「今日の人は凄く元気だったから疲れたのね」 「はいー…」 ラジオ収録後。時間自体は長引かなかったものの、MCのテンションの高さについていくのが必死で疲れてしまった今は、北野さんの車でぐったりと体を横にしている。良い人なのには変わりなかったけど、30分間あの勢いで喋り倒されるのは中々辛かった。 お疲れ様、と労いをかけてくれた北野さんに返事をし、それからいつも通り他愛も無い話をする。 「ねぇ泉、学校は楽しい?」 「え?はい、勿論ですよ」 すると北野さんは急にそう聞いて来たかと思うと、私の相槌にそう、と返しただけで、また運転に集中した。急にどうしたんだろう。そんな私の考えを見透かすように北野さんは一度笑うと、妙に楽しげにまた話し始めた。 「その泉を楽しいと思わせてくれる人達の中に、この事を知っている人はいるの?」 「はい、何人かはバレたっていう形ですけど。自分から言った人もいます」 この事、というのは勿論モデルの事だろう。 「そうなの。私は言っても良いと思うわよ?」 話の脈略が分からず首を傾げていると、次の瞬間北野さんの口からはそんな言葉が出てきた。あまりにも唐突すぎるそれに、私の動きは見事にフリーズする。まさかそんなアドバイスが出るとは思ってもいなかったのだ。 「勿論今やってる合宿のメンバー全員にとまではいかなくても、普段仲良くしてくれてる人達とかね」 そこで即座に頭に思い浮かんだのは、香月とテニス部の皆だった。他校の皆も勿論だけど、やっぱり氷帝の皆は私にとって既に欠かせない存在となっている。 最初転入して来た時は、ここまで大事な人達が出来るとも思っていなかったし、正直言うと作ろうとも思っていなかった。でもそれが今ではこんな風に思うなんて、大袈裟だけど、人生って何が起こるかわからないとつくづく思う。 「あ、それと明日の仕事変更出来たからしておいたからね」 「え?」 「合宿最終日でしょ?変更しても何の支障もない仕事だったから。学生の本業は仕事じゃないわよ」 体を起こして珍しく思いつめていると、不意に北野さんはそんな事を言った。学生の本業は仕事じゃない。それはつまり、最終日を楽しみなさいという事だろう。 その優しさに感動して、私は降りた後も車の姿が完全に見えなくなるまで頭を下げ続けた。仕事では確かに気力を使い切ってしまったけれど、北野さんのおかげで色々と考え直す事が出来て良い機会だった。部屋に戻ってから、もうちょっと先の事を考えてみよう。 とりあえず今はちゃんと変装しなきゃ。そう思い鞄から眼鏡を取り出そうとすると、ふっと上から影が振って来た。 「おかえり」 嘘でしょ。 *** 1階の窓から出て行った女子は、最初は私服やし後ろ姿やからようわからんかったけど、入口前に停まっとった車に乗り込んだ横顔を見て、すぐにやはり泉だと確信した。 こんな時間に何処に何しに行くん、そんな服装で。声を大にして問いかけたい気持ちは山々やったけど、もう行ってしもた車に向かってそんな事を叫べば、間違いなく俺は不審者扱いされる。せやから、俺はすぐに部屋を出てそのまま誰の目にも入らんよう外に飛び出した。 泉を待っとる間、体はまるで新しい毒草を発見する直前のような、そんな緊張感に包まれた。これから俺、何を見るんやろ。俺の想像力ではその答えは到底見出せんかった。 そうして、約1時間も経たないうちに答えは見つかった。 「…仕事お疲れさん、で合っとる?」 その顔は、妹が生意気にも買っとる雑誌でも、姉が使っとる化粧品のCMでも見た事があった。 「…これ夢じゃないの?」 「残念ながら」 「うわぁー…」 泉はそう言うと鞄ごと抱えてその場にうずくまり、かけようとしていたのであろう眼鏡を地面に落とした。 なんやねん、窓から出てったって事はその部屋の奴は正体知っとるんやろ。でも俺にバレるのは嫌なんか。そんな幼稚な嫉妬が出てきそうになるのを必死に押し殺し、俺も同じようにしゃがみこむ。 「誰にも言わへんから安心しぃ。ちゅーか言えんわ」 「うん、ありがとう」 ちらり、と様子を窺うように両腕の隙間から覗いて来た泉は、確かに見た目だけ見るとあのモデルやけど、だからといって改める必要は無い。今目の前にいるこの子は、紛れも無く俺がこの合宿中に目で追うようになった、氷帝のマネージャーなんや。 ほな帰ろか。先に立ち上がって泉に向かって手を差し伸べれば、恐る恐るといった感じで右手を重ねられる。出来る事ならこのまま2人でどっか行って、この子の話をたっくさん聞きたかったけど、今の俺にそんな度胸は無かった。 |