「行ってらっしゃいませ、おぼっちゃま」

「あぁ」



運転手と会話を交わし、持参してきたスポーツバッグを受け取ってから、親が経営しているスポーツジムに足を踏み入れる。中にいる従業員は俺の姿を見るなり深く頭を下げて挨拶をしてきたので、それらを軽くかわし、まずはロッカールームに向かう。

この春休みが終われば、いよいよ俺達の代の幕開けだ。部長というポジションは1年からやってきたから特に今更不安はないが、なんとしてでも全国優勝を掴み取りたい気持ちは勿論ある。だからこそ、俺は誰よりも努力を怠りたくねぇ。



「(…ん?)」



そんなことを考えながらロッカールームを出てトレーニングルームに入ると、俺の目にある1人の女が留まった。女が此処に来るのは何も珍しいことではないが、様子が明らかにおかしいのが気にかかる。ランニングマシーンを走っているそのやけに細い体は、フラフラと不安定で今にも倒れそうだ。



「っ、おい!」



そう思った直後に予想は的中し、女は速度が速めのランニングマシーンの上で倒れ、顔面を強打した。すぐに駆け寄り抱き上げるが、軽すぎる体にまた驚く。



「景吾様!どうなさいました!?」

「俺もわからねぇが、急に倒れた。救護室に運ぶ」

「とんでもないです!私が運びますので景吾様はトレーニングに集中なさって下さい!」

「…あぁ、任せた」



つい驚いて勢いでそう言ったが、確かに冷静に考えればここでわざわざ俺がこの女を運ぶ理由もないし、素直にそのインストラクターの言葉に従うことにした。あんなガリガリな体で無茶しやがって、最近の女にありがちな無理なダイエットだろうか。ったく、無責任なことしやがる。

…だが、思い返してみるとさっきあの女を抱き起こした時、骨と皮、という感じではなかったような気がする。いや、むしろ筋肉以外無いと言えるほど体は固かった。女特有の柔らかさは感じられなかった。ということは、本当に鍛えていただけなのか?



「(…仕方ねえ、後で行くか)」



あの女が気になると言うよりも、ただ真相を確かめたくなった俺はそう決意をし、とりあえず自分のトレーニングに取りかかった。



***



「気が付きましたか?大丈夫ですか?」

「…此処は」

「救護室です。ランニングマシーンの上で倒れたんですよ。無茶なトレーニングは禁物だとあれほど言ったじゃないですか!」

「すみません」



ぼんやりとした意識の中目を開けると、まず独特な臭いが嗅覚を刺激した。それと同時に声がした方に視線をやれば、最近世話になっているインストラクターが不安そうな表情で私を覗き込んでいるのが見え、更に続けてそう注意され、なんだかよくわからないが心配をかけてしまったんだな、と反省し謝る。それにしても額が痛い。



「私はどこか怪我をしたんですか?」

「顔面を強打した上に速度を速くしていたんです。額真っ赤ですよ!」

「…すみません」



会話をしていく中で段々と意識がはっきりしてきて、こうなってしまった経緯を思い出す。…少々夢中になりすぎたようだ。額に触れると、恐らくガーゼかなんかで手厚く手当されているのがわかった。



「景吾様が貴方を介抱してくれたんですよ」

「景吾様?」

「ここのジムを経営している方のご子息です。急に倒れた貴方を見てかーなーり驚いていました」

「その景吾様とやらは何処ですか」

「今呼んできますね」



倒れた瞬間のことはあまりよく覚えていないのだが、そんなおぼっちゃまにまで迷惑をかけてしまったのか。努力の結果がこれじゃあなんの意味もないなと、私はさすがに自分に呆れた。その瞬間、再びドアが開く。



「貴方が景吾様ですか」

「変な言い方すんな。お前いくつだ?」

「新中3です」

「同い年じゃねえか」

「そんなまさか」



ノックも無しにドアを開けて入って来たのは、日本人離れした顔立ちの男の人だった。例えるならば王子様みたいだ。加えて態度も偉そうな割には落ち着いているから、絶対に年上だと思ったのだがまさか同い年だと?…いや、真田君だって私と同い年なんだ。もう誰のことでも受け入れられる。そんな個人的な事情は口には出さず、とりあえず目の前のこの人と会話を続ける。



「額は大丈夫か」

「おかげさまで」

「無理なダイエットならやめろ。それ以上痩せても気持ち悪ぃだけだぞ」



そうしてまず怪我の心配をされた後、続けて予想していなかったことを言われて思わず口が開く。ダイエットだと?この私が?



「自分の体型が痩せ型なことくらい理解している。痩せているくせにダイエットなどそんなくだらないことはしない」

「…女が言うにしちゃ珍しいこと言いやがるな。じゃあ、お前は何のために此処に通ってるんだ?」

「鍛えるために決まってるだろう。筋肉をつけて、体力をつけたい。強くなりたいんだ」



初対面の人に自分の気持ちを打ち明けるなんておかしな話だが、この人には何を言ってもごまかせそうにない気がしたから、私は素直に話した。するとこの人はちょっと感心したような表情でほう、と呟き、また私に質問をしてきた。



「インストラクターの指示には従ったのか」

「女だからといって緩いプランを立てられた。満足しない」

「そりゃあお前の体見れば誰でも緩いもんから立てるぜ。第一、文句を言うならなんで倒れた?ロクに食ってなかったんじゃねえのか?」

「プロテインを飲み続け、鳥のささみを食べ続けた」

「極端すぎんだよ馬鹿野郎」



まさか馬鹿呼ばわりされるとは心外だ。筋肉をつけやすくするものはその2つだと聞いたから実行したのだが、と首を傾げる私とは対照的に、この人は額に手を当てて溜息を吐いている。そんなに呆れられるとは。



「まずは3食しっかり食え。その2つを摂取するのはそれからだ。あと、男女差でプランが変わるのは仕方ねえことだ。インストラクターの指示に従え。お前より知識が豊富なのは当たり前なんだからな」

「…」

「…納得いきません、って顔だな」



なんだこの人、いとも簡単に人の心を読んだ。私はその驚きを顔には出さずとも景吾様の顔を見つめると、景吾様は観念したように苦笑いして、指を差して来た。



「こうなったら俺様が直々に面倒見てやるよ」



正直誰も頼んでないのだが、と思ったのは言わないでおこう。
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