会場に行った」 「なんで?なんの意味があって?」 「ついでにお前の学歴や出身、全てを隈なく調べた」 「はぁ?」 そこでようやく言葉を理解した律子の顔は、今までに無いくらいの嫌悪感に満ち溢れていた。美人がそんな表情をするとどこか凄みがあり、普通の人間ならば思わず委縮してしまうくらいだが、それとは真逆に跡部は笑った。 「その顔が見たかったんだよ」 今まで跡部が律子を探るような気配を見せて来た事は、確かに何度か思い当たりがあった。しかしまさかそれがこんな風になるとは予想しておらず、彼女の体は無意識に仰け反る。 「そういえば叔母が言ってたわ、2人の若い男が葬式会場に居たって」 「2人の男?もう1人は参列者のようだったが、お前も知らないのか」 焦りが出たのか墓穴を掘ったと気付いたのは跡部の言葉によってだった。動揺する姿を見せまいとしても、予想外の数々に頭がついて行かない。 「どうしてそんな事したの」 「どうにもおかしかった。どれだけ一緒に居ようが情報を得ようが、ちっとも豊崎を知った気になれねえんだ」 「跡部は充分私と近い人物だけど」 「息を吐くように嘘を吐くのもお手の物ってか」 嘲笑を向けられ、初めて受けた屈辱的な扱いに苛立ちが募るのを感じる。しかし自分がそうなるに反してやはり跡部の顔は緩んでいき、それには一種の恐怖しか感じなかった。お互い、料理には何一つ手を付けていない。 「なぁ、そろそろ教えてくれよ。お前は一体何なんだ」 「そう焦らないでよ」 「話を逸らそうたって無駄だぜ」 気が付くと跡部は律子の隣まで来ており、そのまま畳に押し倒された。セックスをする前のような甘い雰囲気のそれでは無く、例えるならば狩猟者と追い詰められた動物だ。 「今私が叫んで助けを呼べば完全に劣勢なのは跡部だよ」 「もうお前の事を探るのは辞めようと思った。ジローにも散々言われたしな。だから、どうせなら最後にどうなってもいいから問い詰めてやろうと思ったんだよ。俺はこの先の状況がどうなろうがどうでも良い」 「諦め悪いね」 「負けず嫌いには昔から定評がある」 そう話す跡部の目を見て、それでも律子はどうにかして逃げられないかと必死で頭で考えた。まだあの事を言うつもりは無い。それだけはどうしても彼女の中で譲れず、ギリギリと締めつけられていく腕に眉を顰め、そして、 「教える訳無いじゃん、バァカ!」 とびきりの笑顔で言い放った。頭がおかしくなってる奴には自分もおかしくなるのが最適だと考えたらしく、予想通り元から彼女を畏怖の対象で見ていた跡部は、彼らしくない小さな悲鳴を上げた。その隙を見て彼を蹴り飛ばし、締めつけられていた手をプラプラと振る。 「そうだよ私は周りが思うような完璧な女じゃないよ」 「んな事知ってんだよ!」 「で?」 結局ドリンクも程々のまま律子は立ち上がり、帰り支度を始める。 「だからって何なの?なんであんたが私の異変に気付いたからってそれを教えなきゃいけないの?1人で勝手に調べて怖がって狂って馬鹿じゃないの?」 「お前、」 「安心してよ、すぐに消えるから」 もう跡部の顔には後悔しか描かれていない。意気消沈した彼を見て、律子は意気揚々と個室から出て行く。あまりにも早い退店に女将達は一度怪訝な表情を浮かべたが、そこは躾けられているのかすぐに斜め45度の几帳面な礼を彼女に送った。 「さて、家に帰って考えなきゃ」 足取りは何処までも軽い。まるで中身が詰まっていない人間の様に、軽い。 |