「よ、豊崎さん」

「…お久しぶりです」

「散々俺の事避けとったんによう言うわー」



捕まってしまった。それが正直な感想だった。



「これから飯か?」

「そうです。友達も待たせてるので、では」

「ちょお待ちぃや」



夕飯前に行われる講演会が終わるなり、私は一緒に講演を受けていた3人のお馴染のメンバーと一度別れトイレに来ていた。で、用を済ませてドアを開けると、なんとちょうど隣の男子トイレから忍足さんが出て来たのだ。偶然にも最悪なタイミングに、自分の運の無さをつくづく恨む。しかも忍足さんは待ってましたと言わんばかりに私を呼び止め、さっさと立ち去りたいのに腕を掴まれ歩き出せない状況に陥ってしまった。その事に不満を抱き思わず冷たい視線を彼に送る。



「別嬪さんにそんな睨まれると怖いんやけど」

「思っても無い事をよくもまぁ」

「えらい嫌われとんなー、俺」



確かに忍足さんは面倒見も良いし、クールな外見に反した親しみやすさを感じる関西弁から私の同期からは結構な支持を得ている。でも、私の場合出会い方が悪すぎた。別に嫌いまではいかない。ただ単に癪なのだ。癇に障るというかなんというか、まぁそんな感じ。

忍足さんは私の睨みにも言葉にも屈せず、いつまでも私の腕を掴み続けた。ちょっとやそっとでは振りきれない力の強さに嫌でも男女差を感じる。やっぱり、癪だ。



「別に取って食おうとしとる訳でもあらへんのに」

「でも、私がその気になればすぐに食うでしょう?」

「ははっ、やっぱ最高やな自分!」



そんな貴方は最低です、という言葉が喉まで出かけた所で何とか堪え、もう一度深く溜息を吐く。落ち着け私、こんな男に振り回されるなんてらしくない。



「俺1人部屋だし、今夜辺りその気になってみぃひん?」

「冗談ならもっと面白いものにして下さい」

「だって冗談ちゃうもん」

「おい忍足ー、その辺にしとけよぃ」



安定のしつこさにいい加減ウンザリしていた時、私にとっては背後、忍足さんにとっては正面の位置からそんな声が聞こえた。特徴のある語尾には勿論聞き覚えがあって、救世主か!なんていう想いで勢いよく振り返る。



「いくら口説き上手なお前でも、豊崎はハードルがたけーだろぃ」

「やってみなきゃ分からんやろ。ちゅーかお前ずっとトイレにいたんか」

「お前がこんなとこで口説き始めっから出てくタイミング失ったんだよ!」

「丸井、夕飯会場行こう」



甘ったるい匂いのするガムを膨らましながらトイレから出て来たのは、さっきの講演会で凄く退屈そうにしていた丸井だった。忍足さんは私にとって先輩にあたるけど、丸井にはその前に昔からの知り合いという肩書きがある。だから、彼にこうやって物事をズバッと言ってくれる丸井の存在は貴重だ。私はそんな丸井と一緒に逃げる為に忍足さんの腕から無理矢理抜け出し、長く続く廊下を歩き始めた。



「あ、ちょ、豊崎待てってー!」

「ほなな、2人共」



流石に着いて来る事まではしないのか、背後からは1人分の足音しか聞こえない。音を発している張本人である丸井は、私の隣に並ぶなり走るのを止め若干困惑したような声で話しかけて来た。



「すっげぇ避け方すんのな」

「あの人とは色々あったから」

「俺、豊崎は敵に回したくねー」

「大丈夫よ、私は丸井の味方だから」

「…何ソレ、どゆ意味?」



忍足さんから逃げる機会を作ってくれた丸井には素直に感謝している。だからそういう意を込めておどけながら言ってみたんだけど、何故か丸井はその言葉で真剣な表情になり、それまで膨らませていたガムを全て口の中に収めた。見つめ合いと沈黙が続いて、一瞬にしてそういう雰囲気になってしまったのを感じる。



「さーて、どういう意味でしょう」



だから、ここはちょっと小悪魔的な感じでとぼけたフリをしてみた。すると丸井は噴き出すように笑い、私の肩を拳で軽くポン、と叩いて来た。上手くかわせた事に心の中でガッツポーズし、やっと辿り着いた夕飯会場に足を踏み入れる。にしても、まさか今のレベルの冗談まで真に受け入れられるなんて、美人っていうのも中々面倒臭い。
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