たきはぎのすけ。その名前はいくら頭を捻らせても聞き覚えが無く、私はずっと見つめてくるこの人に向けて小さく首を傾げた。物腰も柔らかいし顔も整ってるし、きっとこの人もモテるんだろうなぁ。でも、一体誰。何でこんな私に話しかけたのか全く持って理解できない。 「誰だこの人、って思ったでしょ?」 「…まぁ」 あ、やばい。この手の部類はおそらく苦手だ。何もかもを見透かすような笑顔を見た瞬間に、直感通り、穏やかな時間が音を立てて崩れてくのを感じる。 「俺テニス部なんだよね。皆君の事噂してるから、俺も友達になりたくて」 「あ、はい」 だから噂ってなんなの、っていう文句のような疑問は初対面の人には流石に言えない。ただ単に私が苦手というだけで悪い人ではなさそうだし、何より友達になりたいと真正面から言われて断れるはずもなかった。だから警戒心はそのままにしつつも小さく頷き、相手の出方を見る。 「じゃあ残り時間は俺とお話でもしてようか」 「は、はい」 「敬語は辞めて。あとなんて呼べばいい?」 「何でもいいよ」 「じゃあ泉って呼ぶね」 「それなら私も萩之介…って思ったけど、面倒臭いからハギにするね」 あれ、初対面でこれは駄目だったのかな。でも萩之介って長いから出来れば呼びやすいのでいきたいんだけど。驚いた顔をしているハギにそんな不安を抱いていた矢先、それはすぐまた笑顔に戻って、いいよと了承の返事をもらえた。何を思って驚いたのかは気になったけど、聞いても教えてくれ無さそうだし深く突っ込まないことにしておく。 それからハギとは、主に皆の話題で色んなことを話した。 「跡部は俺様だけどあぁみえてヘタレだからね」 「えっ!?」 とか、 「忍足は脚フェチだけじゃなくてね、実は」 「も、もう聞きたくないかなー」 「そう?」 とか。ほとんど無駄知識というか雑談というかそんな感じだったけど、特に居心地は悪くなかった。普通に話していれば、最初に感じた苦手な感情は出てこないみたいだ。 そこで時計を見れば、時刻は昼休みを終えようとしている。だから私は帰ろう、という意を遠回しに込めて「もうチャイム鳴るね」言ってみた。するとハギも「そうだね」と返して来て、2人で立ち上がりドアの方へ足を進める。 「じゃあ行こうか。君は優等生で通ってるみたいだし」 「うん…って、え?」 ドアを開けようとした手が一瞬で止まる。なんだ、その前々から私の事を知っていたような口振りは。心臓が変な音を立てているのを必死に無視しつつ、私はギギギ、という効果音がつく勢いでハギに振り向いた。 「ハギ?」 「ん?」 「…貴方、何を知ってるの?」 なんだろう、居心地が一気に悪くなった上に悪寒もするし、最初にハギを見た時よりもずっと嫌な予感がする。 「そうだね。しいて言うなら君の事は何も知らないよ、この数十分話しただけで」 「…だよね」 じゃあ、さっきのまるで本当の私を知っているような言い草は何?頭の中が段々と混乱してきた私は、ハギの事を思いっきり不審な目で見つめた。 「ん?どうしたの?」 聞くのは怖いけど、このまま煮え切らない思いをし続けるよりはましだ。そう思った私は意を決して口を開いた。 「貴方は、どの私を知ってるの?」 問いかけてからすぐに、ハギはニッコリと笑った。その笑顔は綺麗なだけに怖い。 「知りたい?」 疑問を更に疑問で返されてはもうどうしようも出来ない。…あぁ、完璧に私の負けだ。やっぱり私はこの人が苦手だ、と改めて判断した。 「…いいです」 「そう?じゃあ戻ろっか」 そこでようやく私達はドアを開けて、誰もいない静まり返ってる廊下をテクテクと歩き始めた。お互いの教室に着くまで、会話は何も交わされなかった。 「じゃ、拗ねてる跡部の始末頑張って」 「うわぁ、忘れてた」 先に私の教室前に着いた所でそう言われ、昼休みが始まる前に逃げ出したことを思い出し、更に気が重くなった。絶対景吾達不貞腐れてるよなぁ。 「それじゃね」 「うん、バイバイ」 でも、言い方は悪いけどようやくハギから離れられるんだ。別れの挨拶をしてさっさと教室に入ろう。背を向けて歩き出したハギの後姿をしばし見つめてから、私も中に足を踏み入れようとした、その時。 「ねぇ泉?」 「え?」 「今日はMAGICの発売日だね」 ハギは急に私に振り返り、これまで見たどの笑顔よりも爽やかにそう言い放ってきた。そして、その言葉に唖然としている私に手を振り、また立ち去って行く。 嘘でしょ。どんな洞察力持ってるの、あの人。たった数十分でここまで見抜かれた事が信じられなくて、結局私は景吾が心配して話しかけてくれるまでそこに立ちっぱなしだった。決めた、ハギには自分から近付かないでおこう。 |