一体これはどういう事なんでしょう。口に出しても答えてくれる気はしないので、頭の中でそう思い首を傾げる。今後ろから私の体をスッポリと包んでいるこの腕は、景吾の部屋の右隣の人のものだ。右隣。私の記憶が正しければ多分あの人だろうと思い、その名前呼んで後ろを振り返る。 「偉い偉い、誰が何処の部屋か把握しとるとね」 「うろ覚えだけどね」 「こぎゃん時間に何処行っとった?」 口調は優しいけれどそれには明らかに探りを入れるニュアンスが含まれていて、合わせていた目を反射的に逸らし、顔を再び前に戻す。 「ちょっとした散歩だよ」 「ほぉ」 「で、そろそろ離してくれたりしないかなぁ」 「動揺せんと?」 「うん、あんまり」 「じゃあこうしたら?」 直後、その大きな手は一瞬にして私の眼鏡を持ち去って行った。取り返そうと思い手を伸ばしてもまたがっちりと抑えられ、せめてもの抵抗として顔を極限まで俯かせる。 駄目!気にせんと。いやするから!終わりの見えない押し問答はしばらく続き、何度も覗いて来ようとする千里から必死に顔を背ける。すると途中でようやく諦めてくれたのか、力が込められていた腕は緩み私の目の前に眼鏡が掲げられた。まるでマタタビを目の前にした猫の如くそれを掴み、さぁかけようとフレームを開く。 「はい、油断した」 直後、消えた眼鏡と共に私の体は一瞬にしてくるりと反転した。今度は真正面から力強く腰を抱きとめられ、驚きによって開いた口が塞がらない。といっても流石の千里もかなり驚いたようで、アホ面になってるのはお互い様だろう。 不可抗力だ。 「あー…そういう事たいね」 「…あのー」 「バレバレ」 「…ですよね」 今は髪型もポニーテールだし、眼鏡をかけてないから尚更だろう。驚いた顔の千里を見た瞬間で半ば諦めに入っていた私は、もう何も足掻かずに素直にそれを認めた。もう一度言うけどこれは不可抗力だから私は悪くない。異論は絶対に認めない! 「仕事行ってたと?」 「まぁ、そんなとこ」 「安心しろ、誰にも言わんばい」 「ありがと…」 諦めと眠気が相まってか、漏れ出る声は情けないほどにか細い。それに千里は苦笑した後、ぽんぽん、と子供にするような手つきで私の頭を撫でて来た。 「良いもんば見た」 「え」 そうして何故かそのまま頭を抱えるように抱き締められ、あまりにも直球で唐突なそれに目が丸くなる。歯痒い無言の中でようやく体が離れると、私の目には今まで見た中で1番優しい千里の笑顔があった。 また明日。それと共に眼鏡をかけられ、ドアを開けて外に出るよう促されたので、そのまま大人しく廊下に出る。ていうか私土足だった。 …何はともあれ、帰ろう。難はもう去ったんだ。早く私を寝かせて下さい。 「ただいまー…」 小声で部屋に入ると、朋と桜乃ちゃんは疲れていたのか既に熟睡していた。朋のパジャマがずれてお腹が見えてたから、冷えないように直しておく。 それからまず景吾に「バカ」と一言だけの完全なる八つ当たりメールを送って、そのまま歯磨きをして洗顔をして、お風呂は…今から入ってまた誰かに遭遇したら嫌だし、朝に済ます事にする。そんな状態でベッドの前に立つと、体は自然にダイブした。今まで自覚してなかった疲れがどっと押し寄せてくるのを感じる。 またバレた。 眼鏡を外し、景吾からもらったアイマスクを装着して考えるのはさっきの千里の顔だ。あの表情には正直驚いた。いつも悪戯っ子みたいに楽しそうな笑顔はしてるけど、あんな優しい顔は初めてだった。そんな風に色々考えているうちにすぐ睡魔が襲ってきて、私はそのまま寝た。 翌朝。あの景吾が必死に謝ってくる声が、合宿3日目の目覚ましになった。 |