試食で食べたケーキは、この店のこじんまりとした雰囲気には些か美味しすぎるような気がした。でも、その雰囲気をケーキに合ったような少し高級感のあるものにリフォーム出来たら、それはそれは繁盛するだろうなぁ。1人でそんな事を考えながらトイレで用を足し、歯にケーキが挟まってないかちゃんとチェックしてから扉を開ける。 「豊崎さん」 通り過ぎた男子トイレの方から声がしたので後ろを振り向くと、そこには越前リョーマがいた。跡部や柳と比べるとどうしても小柄に感じるけど、それでも原作のような幼さは見当たらないし、しっかりイイ男に成長してる。私は数少ない記憶を引っ張りながら、原作と目の前にいる彼を脳内で比べにっこりと笑顔を繕った。 「どうも。お店、これからどんどん綺麗になっていきますよ」 「まぁ、前の雰囲気も嫌いじゃなかったッスけど」 ぶっきらぼうに答える越前さんは、クールを装いつつも本当は楽しみで仕方ないのであろう事が容易に窺える。そんな越前さんを可愛いなぁと思いながら話を進めていると、ふいに彼は何かを思い出したように「あ」と呟いた。 「なんかありました?」 「そういえば前の会議の時、大丈夫だったッスか?」 「え?何がですか?」 「…おかしいな」 一瞬心臓が跳ねたのをスルーして、何もわかってない風を装い返事をする。前の会議の事は忘れもしない、あの衝撃を、忘れてたまるものか。 でもそれを見透かされたなんて事はあってはならないし、実際にありえないのだ。確かにあの時の私はちゃんと笑えていたし、普通に会議に参加出来ていた。 「跡部さんも柳さんもそう言うんすよね。あの時の豊崎さんかなり体調悪そうに見えたんすけど、やっぱり俺の見間違いだったのかな」 「きっとそうだと思いますよ。ここ最近は至って健康ですので。でも、ご心配して下さりありがとうございます」 2人の名前が出た事にも驚いたけど、1番気になるのは越前さんが“どの私”を見てそう思ったのかという所だ。とはいえそこを問いかければ不審に思われる事間違いなしなので、無難な台詞でかわしておく。 「いいえ、まぁなんとも無いなら良いッス。んじゃ行きましょ」 「そうですね」 そうして私達は何事も無かったように歩きだし、皆がいる方へ向かい始めた。今何時くらいなんだろう、早く帰りたいな、と思った私は、時間を調べる為に壁掛け時計を探したけどその姿は中々見当たらない。すると、そんな私に気付いた越前さんがポケットから携帯を出し液晶画面を見せてくれた。14時ジャストか、と確認した、その瞬間。 「…は?」 「なんでこのタイミングで?ってばっちり顔に書いてあるね!」 男が現れた。最後に会ったのもこの場所だったせいか、いい加減この場所が嫌いになりそうだ。反吐が出そうだ。そんな想いで目の前の男を睨みつけるものの、相変わらずの笑顔で殴り飛ばしたくなる。 「何しに来たのよ」 「君の疑問を晴らしてあげようと思って」 「…確かに気になるから聞いておく。どういう事なの?」 何もかもをわかっている男に、あえてその疑問を繰り返す事はしない。何故越前さんはあの時の私の感情を見抜いたのか、ただそれに尽きる。 私の問いかけに男は楽しそうに笑うと、止まっている越前さんの肩を持ち目を細め、私に視線を合わせるように少し屈んだ。 「君は今、時間が止まってるって思ってる?」 男の言ってる意味が分からなくて、鋭い目を更に鋭くし眉間に皺を寄せる。すると男は異様に細長い指で越前さんの液晶画面を指し、トントン、と画面を叩いた。その画面を見た私は、細くなっていた目が一瞬にして見開くのを体感した。 時間が、進んでる。 越前さんの時計はデジタル表示で、何時何分だけではなく何秒かも分かるようになっている。その秒の部分が、動いているのだ。14時1分2秒、3秒、4秒と、刻々と時間を刻んでいるのだ。 「どういう事?どうして?」 「いわゆる主人公補正ってやつかな」 いつの間にか違う場所へ移動していた男に視線を向ける。男はサンプルの家具を興味深げに物色している。離れた所にいる跡部も、柳も、荷物運びに精を出している。 「例えばこの空間が5分間続いたとするでしょ?そうしたら、この空間が終わった後の5分間、彼に嘘や繕いは通じないよ」 「意味分かんない」 「例え会話が聞こえなくても自分に意識が無くても、彼は確かにこの空間を一緒に過ごしてる。他の奴と違ってね」 男は、他の奴、の部分で近くにいた社員の腕時計を指差した。そのロレックスの時計は14時ジャストで止まっていて、秒針もビクともしていない。でも、越前さんの携帯画面は未だに時を進めている。 「君はこの空間が終わった後も、絶対に俺の存在を思い出して不快に思うでしょ?でも君はその感情を表には出さないで、必死に笑顔を作る。ところがどっこい!この王子様は笑顔の君なんて見えていない!不快な、憎悪にも似た、本当の表情を浮かべてる君が見える!」 「それをする意味は?」 「だから、主人公補正だって」 この世界の主人公はこの王子様だし。さも当たり前のように言いのけた男に、最早何も反論する気にならなかった。とにかく一刻も早く目の前から消えて欲しい、その想いを込めてシッシと手で追い払う仕草をすると、男は「はいはい」と笑いながら答えた。 「あ、でももう1つあるかな」 「何」 「君にとって、1人くらい本当の自分が出せる相手がいてもいいかなーって」 本当にこいつは、殴り殺してやろうか!!本当の自分?そんなの見せた所で頭がおかしいと思われて終わりだ。この男は、私が弱気になっておいおい泣いている所を何処からか眺めたいだけだ。人の不幸が大好物なのだ!私が人間のように悩み、苦労し、絶望するのを、笑い転げて見ていたいんだ!ただそれだけだ! 怒りで震えてきた体を抑えるように唇を噛むと、目の前が真っ暗になった。やっぱり一発殴っとけば良かった、聞こえ始めた騒がしい声が耳に入って来たと同時に、そんな後悔が胸に押し寄せた。 |