「勘付いちゃったかぁ」



時が止まった。一瞬目の前が真っ暗になって、それに驚く事も動揺する事もせずに視界が開けるのを待っていると、数秒後の私の視界にはあの男が映った。場所は変わらず会議室で、ある人は出されたお茶に手を付けようとしている所で、またある人は懐からペンを取り出そうとしている所でそれぞれ動きを止めている。柳と跡部さん、それにテニスの王子様の越前君も勿論例外では無く、3人は端正な顔立ちのまま止まっていた。



「そういう事だったのね」

「うん、そういう事。にしても、なんで気付いたの?」

「テニスの王子様っていったら、私が中学生くらいの時は皆読んでたし、そうなったら私は読んでなくても主人公くらい自然と覚えるでしょ。皆イケメンだし」

「コイツを見て既視感を持ったのは?」

「私の友達が好きだったの、その人」



男はコイツ、と言いながら止まっている跡部さんの肩に手を置き、そして私の答えには「ふうん」とつまらなさそうに呟いた。とはいえ、もし友達があの時他の誰かを好きだったらその人に既視感を抱いていただろうし、別に跡部さんが特別という訳ではない。確かに雰囲気は他と比べ物にならないけど、それでも、気に掛けるほどまでにはいってなかっただろう。

何故こんなにもテニス部が揃いも揃って集まっているのか、まずそこから疑問を抱くべきだった。友達とつるむ感覚で仕事をやっている社会人なんていない、なのにこんなにも元部活仲間が同じ場所で働いているのはおかしい。そんな当たり前の事を、何故もっと追及できなかったのか。



「考えてみると、有り得ない事だらけでしょ?幸村と仁王がその若さで自分の店を持ってて、尚且つそれで成功してたり、そこでもまたテニス仲間が働いてたりさ。上手く出来過ぎてるだろ」

「ほんと、気付かなかった自分が馬鹿みたく思えるほど騙されてた」

「バーカ」

「あんたに言われたくない」



窓際に腰を掛けてケラケラと笑う男は酷く不快で、私は思いっきり眉間に皺を寄せながら冷たく言い放った。それでも男は笑う事を止めないので、いい加減堪忍袋の緒が切れた私は勢いよく椅子から立ち上がり、窓際まで歩み寄って男の胸倉を掴み上げた。



「なんで私をこの世界に入れた?」

「君が望んだんじゃないか。美人になりたい、人に好かれたい、その他諸々たっくさん、全部君が望んだんだ」

「だからってなんでこんな世界に」

「ねえねえ、地獄の積み石の話知ってる?」

「は?」



私が詰め寄るのも諸共せず、男は相変わらずの態度でまたもや素っ頓狂な事を言い出した。明らかに話がズレすぎて対応しきれていない私の手を、男はやんわりと離し、握る。

背筋が凍った。



「親より先に逝っちゃった子供は、地獄で延々と石を積み上げなきゃいけないんだ。で、やっと完成する!という所で、鬼がやってきて全部崩される。それの繰り返しだ」

「知ってるわよそれくらい」

「それと同じだよ」



半円型だった男の目が、此処に来て初めて鋭いものになった。



「俺が1回死ぬ事を条件に出した時、君はやれるもんならどうぞ、と言った」

「それは、ただの戯言だと思ったからで」

「命に戯言も何もある?すぐに命を粗末にするような人間に人生の決定権なんて無い。あの瞬間から、君の人生は俺のものだよ」



淡々と紡がれていく言葉は、まともな精神で聞いていると自分が狂った感覚に陥ってしまう。もう、普通が何だったかも思い出せない領域まで来ている。地獄だとか命だとか、そんなものは所詮物語の中の事だけで、私はただ毎日仕事をして、愚痴を吐いて、適当に過ごしているだけだったのに。なのに、なんでこんな事になっちゃったの。

此処は地獄だ。そしてこの男は鬼だ。



「逃げ出したくなってもそうはさせてやらない。大丈夫だよ、君の場合は普通にしてれば鬼は来ないから。自分の傲慢な願いの中で悠々と過ごしていれば、ずーっと幸せなままでいれる」



不満や悩みが1つも無い人生なんてあるか。それらに突っ掛る度に躓きそうになってはなんとか立ち直って、また頑張ろうと思えてたのに。絶対に必要が無いと思っていた感情がこんな所で恋しくなるなんて、誰が予想していたんだ。怖い!つまらない!虚しい!

とんでもない焦燥感に駆られた私は、男から手を離しそのままダランと放り投げた。視界が定まらず、鈍器で叩かれたかのような衝撃が頭に走る。



「それでも生きるんだよ、君は」



1回死んでるけどさ。図々しくそう付け加えた男の表情を、今ばかりは見る事が出来なかった。きっと笑顔な事には違いないんだろうけど、視界にも入れたくなかった。

結局私は、どうすればよかったんだろう。
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