01

「…ん」



パチリ、と瞳が開く。最初に認識したのは真っ白な天井と鼻に付く薬品の匂いで、視線を横にずらせば自分の腕に繋がっている点滴があった。それらを見て此処は病院だという事を判断する。そして自分が患者となっているこの状況を理解するなり、頭の中には

なんだ、死んでないじゃん。

という考えがよぎった。願い事を叶えてくれるだのなんだのと言っていたあの男はやはりただの変人で、通り魔的な感じだったのだろう。こんな厄介事に巻き込まれるなんて散々だ、しかも窓から差し込む光はもう明るい。一体何時間寝てたのか。…寝てた?あれ、でも待てよ。



「豊崎さん、気が付きましたかー?」

「…はい」



ちょっと待って、そんなはずはない。だって私は、



「道端で倒れている所を運ばれて来たんですよ、覚えていますか?軽い貧血みたいですね」



心臓を、刺されたんだ。でも目の前の看護婦は綺麗なその顔で訳の分からない事を言い放った。心臓を刺されたのに軽い貧血?そんな馬鹿みたいな事があるか。

だから私は、院長に報告して来ますね、と告げて出て行った看護婦の後ろ姿を見送った後、急いで病院服を脱ぎ自分の体を確認した。が、そこには形の良い胸があるだけだった。傷も何も無い、真っ白な肌の体。…夢だった?あんなリアルな夢を見たの?それとも酔いが回ってた?



「うおー、そそるねーその体!」

「っ!?」



混乱した頭の中で延々と考え事をしていると、急にすぐ近くから男の声がしたから私は急いで掛け布団で体を隠した。そうして恐る恐る声のした方向に目を向ける。



「あ、んた」

「やっほ、貧血気味の律子ちゃん」



声だけでわかっていたけど、認めたくなかった。そこには、私を刺したはずの男が居た。暗闇の中でも充分に感じた気味の悪さと企みを含んだあの笑みは、忘れられるはずが無い。



「どういう事?あんた私を刺したでしょ」

「うん、だから君は死んだ」

「生きてるじゃん」

「あぁ、死んだのは前の君だよ」

「つまらない冗談って嫌いなの。さっさとこの状況説明してくれない?」

「美人に叱られるっていうのも悪くないねー」

「あんたみたいな人でもお世辞くらい言えるのね」

「お世辞じゃないよ?ほら」



兎に角一刻も早く事態を把握したい私は、男の茶化しにも動じず淡々と目的の答えに辿り着くよう話していた。でも、それは男が私の目の前に鏡を出して来た事により一瞬にして途切れた。

誰だ、この女は。



「何、これ」

「新しい君だよ」

「何の為に、ていうかこんな事って」

「有り得ちゃうんだよ。君が有り得ないと思ってしていた願い事達は、全部有り得無くはなかったんだ」



豊富な睫毛が付いている切れ長の瞳に、鼻筋の通った高い鼻に、血色の良い唇に、歯並びの良い歯。小さな顔。綺麗な肌。誰、この女。

男の言葉もロクに頭に入っていないまま、私は手元にあったバッグを急いで手繰り寄せ、ひっくり返すように中の物をベッドの上に出した。その中にあった免許証を手に取り確認するけど、そこに前の私はいない。凛とした美人の、今の私がいた。クリアファイルに大事に入っていた茶封筒の中身を開ければ、そこには前の会社では無く、大学の頃私がかつて目指していた一流企業の内定通知が入っていた。通帳の中身も見た事が無い程の大金が貯金されているし、小物も憧れていたブランド物で固められているし、携帯は変えたかったけど機種代が高くて変えられなかった最新のスマートフォンだ。

誰だ。誰のバッグだ、これは。私は誰だ。




「ね、叶ったでしょ?ちなみに家はこのメモに書いてあるから。ていうか上半身見えちゃってるんだけど、それって誘ってるの?」



馴れ馴れしく触って来た男の手を払いのけ、脱ぎ捨てたブラを手早く着ける。ベッドから抜け出して足元にあるクローゼットを開ければ、中には私のものであろう私服があったので、男の目も憚らず黙々とそれに着替える。



「行くの?もう少し休んでけば、貧血で倒れちゃったくらいなんだし」

「馬鹿馬鹿しい」



春物の薄手のジャケットを羽織り、引っくり返した中身を再びバッグに乱雑に放り込んでいく。そういえば今着ているジャケットもデニムもパンプスも、全て私が狙っていた新作の春物だ。

こんな世迷い事なんてあってはならない。こんな非現実的な事信じてはならない。でも、そうせざるを得ない状況に私は追い込まれている。



「俺の正体とか聞かないの?」

「聞いた所でまともな返事が聞けるとも思わない。それに、興味無いよあんたの事なんて」

「うわーっ、美人のお叱り痺れる!」



ドアを開け、病室から出て颯爽と歩く。勝手に出た事を看護婦達には咎められたけど、それでも無理矢理会計をして病院を後にする。

男から貰ったメモを見る限り都内な事には間違いないし、病院からそう遠くない事もわかる。だから早く家に着きたい一心で歩いていると、全員とまではいかずとも道行く人に振り返られた。大抵の女は私よりも目線が下にあって、長身のスタイルも健在なんだなと理解する。後はこの顔か。今まで見て来た外れくじを引いたような表情は見当たらず、むしろ当たりくじを引いたような表情ばかりだ。

単純な人達。所詮、人間顔だ。



「…何処かの令嬢かなんか?私は」



そして10分ほどで辿り着いた高層マンションを見て、思わずそんな言葉がこぼれ出る。しかも27階と来ましたか。とりあえずボーッと突っ立ってる訳にもいかないので中に入り、キーケースに入っていた鍵をひたすら差し込んで合うのを見つけ、エントランスのドアを開ける。エレベーターに乗って、部屋の前まで来て、開けて。

新しすぎて異様な風が、舞い込んで来た。
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