朝起きると既に跡部はいなかった。その代わりにご丁寧にも新しいストッキングとYシャツが用意されてあったから、今日は跡部の家から真っ直ぐ出勤して来た。出勤するとまず爽やかな笑顔の白石と不二が出迎えてくれ、2人は今日、私と柳のお疲れ様会としてどうやら飲みに連れて行ってくれるらしく、私はそれを2つ返事で受け入れた。昨日の今日ではあるけれど、人の好意を無駄にする程馬鹿じゃない。

それから程なくして柳も出勤して来たのものの、見事なくらい顔色は最悪で、私達は即座に医務室に行くよう指示した。その結果、柳は出勤もせずに早々と帰ってしまった。



「肝心の柳が来れへんてどないやねん」

「きっと気が抜けたんだよ。柳、意外と繊細だし」

「じゃあピンピンしてる豊崎はガサツなんだね」

「痛いとこ突いてくるね」



そんな経緯で、結局3人でダイニングバーのカウンター席に並んで座っている。一応仁王のお店も候補に挙がってたけど、昨日お邪魔したばかりだし今日は遠慮しておこうという話で収まった。

考えてみれば、今回の企画は入社して割とすぐに任されたから必然的に柳といる機会が多くなって、2人とはあまりまともに話してない気がする。それでも別に気まずいと思わないのは、2人の性格上だろう。



「ま、気取り直してこか。ほんじゃ豊崎と柳の初企画成功を祝して!」



メンバーがメンバーなだけあって、乾杯という声と合わせたグラスの音は控えめだ。とりあえずグラスの3分の2くらいを早々と喉に流し込み、運ばれて来た料理に手をつける。



「そういえば、リフォームしたお店に越前いたんでしょ?」

「あぁ、うん。そっかテニス部だもんね、2人も知ってて当たり前か」

「むしろ、越前は僕の直接の後輩だよ」

「え、そうなんだ」



そこで不二が振って来た話題に、もう誰が誰と一緒だったとか全然わかんないなぁと心の中で考える。白石の学校の人達はなんとなくわかるけどね、皆方言だし、それ以上にキャラ濃いし。

それからも2人は私に色々な質問をして来た。最初の方はそれこそ今回の企画はどうだったか、から始まったけど、次第に話はプライベートな方向へ持って行かれた。



「結局白石は前の彼女と別れて以来、新しい人いないの?」

「おらへんでー、そんな出会いもあらへんしなぁ。不二はどうなん?大学時代の後輩から連絡来る言うてたやん!」



若干酔いが回っている白石は、多分不二にとってはあまり知られたくない話をポロッと切り出した。証拠に、不二はグラスを傾けたまま苦笑している。



「向こうが僕の事どう思ってるかは知らないけど、僕からしたらただの後輩だよ」

「やっぱりモテるんだねぇ。不二は最後に付き合ったのいつ?」

「んー、いつだっただろうね」



私や白石の事は根掘り葉掘り聞く割に、自分の事となると途端に口が重くなる。不二は前に一度、私について色々と考える事があると言っていた。でもそれも時間が経つと特につっこまれる事もなく、美人は3日で飽きるということわざはあながち間違っていないのかもしれない。

別にこれは不二だけに言える事じゃない。周りからちやほやされるのも絶対的な好意を寄せられるのも、根本的には変わっていないけど、やはり最初のような熱烈な興味を持たれる事は少なくなった。



「そういう豊崎はどうなの?」

「うわ、話逸らしたね」

「不二も言わなあかんでー!」

「白石はとりあえず飲んでなよ」



テンションの高い白石を相手にするのが面倒になったのか、不二はその言葉と共に自分のグラスを白石の口に持っていき、無理矢理飲ませた。ちょっとこの人今日できあがっちゃうんじゃない?そんな心配をしつつも、止める事はせずに笑いながらその光景を見る。



「私は相変わらず何も無いよ」

「豊崎って本物の高嶺の花だもんね。周りも近寄り難いんじゃない?」

「それを言うなら貴方達もでしょうが」



なんとなく探り合いの会話が広げられ、流れた沈黙が重い。そんな雰囲気の中白石が覚束ない足取りでトイレに行ったおかげで、余計に変な空気が流れる。

きっと、お互いに思う所は一緒なのだ。



「僕と豊崎って、正直あまり会社以外では話さないじゃない?連絡だって取りあってる訳でも無いし」

「そうね」



私がこの人達に疑問を抱くのと同じように、この人達も私に疑問を抱いている。勿論全員が全員そうって訳ではない。どんどん興味深くなってくる人もいれば、薄れていく人もいる。



「でも、もしプライベートで沢山話しても、毎日連絡を取り合っても、僕は君の事を知れる気がしない。なんでだろうね」



すっかりそんな気はしていなかったけど、私はこの世界で“生きている”のだ。今まではただのゲーム感覚で日々を過ごしてきた。いつ終わっても構わないし、終わらせても構わない。ずっとそう思ってた。

なのに、どうした事だろう。もうここまで生きてしまったら、いい加減自分の正体が気になって来た。美人でなんでも出来てなんでもしてもらえる私は、あくまでも作られた私だ。じゃあその作成元は?あの謎の男は誰?どうして私は私になったの?



「多分、考えるだけ無駄だからやめておきなよ」



後戻り出来ない場所まで来たのは私だ。本当に終わらせるつもりなら、実際いつだって出来たはずだ。あの27階の自宅から飛び降りるなり、走っている車に飛び込むなり、今此処で、キッチンで料理している人の包丁を奪って心臓を一突きするなり、方法はいくらでもある。その選択肢を選ばなかったのは、いつだって自分だ。全部、私が決めて来たのだ。

トイレから戻ってきた酔っ払い白石が、背中にずしりと覆い被さってくる。それを不二はまた苦笑しながら介抱し、そのまま2人でトイレに行った。



「やっと考える気になったんだ。今更な気もするけど、まぁ頑張って」

「あんたって私の何処に潜んでる訳?」

「ん?何処にでもいるよ」



いつの間にか1つ席を空けて隣に座っていた男に、いつものような嫌悪感は不思議と沸いてこない。代わりに、いつか絶対にその余裕ぶっこいた顔をぶっ壊してやる、と決意した。そんな、なんの変哲も無い飲み会の夜。
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