「お前が弦一郎と1対1で話し合うなど珍しいな」 「…柳君」 真田と話し終え校内に戻って来た晴香は、廊下を歩いている途中で柳に遭遇した。窓枠に肘をつき、外を眺めながら話しかけてきた柳の視線の先には、さっきまで自分達がいたテニスコートが見える。その光景を見て、真田との話し合いを見られていた事を悟る。 「リハビリを頼んだんだ」 「あんなに嫌がっていたのにか?」 「気が向いた。それに、私が言わずとも真田君から無理矢理来ると思っていたのにあの様子だ。逆に行ってやりたくなった」 「中々なドSだな」 「何とでも言え」 そこで、午後の授業開始のチャイムが大きく鳴り響いた。しかしそんなことなど全く気に留めていないのか、2人はスタスタと廊下を歩く足を止めない。 「精市からの連絡に応答していないと聞いたが」 「あぁ、していない」 「今週中にも俺達は見舞いに行く予定だ。お前も行くか?」 「行かない」 晴香らしいと言えば晴香らしいが、この場にはそぐわないその回答に柳は眉を顰めた。 「精市と何かあったのか?」 「何も無い」 「じゃあ、」 「今は、時期じゃないからだ」 データマンという異名を持つ柳なだけあって、他の者達よりは晴香の心境を読みとれている…と言いたいところだが、そんなはずもなく。今回ばかりは彼もお手上げ状態のようで、予期しない返答達に頭を悩ませるばかりだ。 「つくづくお前は読めない奴だな」 「私の考えが私にしか分からないのは当然だ。それに、時期が来れば自然とわかることでもある」 「時期、か」 「柳君」 すると晴香はそれまで早足で歩いてた足を止め、ふいに柳に向き合った。 「任せろ」 それは、柳が初めて見た晴香の強く逞しい笑顔だった。 真田と同じように立ち尽くす柳を残し、晴香はまたそのまま何処かへ行った。 「…成る程、頼もしいな」 残された柳はというと、晴香の後ろ姿が完全に見えなくなったところで壁を背中にしゃがみこみ、頭を抱えた。その普段の彼からは考えられない行動を見ている者は誰もいない。それを良い事に、彼は小さく口角を上げた。 「ありがとう、田代」 その笑顔もまた、強く逞しかった。 *** 「いい加減泣き止めよ、赤也」 屋上のフェンスに引っ付いて泣き続ける切原を、ジャッカルは背中をさすりながら宥めている。もう何時間そうし続けているか分からないが、一向に泣き止む気配の無い後輩を、ジャッカルは困惑した表情で見つめていた。 「もう訳わかんないッス、丸井先輩にも、ひでぇこと言っちまったし」 「確かに、ブン太もあの状態だから今はお前の言葉を鵜呑みにしちまってると思う。でもお前がちゃんとそう思って反省してるなら大丈夫だ」 「っ、でも!」 「桑原君まで巻き込んでサボリか、切原君」 そんなシリアスな雰囲気の中に堂々と割り込んで来たのは、これもまた晴香だった。意外な人物の登場に2人は口をぽかんと開け、彼女を見つめる。 「田代、なんで此処に…?」 「テニスコートから見上げたら、ちょうど切原君がフェンスにへばり付いて泣いているのが見えた。だから来た」 「晴香、先輩」 「…仁王君、丸井君と同じくらい情けない顔をしているのが此処にもいたか」 苦笑しながら溜息を吐く晴香だが、彼女のその両腕は確かに切原に向けて広げられている。状況がよく理解出来ない切原はまた大口を開けて晴香を見つめたが、ジャッカルにぽん、と背中を押されたことにより、ようやく我に返った。 「っ、晴香先輩!!」 「ぐっ」 ぼすっ!、と凄まじい勢いで飛びついた切原。その勢いに晴香は若干呻り声をあげたが、彼の盛大な泣き声によりそれは一瞬でかき消された。 「俺、俺ね」 「うん」 「全部が大切で、ごちゃごちゃで」 言葉がままならない切原を、晴香はぶっきらぼうではあるがそれでもちゃんと、強く抱きしめている。ふと前を見るとジャッカルと目が合い、2人は笑顔でアイコンタクトをとった。 「強く、なりたいっす」 「それは奇遇だ。私も強くなりたいと思っていたところだ」 「晴香、先輩が?」 「切原君の弱さを私がカバーしてあげることはできない。切原君自身が強くならない限り、それは埋められない」 「っ、はい!」 「私達だけではなく、桑原君も、他の人達だって気持ちは同じだ。全員が強くなりたい。でも、思いっきり躓いてみたっていいんじゃないのか。あの日だって切原君は私の胸の中で泣いて、強くなった」 その言葉で、切原の頭の中にはいつかの映像がフラッシュバックするように蘇った。テニス部のトップに立つために押し掛けたつもりが、いとも簡単に真田に負かされてしまったあの日のことが、鮮明に、はっきりと押し寄せてくる。 悔しかった。悔しくてたまらなかった。でも、あの日たくさん泣いた後、また頑張れた。強くなれた。 「ありがとうな、田代」 「何がだ?」 「お前の存在だけで、今の俺達は強くなれる」 ジャッカルの言葉に晴香は返事をしなかった。代わりに、切原の泣き声だけがその場に響いた。 空は晴天、全員が心に何を想ったかはそれぞれにしかわからない。しかし、この日からある1人の少女は強い決心をした。 |