「姉ちゃん、晩飯どうする?」

「…ごめん、食欲無いや。正人行ってきて良いよ」

「ん、俺もいらないからいい」



ホテルに戻ってからというものの、私達の間には沈黙がずっと降り注いでいた。今になってやっと、ベッドにくるまっている私に正人が声をかけてくれたけど、それも一瞬にして終わり。再び沈黙が舞い降りて来て、時計の針の音だけが室内にチクタク響く。



「なぁ、姉ちゃん」

「何?」

「不謹慎な事聞いてもいい?」



その時、ベッドの腰辺りがボスッと沈む感覚がした。少し下に目線を向ければ、そこには天井を仰いで私のベッドに座っている正人がいる。両手はベッドについていて、端から見ればボーッと考え事をしている感じだ。とりあえず正人に「どうしたの」と聞き返せば、次にはこんな言葉が返って来た。



「姉ちゃん、何がそんなショックなの?」



何が、───何が。言葉の意味が理解出来なくて、そのまま「それってどういう意味?」と口に出す。すると正人もそのままの表情で、淡々と答えを返して来た。



「そのまんまの意味だよ。だって、あの人があぁいう人だっていうのは知ってただろ?だから離婚した。で、姉ちゃんは当たり前に母さんの方に着いてって、あの人を見捨てた。俺はあの人を幸せにさせまいと残った。俺達、あの人に対して悲しむような感情残ってたの?」



確かにそうだ。あの人が不倫した事を知ってから、瞬く間に嫌いになった。嫌悪、って言っていいくらいのレベルだと思う。兎に角関わりたく無くて、もう自分とは無関係だと言い聞かせて。…なのに、なんで?



「嫌いだよ、大嫌いだよ、あんな人の事」

「俺も。今はなんかもう無関心だけど」

「でも、離れない」

「…姉ちゃん」

「あの顔が頭から離れない」



お前は昔から出来た姉だった、だなんて、可愛がってもらった覚えなんてほとんど無いのに。さも私をよく知っているかのような口調に腹が立ったのに。あのなんとも言えない表情が頭から離れない。寂しいような、諦めたような、懐かしむような。いつまでも頭にこびりついているそれは、カビなどといった汚いものに例えるには少し儚すぎる。



「嫌い。好きなんかじゃない、大嫌い」

「ごめん姉ちゃん、変な事言った。早く寝ろよ」



頭の中がこんがらがって、また涙が出てきて、私は毛布を頭から被った。すると正人はその上から頭をポン、と叩いてきて、そのまま部屋から出て行った。でも、出て行く寸前にまた言葉を投げかけられる。



「姉ちゃんは、優しいんだな」



ごめんね正人、あの人から遠ざかって知らないフリばっかしてたから、私はあの人を憎みきれなかった。でも正人は違ったんだよね。ずっと側にいたから、本当に嫌いで憎くて仕方なくなっちゃったんだよね。辛い所に置いてきぼりにして、本当にごめんね。

実の父親が本気で憎く、本気でどうでもよく思ってしまう事は、多分、凄く悲しい。
 3/3 
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