「田代、どうした?」

「…わかった」



あ、と小さく声を上げた私に最初に反応したのは、私のすぐ目の前を歩いていた柳君だった。彼の問いかけにそう答え足を止めると、全員が私に視線を向けて来た。



「何がしたいか、わかった」

「晴香、先ぱ…?」

「君達の後ろ姿を見てずっと考えてた。ずーーーーっと」

「…それで、どうしたいんじゃ田代は」



仁王君と目が合う。他の皆とも1人1人目を合わせる。



「幸村君に会いたい」



そうだ、ただ会いたいだけなんだ。会ってどうする何するとかじゃなくて、ただ幸村君の顔が見たい。そもそもその為に出向いたっていうのに、顔も見ずにこんなヘコヘコと帰るなんて馬鹿か私は(いやこの場合私達、か)。会いたいのに理由なんていらない、などとはよく言ったものだ。



「だから行ってくる」

「ちょ、田代!!待てー!!」

「追いましょう!」



そうと決まれば話は早い、私は踵を返し全速力で来た道を戻った。丸井君と柳生君の声が聞こえ、皆も走って追いかけてくる。



「う、わっ!」

「こっちの方が速いぜ」



刹那、一気に私の体は浮遊感に襲われた。一瞬で視線の高さが切り替わり、桑原君の言葉で彼に持ち上げられたことに気付く。いわゆるおんぶというやつだ。確かに私のペースに合わせて走るよりもこうされた方が時間を短縮できるだろう。

しかしこの視線の高さからだと全員の表情がよく見える。まだ複雑な感じもなんとなくするが、さっきよりかはだいぶ晴れた顔をしてる。これだ。



「…ん?」

「なんだ?なんかあったか?」



その時、私の耳にさっき聞いた音が入った。───嗚咽だ。



「桑原君、此処!」

「はっ!?」



それはほぼ反射といってよかった。私は走る速度が落ちた桑原君の肩にすかさず乗り、そのまま足のバネを使って目の前のコンクリートの塀を飛び越えた(自分でもこんな動けたことに驚いた)。



「幸村君っ!!」



いた。やっと会えた。

泣き腫らした顔に更に驚きを加え、幸村君は私を見上げた。…あ。勢いで飛び越えたから、着地のこと考えて無かった。幸村君は病み上がりだから受け止めてもらうわけにもいかない、いやそれ以前に驚いて動けないだろうが、どうしよう。



「ぶふっ」

「ちょ…えぇえええぇ」



と思っている間に、一応直前に地面に手をつけて衝撃を少し抑えたものの、私は顔面からダイブした。見事に雰囲気台無しだ。



***



「は、ちょ…田代…!?何やってんのお前!」

「幸村君、痛い」

「当たり前だろ顔面コンクリートに打ちつける女何処にいるんだよ!」



いまだかつてないくらいの感傷に浸っていた時に、人が降って来るという通常ではありえない事態が発生すればいくら幸村でも対応に遅れる。ましてや、その降って来た人物は晴香だったのだ。



「ゆきむるぁああぁ!!!」

「幸村くーんんんん!!」

「ブチョーーー!!」

「幸村っ!!」



そして続けて真田、丸井、切原、仁王。真田はその人並み外れた脚力でズンッ!、と勢いよく着地したが、思ったよりも高さがあったことに動揺した他の3人は晴香と同じように派手に地面に転がった。



「お前ら…考えろよ…」

「全く、紳士の風上にも置けませんね」

「田代、それに3人も、傷口にばい菌が入らないようにしなさい」



冷静な桑原、柳生、柳はゆっくりと塀から降りて来た。高さはあるものの、ちゃんと計画性を持てばこんな塀など本来朝飯前なのだ。…というのは置いとくとして。



「お前ら、なんで…」

「会いたいから来た。駄目か」

「俺、帰れって言っただろ」



ようやく本題に入る。

幸村の口から零れ出た疑問に答えたのは、顔面からダラダラ血を流している晴香で、その解答に彼は喜びを感じた。しかしそれも一瞬のことで、先程あんなことを言ってしまった手前だ。気持ちの整理もまだついていない。その結果、彼の口から出た言葉はやはり突っぱねたものだった。



「どうせもうテニスなんか出来やしないんだ。どうせ、」

「幸村ぁあ!!!」



───鈍い音が響く。誰もがその光景に言葉を失い、そして釘付けになった。

真田が幸村を殴った。



「お前がもうテニスが出来ないだと?ふざけたことをぬかすな!!」

「っ…」

「全国三連覇を誓ったのを忘れたのか!!このメンバーで最後までやり遂げようと誓ったのを忘れたのか!!何を弱気になっている、お前の病気は治ったのだ!お前はテニスが出来る!!」

「さな、だ」

「…俺達はずっとお前を待っていた。もう待ちくたびれたぞ」



そうして真田は殴られたことによって尻餅をついた幸村に手を伸ばし、優しい笑顔を浮かべた。



「…お前らほんと、馬鹿じゃないの。真田、ほっぺ超痛いんだけど。田代押しのけてまで俺のこと殴りたかったわけ」

「弱気になったお前に喝を入れるのは俺の役目だ」

「真田が幸村に制裁すんのはこれが最初で最後じゃろうな」

「あったりまえだろぃ、後は全部返り討ち…いやなんでもねー」



パシン、と強く、手と手が重なり合う音が響く。



「…言葉、上手くまとめられない。でも俺1人の問題じゃないことはなんとなくわかった。───…あり、が、とう」

「ブチョーー!!!」



久々に心から笑った幸村の表情は、とても柔らかかった。彼の涙が頬を伝うと真田に殴られた跡に染みて若干痛いが、そんなことなど気にせずに彼は静かに涙を流し続けた。それに貰い泣きした切原が勢いよく幸村に抱きつく。



「田代、お前は来てくれないの」

「幸村君、手術直後だろう。殴られたりタックルまがいの抱擁を受けたりして体は大丈夫なのか」

「今更なこと言わないでよ。早く、今日は特別に俺のパジャマにその血付けても良いから」

「…じゃあ、遠慮なく」



幸村の腕の中には晴香と切原が収まっている。それを他の者が囲み、笑った。



「コラー!!貴方達こんなところで何してるの…って、幸村君!?絶対安静って先生に言われたでしょ!?戻りなさい!!」

「うぉおお逃げろーぃ!!」



殺風景なコンクリートの場所に、楽しげな笑い声が響いた。
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