あれからバスに乗り込み、直前に頭痛が起きた事も関係してかバス内での体調はすこぶる振るわなかった。だから柴崎の気遣いに甘えて、解散場所である会社に着くまではずっと寝ていたのだけれど。



「体調悪かったみたいやな。大丈夫なん?」

「大丈夫ですよ、という事でさようなら」

「つれへんなぁ」



まさか降りたら降りたでこの人に捕まるなんて。そんな想いで隣をぴったりと歩いて来る忍足さんに目をやり、小さく溜息を吐く。どうやら彼とは帰る方向が一緒らしい。なんでよりによってこんな時に。



「自分、何処に住んどるん?」

「あと2駅先です」

「送ってくで」

「いいですってば。いい加減察して下さい」



私も私で体調に伴い機嫌も悪くなっているのか、思わずきつい口調で仮にも先輩の忍足さんを咎めてしまった。でも彼はそんな事は微塵も気にしていないのか、茶化すようにひゅうっと口笛を鳴らしただけだ。やっぱりいちいち癇に障る。

それからもしつこく私の荷物を持とうとした忍足さんの手を払いのけ、私は足早に目的の降車駅で降りた。後ろから聞こえた彼の「ほななー」という悠長な声にも返事をせずにさっさと改札に向かう。

随分見慣れるようになった帰り道を、ヒールを鳴らしながら淡々と歩く。そうしてマンションに着きエレベーターに乗り込もうとすると、またもや見覚えのある姿が私の視界に飛び込んで来た。



「お疲れ。あれ、今帰り?」

「お疲れ様。うん、研修に行ってたの。幸村は今から出勤?」

「そうだよ」



入れ違いでエレベーターから降りて来たのは、相変わらずセンスの良い服を纏っている幸村だった。デニムのスキニーパンツが、幸村の男のクセにスラッとしている脚をよけいに引き立たせていて思わず少し妬けてしまう。て、そんな事はどうでもよくて。



「豊崎、顔色悪いけど大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃない。早く寝たいもの」

「本当なら一緒に寝て慰めてあげたいんだけどね、俺は生憎これから仕事だから」

「仕事が終わった後でもいいんだよ?」



飄々とした顔で下ネタを言って来た幸村に乗ってみれば、彼は一瞬目を瞠った後、「蓮二に怒られるからやっぱりやめとくよ」と言って手をひらひらと振った。無鉄砲なクセに友人の言いつけはちゃんと守るんだなぁ。



「でも、本当に具合悪くなったらすぐ呼ぶんだよ」

「ありがとう。じゃあ仕事頑張って」

「行ってきます」



そんなこんなで幸村とは別れ、エレベーターの中では早く家に着けー家に着けー、とボタンの表示を見ながら念を込める。でも、私の切なる想いとは裏腹に、エレベーターは目的より1つ前の階で止まった。誰よタイミング悪いな。自己中極まり無い愚痴を心の中で募らせつつ、開いたドアに目を向けた───が。



「やぁ」



そこにいたのは、全ての根源となる男だった。



「な、んで、あんたが」

「この世界に君を連れて来たのは俺だよ?居たっておかしくないじゃないか」



忘れられるはずもない、この笑顔、この喋り方、この雰囲気。目の前の男が発するもの全てが気持ち悪くて、言い表しようのない感情が胸を疼く。嫌悪?いや、そんな言葉で表せられるほどこの男はマトモじゃない。



「良い事を教えてあげようか」

「何」

「今日会ったあの男に、君は何を感じた?」



大きく心臓が跳ねて、呼吸するのが難しくなる。情けない声が漏れる前に、口内に血の味が広がるぐらい唇をきつく噛んだ。



「君がこの世界の何かに勘付いても、この世界は何も変わらない」

「何、か?」

「でも、誰かが君に勘付いてしまった時」



エレベーターの動作は完全に止まっていた。微かな機械音も聞こえず、自分の心臓の音だけがバクバクと鳴っている。やめろ、やめろ、やめろ!



「君は、どうなっちゃうかな?」



ニヤリ、と歯を見せて笑ったその男の笑みは、これまで見た中で1番居心地の悪いものだった。肩に手を乗せてこようとして来た男の手を思いっ切り叩き、ようやく動き出したエレベーターから即座に出て行く。

 この世界には何があるの?あの男は何者なの?私って、何なの?

此処に来た時から抱いていたはずの疑問が、次々と反芻するように沸き出て来る。その数は自分では処理出来ないほど膨大で、頭が割れるように痛む。恐怖をこんなにも身近に感じたのは、これが初めてだった。
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