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「じゃあお母さん、バイト行ってくるね」

「ん、気を付けてな。正人は大丈夫やから、亜梨沙も無理せんでね」

「うん、大丈夫。行ってきます」



とんとん、とつま先でスニーカーをちゃんと履いて、玄関のドアを開ける。むわーっとした空気が一気に体に纏わりついてきて、サンダルに履き変えようかな、と一瞬思ったけど、いちいち履き替えるのも面倒だからやっぱりスニーカーのまま歩き始めた。

───あの日から、1週間が経った。

正人の荷物も届いて、部屋も色々改装して、昔から3人で住んでいたかのような雰囲気は完成しつつある。でも、私も正人も詳しい事はお母さんに報告していない。というよりも私達が敢えてその話を避けていると言った方が正しいかもしれない。だからこそ、お母さんはそれを察して何も聞いてこないんだと思う。

そして、皆にもまだ連絡を取っていない。別に話せないほど憂鬱になってるわけじゃないし、証拠にこうやって今日からバイトにも復帰したんだけど…なんていうか、タイミング?とにかく、何から話して良いのか自分の中でもまだ整理がついてないのだ。こんな状態で皆と会っても、多分困らせて終わっちゃう。



「いらっしゃいま…あっ!亜梨沙ちゃん!」

「おはようございます、戸田さん」

「もう大丈夫なの?心配したのよ!」



考えても仕方ない事を悶々と頭の中で巡らせていると、バイト先にはすぐに着いた。中に入ると戸田さんの変わらず元気な声で出迎えられ、思わず頬が緩む。私は夏休みだけど世間は平日だからか、お客さんはまだいない。まぁ、元々出入りがそこまで多くない店だけにこの光景はさほど珍しくないのだけれども。



「あら、亜梨沙ちゃん。久しぶりね」

「店長…」



戸田さんとカウンター越しに会話を交わしていると、その声を聞いてか奥から店長が出て来た。これもまた変わらない、全てを包み込んでくれるような優しい笑顔が、何故か胸にジーンと来る。何でおばあさんってこんな包容力あるんだろうなぁ…って、そんな事よりもまず店長に謝らなきゃ。



「あの、ご心配とご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。こんなたくさんのお休みまでもらっちゃって…」

「そんな、全然気にする事無いのよ。見ての通りお店は空いてるし。それより、もう大丈夫なの?」



責める事など全くしないで、戸田さんと同じように心配の言葉をかけてきてくれた店長。私は目の前に立つ2人の目をしっかりと見て、大丈夫です、本当にありがとうございました、と礼を言い、深くお辞儀をした。



「ほら、顔あげてちょうだい。制服に着替えなさい?」

「はい!」

「あ、亜梨沙ちゃん、新メニュー出来たから今試食作るわね!美味しいのよー!」

「ありがとうございます!」



店長に促され奥に入り、戸田さんの言葉に笑顔で相槌を打つ。あぁーもう、私将来此処以外の所で働きたくないよー。

暖簾をくぐって従業員用の部屋に入ると、久しぶりに嗅ぐ懐かしい匂いが鼻を掠めた。私は一度深呼吸してから強く意気込み、制服の着物に着替え始めた。



「亜梨沙ちゃん、いつもの子達来たわよ」

「…ほ、本当ですか」



そして着替え終わりロッカーをバタン、と閉めた瞬間、暖簾から戸田さんが顔を出して来てそう言った。…ちょっと待って、まだ整理ついてないんだけども。どうしよう、どんな顔して会えばいいんだろう。予想していたなかった展開に気持ちが焦り始めるのを嫌でも感じる。



「その様子を見ると、やっぱり訳アリなのね。あの子達此処最近毎日来てたの、多分亜梨沙ちゃんを探しに。いつもより騒がしくないから何かあったんだろうなとは思ってたんだけど」

「実は…まだ皆には話してなくて、家族の事。何か、何て言えばいいかわからなくて」



私のそんな様子を見兼ねた戸田さんは、言葉を選ぶように話しかけて来た。確かに、いつもならこの部屋にいても皆の声は聞こえてくるのに、今は静かにしてるからかあんまり聞こえてこない。しょっちゅう起こる笑いも無いし、もしその理由が私にあるなら本当に申し訳ないと思う。



「別にあの子達も亜梨沙ちゃんから無理矢理聞き出したい訳じゃないんだし、焦る事は無いわよ。でも、きっと連絡もしてなかったんでしょう?」

「…はい」

「それなら心配するに決まってるわ。せめて元気な顔見せてあげなさい?笑顔じゃなくていいから、ね」



恐らく戸田さん(あと、店長も)は、私がまだ完全に“大丈夫”なんかじゃないって事はとっくに見透かしてるんだろう。でも、それを敢えて気付かないフリをしていてくれてる。…私はその優しさに甘えても良いのかな。



「とりあえず、行きますね」

「うん、行きましょう」



皆はどんな反応をするだろう。何を言って、どんな表情を見せるだろう。沢山の疑問と不安を抱えながら、暖簾をくぐった。
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